第15話「世界樹と聖女」

 ここである事実に気付いてしまった悠真が、青ざめた顔でフィルフィーネを問いただす。

「なぁ、フィーネ……お前さっき玄関で、沙希を守りに来たって言ったよな。それって、つまり――」

「……えぇ、そうよ。――サキには聖女の魂が宿ってる」


 ガタッ。

 沙希が勢いよく椅子を押しのけるように立ち上がる。


「わ、私が聖女なの⁉ なんで⁉ 私そっちの世界に行ったことないよ⁉」

「そうだよ。そっちの世界の事情が、なんで俺たちの世界に関係してくるんだっ……!」


 悠真は喋っているうちに不満を募らせていき、こらえきれずに語尾を荒げた。

 衝動のままテーブルを叩いた拍子で、コップが倒れお茶がこぼれてしまう。

 悠真はこぼしてしまったお茶を台拭きで拭きながら、「ごめん……」と小さく謝ったが、その顔は険しいままだ。

 フィルフィーネは「落ち着いて」と悠真を諭しながら、お茶をぐいっと一息に飲み干してしまう。


「どうして別の世界にいるサキが選ばれてしまったのか、はっきりとしたことはわかっていないのだけれど……、恐らくは先代の聖女の影響だと考えられているわ」

「え? まさか、その先代の聖女って――」

「――こっちの世界から召喚された女の子だったの」

「……


 非現実的な言葉に、悠真は今朝の騒動を思い返す。

 ここにきて例の召喚術がなぜ沙希を狙っていたのか、その動機が判明した。


「じゃあ、あれは聖女である沙希を狙ったお前らの世界の魔術だったってことか」

「どういうこと? もしかして、すでに何かあったの⁉」


 血相を変えて慌てるフィルフィーネは、身を乗り出して悠真へと詰め寄った。

 

「あ、あぁ。実はちょうど今朝のことなんだが……」


 悠真はフィルフィーネに今朝の騒動の内容をかいつまんで話した。

 話を聞いたフィルフィーネは、腑に落ちたように何度も頷いてはぶつぶつと独り言を繰り返した。


「アミスたちが動き出すにしては早すぎるとは思っていたけど、もうそこまで正確な位置を割り出していたのね。だとしたら、こっちも早く手を打たないと……」

「お、おい。どうしたんだよフィーネ。やっぱり〈協会〉の仕業なのか?」

「……間違いなく〈協会〉の《強制召喚フォース・コール》ね。指定した対象を無理やり召喚する強引な魔術よ。数人の魔術師がかなり魔力を練って組み上げる魔術だから、そう何度も連続では使えないけれど……」

「時間が経てば、また沙希が狙われるってことか……」

「異世界……ごくりっ」


 真面目な話をする二人とは裏腹に、当事者であるはずの沙希はやや浮かれ気味だった。

 召喚されれば異世界に行けるのでは? などと沙希が頭の中で考えていることは、誰が見ても明らかだった。


「沙希……お前なあ、もし召喚されたら生贄にされちまうかもしれないんだぞ?」

「あ、そっか……死んじゃったらメルセイム観光できなくなっちゃうよね。それは大問題だね」

「そういうことじゃないだろ……!」


 沙希の異世界への憧れは、悠真の想像を遥かに超えているようだ。

 自分の命と異世界旅行とを天秤にかけて悩むようでは、兄としてはたまったものではない。

 悠真は思わず頭を抱える。

 同時に、一つの疑問が湧いてきた。


「そういえば、どうして〈協会〉の連中は沙希に聖女の魂が宿っているって知ってるんだ? こんな広い世界で、たった一人を見つけ出すなんてこと、そう簡単にはできないだろ」

