第11話「翠緑色の槍使い」

 悠真は差し出された手を取ると、想像以上の力でぐっと引き寄せられ、


「うおっ……!」


 勢い余って、彼女の豊満な胸に顔をうずめてしまう。


「ぶっ……」

「ちょっと、ほんとに大丈夫? ……うーん、なんだか魔力の流れが悪いみたい。不純物でも詰まってるのかしら。ゆっくりとでいいから、少しずつ魔力を全身に流して。頭から指先まで、神経の隅々に感覚を行き渡らせるイメージで。できる?」

「……あ、あぁ。やってみる」


 彼女にもたれかかった体勢のまま、悠真は言われた通りに目を閉じて、自身の体内に流れる魔力へと意識を集中させた。

 血液に乗って魔力が体を循環するイメージを頭の中で描いた。体の中心から足先へと魔力が流れていくのがわかる。閉じていた神経が、魔力によって再び開いていくような、そんな感覚。

 足の裏から伝わる地面の感触を取り戻し、悠真はようやく安心することができた。


「ありがとう。もう一人で立てるから」

「そう、よかった。ならちょっとここで待っててね。奴らを追い払ったあとでゆっくりお話しましょう。キミにもいくつか聞きたいこともあるし」

「追い払うって……あいつら魔術師だぞ⁉ それもかなりヤバい感じの――!」

「――大丈夫。私の方が強いから」


 彼女は笑ってウィンクをすると、悠真に背を向けて前に出た。

 左手を前に出すと、どこからともなく一本の槍が飛んできて彼女の左手に収まった。

 その槍は、さっき彼女が投擲とうてきした槍だ。

 全長一メートルはある長槍を、彼女は器用にくるくるともてあそぶ。

 独特な意匠をこらしてある柄には、見たこともない文字が刻まれている。スカーフのように巻かれた布は淡く光っており、穂先には十文字槍のような鋭い刃が輝いていた。

 槍を構える彼女の前に、アミスが鼻息を荒くして現れた。


「……アンタやっぱりこっちの世界に来てやがったのか――フィルフィーネ!」

「今はあなたとやり合うつもりはないわ、アミス。相棒を連れて退いてくれないかしら」

「そうやっていつもいつも上から目線で偉そうに……一体何様のつもりだ?」

「偉そうもなにも、私はもう〈協会〉の人間じゃないわ。だからこうして頼んでいるじゃない」

「だったら尚更アタシがアンタの言うこと聞く義理はねぇよなぁ……? どうしてもって言うんなら、せめて膝折って頭地面に擦りつけてから言えよ」

「それはできないわ。だって、それで許すつもりもないでしょ、あなた」

「よくわかってんじゃねぇか。……いい機会だ、こっちの世界の土の味を教えてやるよッ!」


 アミスの言葉を皮切りに、茂みの中から怒り狂った獣が飛び出してきた。

 ヴォイドだ。


「――『送り人』オォッ!」


 一瞬にしてフィルフィーネに肉薄すると、斧を横振りしフィルフィーネへ叩きつけた。

 悠真に対して繰り出されたものよりも遥かに激しく、禍々しい魔力が込められている。


「オオォァアアアアア!!」


 振り下ろされた斧は一撃では終わらず、連撃となって何度もフィルフィーネへと振るわれた。

 フィルフィーネは涼しい顔で、槍一つであっさりとさばいていく。

 縦からならば横へ、横からならば縦へ。繰り出される斧に対し正確に槍をぶつけては斬撃の軌道を逸らしていく。

 夜の公園に響く剣戟けんげきの音はあまりにも非現実的で、悠真は肉眼では捉えきれない両者の動きを呆然と眺めていることしかできなかった。

 流連な舞を踊るかのようなフィルフィーネの姿から目が離せない。

 白いローブがマントのようにたなびくのが幻想的で、彼女が一つステップを踏むたび、悠真の鼓動が一つ跳ねた。


「……綺麗だ」


 目の前で命のやり取りが行われているというのに、なんて緊張感のない感想なのだろう。

 だが紛れもなく、悠真の心の底から出た純粋な言葉だった。

 月光を浴びる翠色の髪がそうさせるのか、悠真の目には彼女がまるで妖精のように映った。

 やがてヴォイドに疲労が蓄積し始めたころ、フィルフィーネは槍を回転させ握り手を変えると、石突いしづきでヴォイドの胸を突き飛ばした。


「はっ――!」

「ぐあッ……!」


 鈍い打撃音とともに、ヴォイドの肺から強制的に酸素が吐き出される。

 ヴォイドは苦しそうに胸を抑えながら、乱れた息を整えようとする。

 殺し合いの最中において、その隙が致命的なのは言うまでもないだろう。


「せーのっ!」


 ――ずんっ!

