第14話「メルセイムの危機」
洗い物を終えた悠真が席に着き、落ち着いたところでフィルフィーネが改めて話を始めた。
「さて、それじゃあまずはどこから話そうか」
「はいはいはい! 異世界について聞きたいです!」
沙希が勢いよく挙手して尋ねる。
好きこそ沙希の原動力。これを聞かずして何を聞く、と言わんばかりに張り切って手をまっすぐと突き上げた。
「いいわよ。それじゃあ私たちの世界、メルセイムについて話をしましょうか」
フィルフィーネが両手を合わせて握り込み、ぱっと手を離すと、小さな丸い魔力の球体が宙に浮かんだ。
球体は微弱に発光していて、表面にはなにやら模様が描かれている。
ゆっくりと回転するその球を、沙希は興味深そうに見つめる。
「わー! なにこれ魔法⁉」
「魔力で再現した私たちの世界だよ。メルセイムはこことは違う別の世界にある小さな星の一つ。世界樹を中心とした、大地のほとんどが緑で覆われた生命力溢れる星だったの」
「……だった?」
過去形の言葉に、嫌な予感が悠真の脳裏をよぎる。
フィルフィーネが小さく頷く。
「これは今からおよそ三百年前のメルセイムの状態。……で、こっちが百年前のメルセイム」
フィルフィーネが浮かんだ球体を指先でちょんと触ると、そこから波のように炎が燃え広がって緑が消えていった。ほとんど緑一色だった球体は、あっという間に荒野だらけとなっていた。
大陸の中心や海沿いのごく一部には、まだかろううじて緑が残っていることが分かる。割合で言えば、二割あるかどうか、といったところだろうか。
「そんな……これって、植物たちは全部枯れちゃったってこと?」
「全部ではないけれど、大半は……。ほとんどの大地は枯れ果ててしまって、荒野には魔獣も住めないほど、何も無い死の土地になってしまった。人間が生きていくには、あまりにも厳しい世界になったわ」
「どうしてそんなことに? 二百年の間に、一体何があったんだ?」
「世界樹が枯れてしまったの」
フィルフィーネがパチンと指を鳴らすと、魔力の球は形を変え一本の大きな樹になった。
その樹はとても太く大きく、生命力あふれる樹だった。魔力で再現されたものですら、言葉にしにくい不思議な力を感じるほどに。
どれだけの年数を経て、これほど大きく成長したのか。
悠真には検討もつかなかった。
「これがメルセイムの中心にそびえ立つ世界樹。この樹を研究している魔術師たちの話では、数億年前からあったのではないかと言われているわ」
「数億年……!」
あまりのスケールの大きさに、悠真は言葉をなくす。
……それって、その世界が生まれたときからあったってことじゃないのか?
だが、この話で重要なのは世界樹がいつからあったかではない。
いつまで在り続けられるかなのだ。
「この世界樹は星に根ざし、命を循環させる役目を担っていたの。大樹の葉からはマナを生み出し、マナの恩恵を受けた動物や植物たちが成長し、土に還った命を栄養に再びマナを生み出す。そうしてこの世界――メルセイムの生命の営みは成立していたの」
「なるほど。だから世界樹が枯れてしまったら、マナの恩恵を受けられなくなって困ったことになる、ってことだね」
「植物が育たなくなると、それを餌にしていた動物たちも生きられないし、死骸をリサイクルしてた機能も止まっちゃうよな。大地が汚染されてしまったら、更にマナが生み出しにくいような環境になっていく、ってことか」
顎に手を当てて考察を深める二人に、フィルフィーネは感心した。
「ふ、二人とも賢いのね。まだ簡単にしか話してないのに」
「マナや魔力に関しては、こっちの世界でも似たような知識があるから」
「異世界物としては鉄板だからね」
「……異世界モノ?」
「沙希の言うことは聞き流してくれていいから……」
えーなんでー、と怒る沙希を無視して、悠真は続きを促す。
「そもそも、なんで世界樹は枯れてしまったんだ? それだけ昔からあるってことは、もしかして寿命だったりするのか?」
「いいえ。正確に言うと、まだ完全に枯れたワケではないの。世界樹としての機能のほとんどが突然止まってしまって……その原因もはっきりとはしていなくて。多くの魔術師が……それこそ、世界中の魔術師がこの問題を解決しようとしたわ。けれど、世界樹には謎が多すぎた。どれだけ人手と時間を費やしても、決定的な解決策は見つからなかったわ」