「限りなく不可能に近いでしょうね。だから〈協会〉は目印を付けることにしたのよ」

「目印? 私、発信機でも付けられてるの?」

「異世界にそんな高度なものあるか? 魔術かなんかだろ、どうせ」


 メルセイムではマナが世界の根幹であり、魔術によって世界が動いている。魔術以外を探求する者はほとんど現れないし、居たとしても異端視される傾向にある。

 ゆえに、現代世界の高度な科学技術は、メルセイムでは魔術によって再現されているものが多い。

 家事や狩猟、道の整備や建物の建造など、ありとあらゆる事柄を魔術によって解決してきた。

 そんな彼らが、大事な聖女の存在を調べる手段を用意しないはずがない。

 

「何度も聖女を一から探し出すのは大変だから、〈協会〉のとある魔術師が聖女の魂に直接魔術でマーキングしたのよ。こう、グサッ! とね」

 フィルフィーネはなぜか胸に刃物を突き立てるようなジェスチャーをした。

 物騒な効果音に、思わず嫌な想像を掻き立てられてしまう。


「あとはその目印を追跡して探知することができる魔術を使うだけ。とはいえ、異世界まで調べ出すのにはかなり時間が掛かってしまったみたい。こっちの世界から聖女を喚んだ前例があったおかげで、なんとかサキの存在にたどり着けたのよ」

「別の世界まで追ってくるとか、とんでもないストーカーだな」


 やってることはほとんどGPSによる追跡と似たようなものだ。

 ……魔術絡みでもなければ、即通報してやるのに。

 冷笑する悠真の正面で、沙希が小声で尋ねる。


「じゃ、じゃあ……私って今もずっと〈協会〉の人たちに監視されてるの?」


 沙希が自分の肩を抱いて小さく震えた。

 悠真は沙希を安心させようと手を伸ばすが、フィルフィーネが先に立ち上がると、怯える沙希を横からそっと抱きしめた。


「大丈夫。マーキングって言っても、大体の場所を突き止めるぐらいの精度しかないわ。それでも不安には思うだろうから、サキのためにこれを持ってきたわ」

「……なにこれ。石?」


 フィルフィーネが沙希の手に握らせたのは、琥珀色をした小さな石だった。

 石には細工が施されていて、首から掛けられるようにチェーンが付いている。

 一見無骨なそれは、沙希がつまんで持ち上げると石の中心から淡い光を放っていた。光は石の中で乱反射し、黄金色に輝いて見えた。


「わぁ、キレイ……!」

「なんだか、幻想的な石だな」

「これは黄牢石ころうせき。『星域』で採掘された特殊な石で、微弱な魔力を常に発しているの。この石は魔力を反発する効果があるから、身に着けていれば探知系の魔術には引っかからなくなるわ」