 フィルフィーネは地面を踏み抜く勢いで踏み込むと、ヴォイドに再び蹴りを放った。


「がぁあっ……ぬぅッ!」


 ヴォイドは大きくのけぞりながらも、地面に爪を立てて堪える。

 口内が切れたようだ。血の味がする唾を吐き捨ててフィルフィーネをにらみつける。


「さっきの悪趣味な煙は、この斧が発動元でしょ。危ないから没収ね」


 フィルフィーネは、ヴォイドから奪った斧を後ろへ向かって放り投げる。斧は回転しながら飛んでいき地面に突き刺さった。

 あの霧の正体はヴォイドの魔術によるもの……ではなく、この斧にめ込まれている魔石によるものだ。

 あくまでヴォイドは魔力を流しトリガーを引くだけの存在。

 だからこうして物理的に手放させてしまえば、魔術の使用は不可能となる。

 フィルフィーネの手際の良さに、アミスは敵ながら感心してしまう。

 だが、二人の攻防の間にアミスの準備は完了していた。


「下がってな、ヴォイド。こっからはアタシがやる」


 アミスの言葉に、ヴォイドが小さく頷く。

 彼女はただ傍観していたわけではない。

 準備に時間のかかる魔術をつつがなく起動させるために、ヴォイドが先行したに過ぎない。

 それが、彼女たちのいつもの戦い方だから――。

 ベンチの脇から飛び出してきたアミスは、右手で自身の左眼を覆いながら魔術を起動する。


「惑い迷いて踊れや踊れ。虚妄きょもうの世界に溺れちまいな! ――《夢幻離宮エフェメラル・パレス》!」


 アミスの右眼がフィルフィーネを捉えた瞬間、ドロドロとした泥のような魔力がフィルフィーネの全身を包み込んだ。


「なんだ……何が起こったんだ?」


 アミスの魔術は間違いなくフィルフィーネに当たった。何かしらの効果が作用しているはず。

 けれど、一部始終を見ていたはずの悠真にも、何が起こったのかわからない。


「なにこれ……? 気持ち悪いわねっ」


 フィルフィーネも首をかしげながら腕を振ったり、足を上げてみたりしている。

 傍から見ても、どこかフラフラとした様子だ。

「あははっ、出来の悪い人形みたい。――さあ、踊りなさいフィルフィーネ!」

 アミスはどこからともなく黒くて細長い針を取り出した。

 黒蜂くろばちと呼ばれる特製の暗器だ。

 アミスの両手――合わせて八本の針は、光を吸収する特殊な染料で全体が黒く塗られており、一度手元を離れれば、薄暗い夜闇に溶け込むことでその姿を隠してしまう。

 夜半では特に視認性が悪く、防御や回避は困難となる。


「――はっ!」


 黒蜂が横幅いっぱいに広がりながら獲物目掛けて飛翔する。

 左右どちらに動いても完全に避け切るのは難しいと判断したのか、フィルフィーネはその場で大きく上空へと跳躍した――。

「えっ、なんで……⁉」


 ――のに、なぜか本人が驚いていた。


「空中なら避けらんねぇだろ!」


 待ってましたと言わんばかりに、再びアミスが黒蜂を放つ。今度は正確にフィルフィーネに狙いを定めている。


「ふっ……!」


 フィルフィーネは槍を左手に持ち替えてから、視認できないはずの針を容易く薙ぎ払った。


「はあっ⁉ まさか見えてんのか? どんな目してやがる⁉」

「ほとど見えてないわよ。あなた以外は、ね」


 確かに針の視認性は悪いが、投げた本人の挙動は見えている。

 彼女はアミスの動きから、黒蜂の軌道を予測し、正確に打ち落として見せたのだ。

 悠然と着地したフィルフィーネは、交互に槍の持ち手を入れ替えながら、何かを確かめるように槍を振るった。戦闘の前にやっていたように、両手でくるくると槍を弄ぶ。

 悠真にはその姿がさきほどとは違って、なんとなくややぎこちないように見えた。


「ふーん、なるほどね。大体わかったわ」


 敵を前にして何をしているのか、と悠真は疑問に思ったが、アミスはそれ以上にひどく驚いた顔をしていた。


「……はぁ? なんだよそれ、おかしいだろ……なんでそんな普通に動けてんだよ⁉」


 ……なにをそんなに驚いているんだ?