世界樹という、遥か昔から在ったとされる一本の木。当然のようにそこに在り、マナの恩恵を授けてくれる不思議な木は、メルセイムに住む人たちにとって、あまりにも身近で、あまりにも遠い存在だった。
メルセイムの魔術師たちは、世界の成り立ちに向き合う時が来たのだ。
それがどれほどのことなのか。地球に生きる悠真たちには想像もつかない。
……化石や遺跡の調査とは違って、相手は生きてるんだもんな……。
「世界樹を調べるにしても、一つ問題があったの」
「問題?」
「世界樹がある場所がすっごく遠くにあるとか、移動しにくいとかじゃない? ほら、ゲームとかだと世界樹って大体人間の生活圏から離れた場所にあるから」
「げーむ? が何かはよくわからないけれど……。たしかに、世界樹がある『
マナと呼ばれる生命エネルギーは、人間にとって高純度な酸素のようなものだ。無くてはならないものなのに、生き物それぞれに許容できる限界量があり、それを超えてしまえば毒になる。
『星域』は世界樹が根を下ろす、まさにお膝元とも言える場所だ。最もマナが集まる場所であり、最も世界樹によるマナの恩恵を受ける場所だ。土や空気、植物たちも、全てに高純度のマナがあふれており、耐性の無い人間が生身で足を踏み入れれば、数日ももたずマナ汚染により廃人と化してしまう。
「マナの許容量が高い人間や、一部の限られた魔術師だけがこの『星域』で活動できる。だから、そういう魔術師たちを集めて、世界を救うための研究組織を立ち上げたの。それが、さっき私たちが戦ったアミスやヴォイドの所属する〈協会〉と呼ばれている組織よ」
フィルフィーネが指を鳴らすと、空中になにかのマークが浮かび上がる。
一本の杖を中心に、木のツルが纏わりついているようなマークだ。
そのマークに、悠真は見覚えがあった。
……アミスのしていたブレスレットに、たしか同じマークがあったな。
「〈協会〉……それが、あいつらの組織の名前か」
アミスやヴォイドたち、多くの魔術師たちが力を合わせるために作り上げた集合体。
……世界を救うための組織? あれが?
悠真には到底そうは思えなかった。
人を殺すことになんのためらいもなかった。むしろ嬉々として、殺しを楽しんでいるような奴らが、とても世界を救うために動いているとは思えない。
眉をひそめる悠真を見て、フィルフィーネは少し悲しそうに言う。
「〈協会〉の始まりは、世界樹を元に戻す方法がないか研究するための組織だった。けれど、時間が経ち組織の人員が増えるにつれて、その方向性はバラバラになっていったの」
「有名になったバンドが音楽の方向性の違いで解散するようなものだね」
「それはなんか違うだろ……」
喉が渇いた悠真が冷蔵庫からお茶を取り出している間に、沙希がフィルフィーネに質問する。
「フィーちゃんもその〈協会〉っていう組織の人なの?」
「……元、ね。今は〈協会〉を裏切って一人放浪の身ってところかしら」
「裏切ったって、どうして?」
「……その理由について話す前に、〈協会〉が見つけた世界を救う方法について話をしなくちゃいけないわ」
「世界を救う、方法……?」
魔力で再現された世界樹の足元に、一人の人間が登場した。
その人間は、世界樹に対して恭しく祈りを捧げているように見えた。
「まるで神様に祈る神官みたい」
沙希の言葉は当たらずとも遠からずだったようで、フィルフィーネは首を縦に振った。
「これは聖女。世界樹にマナを還すことができる唯一の存在。彼女が世界樹にその命を捧げることで、世界樹はその機能を回復することができる」
悠真は一瞬、フィルフィーネの言葉の意味を理解できなかった。……理解したくなかった、というほうが正しいかもしれない。
お茶を注いだコップを沙希とフィルフィーネの前に差し出しながら、嫌な予想を口に出す。
「命を捧げるって……生贄になるってことか?」
悠真の言葉に、フィルフィーネが頷いた。
「そういうこと。聖女の魂の質によって、世界樹の機能が回復する期間も変わるわ。大体が二、三年ほどで、よくても五年。それが終われば、また新しい聖女が生まれ、捧げられる。その繰り返し――」
苦虫を嚙み潰したような表情で説明するフィルフィーネ。
……なんだよそれ。それが、そんなものが世界を救う方法なのか?