「装備しただけで魔術無効は便利すぎるよ! ありがとうフィーちゃん! 肌身離さず持ち歩くね!」

「今日一の喜びようだな」


 さっきまで怖がっていたのがウソのようだ。

 黄牢石は無骨なチェーンで首飾りとして加工されており、沙希はそれを目を輝かせて鑑賞していた。


「魔石蒐集しゅうしゅう家としてはたまらない一品だよ!」

「いつからそんなコレクターになったんだよ……」


 悠真は呆れながらも、魔石を手にしてはしゃぐ沙希を見て思わずつられて笑った。


「お兄ちゃんつけてつけて」

「え、なんで。首にかけるだけだろ」

「いーいーかーらー!」

「わかった、わかったから――ったく……ほら、貸してみろ」

 悠真は沙希から黄牢石を受け取り、チェーンのわっかを広げて沙希の首に通す。沙希は髪を手で持ち上げてしっかり首にフィットさせると、満足そうな笑みを浮かべた。


「えへへ、ありがとおにーちゃん。どうどう、似合ってる?」

「正直ちょっと不格好な気もするけど……似合ってるよ」

「むぅ、お兄ちゃんはいつも一言余計だよ。だからモテないんだよ」

「うるさい。俺はモテなくていいんだ」


 いつもの調子で言い合う兄妹を見て、フィルフィーネが吹き出した。


「あははっ。二人は本当に仲がいいのね」

「そりゃあもちろん。お兄ちゃんとは将来を誓い合った仲なので」

「いつの話だよ……」

「三歳のころ。お風呂で指切りしたじゃん」

「そういうことじゃなくてだなぁ……!」


 ……というか、よく覚えてるな、そんな小さいころのこと。

 言いながらも頬を赤く染める悠真を見て、フィルフィーネがまた笑った。


「ほんと……羨ましいくらいよ……」


 フィルフィーネは、寂しそうにつぶやいた。


「あっ!」


 突然、沙希が声を上げた。


「フィーちゃん、服にソースが付いちゃってる」

「え? あ、ホントだ」


 フィルフィーネの服の裾に、先ほど食べていたハンバーグのソースがついていた。


「シミになる前に洗ったほうがいいな。ついでに風呂に入って来るといい。沙希、風呂の使い方教えてやってくれ」

「あいあいさー! じゃ私お風呂ためてくるね~」


 沙希はビシッと敬礼をすると、風呂場へとすっ飛んでいってしまう。

 フィルフィーネが申し訳なさそうにしたが、悠真は「遠慮するな」と手を振った。


「そう言えば、フィーネはこれからどうするつもりなんだ? こっちの世界に帰る家はあるのか?」

「特にないわよ。こっちの世界に来てから四日経つけれど、ずっと山の中で野宿してたわ」

「野宿⁉」


 予想外の返答に素っ頓狂な声が出てしまう悠真。


「てっきりメルセイムとこっちの世界を行ったり来たりしているもんだとばかり……」

「そんなことできないわよ。こっちの世界に来られたのだって、〈協会〉の奴らが《転移門ゲート》を起動しているところを襲って無理やり来たんだから。自分から向こうに帰る方法は、今はないわ」

「……なんというか、無茶にもほどがあるだろ……」

 沙希を見つけられるかもわからない状態で、帰ることもできないのにこちらの世界へとやって来たフィルフィーネ。

 どれほどの覚悟が彼女をつき動かしているのか。

 フィルフィーネの動機も、〈協会〉の真の目的も、悠真にはとても推し量れそうもない。

 けれど、この出会いが決定的な何かを変えたような実感があった。

 その変化が良いものとなるのか悪いものとなるのかは、恐らくこれからの行動次第だろう。

 良いものとするためには自分から動かなければ、と悠真は思い切って、フィルフィーネに一つ提案することにした。


「フィーネさえよければ、今日はうちに泊まっていくか?」

「……い、いいの?」

「あぁ。〈協会〉のこともあるし、沙希を守ってくれるんなら、近くに居た方が絶対いいだろ。何よりこのまま外に放り出して野宿させるだなんて、さすがに申し訳ないというかなんというか」

「気にしなくてもいいのに。優しいのね、ユーマは」


 フィルフィーネに面と向かってそう言われ、悠真は照れて視線を逸らした。


「べ、別に……普通だと思うけど……」

「普通かどうかじゃなくて、あなたが考えて私に言ってくれた……その気持ちが嬉しいってことなの」

「…………っ」


 ――放課後、はじめてフィルフィーネに出会ったときと同じ衝撃が悠真を襲った。

 フィルフィーネの笑顔に、心臓が激しく高鳴って。

 澄んだ瞳の輝きに目を奪われてしまう。

 透き通る声に心が満たされてしまう。

 もっと見たいと、そう、思ってしまう。

 ……こんな感情は、十年前に捨ててきたはずなのに……。


「あ、あくまで今日はとりあえずだから。明日、母さんが帰ってきたら確認取らなきゃいけないし……あ、後のことはまたそれからで」


 悠真は嚙みながらも早口にまくしたてて話を切り上げようとした。


「えぇ、わかったわ。――ふふ、そんなに照れなくてもいいのに。ユーマって意外と照れ屋なのね」

「うっ……わ、笑わないでくれ……!」


 フィーネに対してだけだ、とは口が裂けても言えなかった。

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