納得できないという顔を浮かべているのは、悠真だけではなかった。
「そんなの酷いよ!」
テーブルの上で拳を握る沙希。前のめりになってフィルフィーネへと質問する。
「何人もの魔術師が集まって、そんな悲しい答えしか出ないなんて……それが百年も前から続いてるの?」
「そうよ。世界樹が枯れ、世界が終わり始めてから唯一見つかったのが、この聖女の存在。私たちメルセイムに生きる命は、聖女にすがるしかなかったの」
フィルフィーネは受け取ったコップを両手で持ったまま悔しそうに下唇を噛む。
悠真は想像以上に深刻な異世界の状況に言葉が出てこない。異世界に純粋な憧れを抱いていた沙希でさえ落ち込んでしまっている。
「聖女の魂が世界樹に捧げられてからしばらくすると、また新たな聖女がこの世界に生まれてくる。そうやって世界樹は衰えた自らの力を循環させようとしたのよ」
「ちょ、ちょっと待った! もしかして、聖女って世界樹が生み出してるのか?」
「えぇ。生み出すというより、選ばれるって言う方が正しいかな。ある日突然、世界樹に選ばれた女の子の中に特別なの力が宿るの。この力を育てることで聖女として覚醒させ、魂の質を上げることで、より長く世界樹の機能を回復できるようにするのが〈協会〉のもう一つの役割よ」
淡々と話すフィルフィーネの言葉がうまく頭に入ってこない。
言っていることはわかるのに、頭が理解することを拒んでいるようだ。
……聖女として選ばれる、か。言い換えれば、ある日突然生贄として命を捧げることを強制されるってことだろ。なんだそれ。
しかも供物としての質を上げるべく育てられる環境ができあがっている。これではまるで――。
「……家畜みたいだ」
聖女を選定する世界樹も、聖女を捧げる人間も、酷く歪んでいるように思えた。
しかし、これは生きるか死ぬか、その瀬戸際で絞り出された唯一つの解答なのだ。
なんの危険や疑念もなく、日々穏やかな毎日を生きる悠真たちの世界とは、かけ離れた世界の話だ。
悠真たちの価値観では推し量れないものが、間違いなくそこにはある。
「うー、こんな時こそ異世界へ転生した勇者がチート能力で世界を救うべきなのに……」
「それは創作上の話だってわかってるだろ沙希。フィーネにそんなこと言うのは失礼だろ」
「……あっ」
平和な世界で生きているからこそ、窮地に陥った異世界が救われる物語を楽しむことができる。
もし、自分が生きる世界が同じような危機に瀕したら、そんな物語を同じ気持ちで楽しむことができるだろうか。
沙希は自分の発言が失言だったと気付き、フィルフィーネに謝罪した。
「ごめんね、フィーちゃん。私、フィーちゃんの気持ちも考えないで……」
「いいえ、気にしなくていいのよサキ。あなたたちは、こんなに素敵な世界で生きているのだから……。今の自分の人生を大切にして」
「……うん」
フィルフィーネは沙希の手を優しく握りながら微笑みかける。
沙希はひまわりのような笑顔を咲かせ、強く頷いた。
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