 悠真の疑問に答えるように、フィルフィーネが喋り始めた。


「さっきの魔術、方向感覚を弄る類いの魔術でしょ?」

「…………っ」


 アミスは無言だが、その表情からフィルフィーネは自身の推測が当たっていることを確信した。

 彼女の言う通り、《夢幻離宮》はアミスと視線が合った人間の視覚情報をかく乱する魔術だ。見えているものはいつもと同じなのに、上を下だと思ったり、右を左だと誤認してしまう。

 なんといっても厄介なのが、入れ替える方向を術者が自由に設定することができるという点だ。

 たとえ時間をかけて慣れたとしても、また視界がシャッフルされてしまう。

 一度術中にハマると抜け出せない。それが、《夢幻離宮》の最大の利点……の、はずだったのだが――。


「さっき私はあなたの攻撃を右に避けようとした。でも実際には、気付いたら上に跳んでいた。ということは、私は右を上だと思い込んでしまっている。でも今こうして頭で考えてきちんと話せてるってことは、多分体を動かそうとする瞬間にだけ作用してるんでしょうね。まあ、そのせいで余計に混乱するのが、この魔術の真の狙いなんでしょうけど」

「……バケモンかよ」


 魔術の仕組みをほとんど言い当てられてしまい、アミスは悪態をついた。


「察しの良さは褒めてやるが、アタシの魔術は理解したところでどうしようもないのさ。他人の体を操作しているようなもんだからな。意識と認識のズレに酔っちまいそうだろ?」

「全然? もう覚えたもの」

「………………は?」


 アミスは今度こそ絶句した。

 フィルフィーネの言っていることが理解できず、間の抜けた声を出してしまった。

 ……覚えただぁ? 何を言って――。


「今の私にとって右が上、左が下、上が左、下が右。あとは……前後も逆になってるっぽいわね。――ほら、これでもういつもと変わらないわ」


 魔術のタネを暴いたのみならず、あろうことか、すでに攻略したときた。

 フィルフィーネはなんでもないことのように言ってのけたが、どう考えても常軌を逸していた。

 右へ移動しようと思えば体は左へ進むとか、前へ進もうと思ったら後ろへ下がってしまうだとか、そんな話では済まない。術者の任意でぐちゃぐちゃにされた方向感覚は、例えるならゲームのコントローラーのボタン配置を全てバラバラに組み替えられたようなものだ。

 どこになんのボタンがあるのか、どこを押せばどう動くのか。それを全て試して把握したのだと、フィルフィーネはさらりと言ってのけた。

 把握できたとしても、普通は体が言うことを聞かない。

 右利きの人間に突然左手で文字を書けと言って、綺麗に書けるわけがないのだ。

 仮にできたとして、それをほとんどラグなく身体動作に反映できるなど、あまりにも人間離れし過ぎている。

 しかし、フィルフィーネは嘘はついていないと言わんばかりに、両手で軽々と槍を振るっている。最初のような優雅さこそ薄れてはいるが、問題なく体を動かせているように見える。

 こうなってしまっては、術をかけ直しても意味がない。むしろ魔力を消費する分、アミスの方が疲弊してしまう。


「ふ、ふざけるな! そんな簡単にアタシの《夢幻離宮》を攻略されてたまるか! 一度キマれば、まともに立っていることすら難しいんだぞ……!」


 悔しそうに唇を噛むアミス。

 腰のホルダーから一対のナイフを取り出すと、右手と左手それぞれに握りしめた。

 肩の力を抜きだらんと腕を下ろし、


「シッ――!」


 次の瞬間には弾かれたように地を蹴り、フィルフィーネの喉元目掛けて切りかかった。

 ナイフが鋭く空を裂く。突いて、払って、薙いで、切って、また突いて。

 何度も繰り出される致命の一刀を、フィルフィーネは体捌きだけで一つずつ的確に避け続けた。


「クソがクソがクソがクソがあああッ!」


 ――当たらない。当たらない。かすりさえしない。

 フィルフィーネの皮膚をなぞるかのような、紙一重の回避が連続する。

 フィルフィーネは、アミスのナイフを完全に見切っていた。

《夢幻離宮》による身体操作の遅延があってなお、アミスのナイフはフィルフィーネを捉えられない。

 ナイフの刃がフィルフィーネの肌を傷つけるまで――あと数センチ。

 そのごくわずかな距離が、アミスにはあまりにも遠すぎた。

 機を見てフィルフィーネが攻勢に出た。

 アミスが左腕を突き出した瞬間を狙って、槍でナイフを下から上へと弾き飛ばした。


「――! ……そらあッ!」


 アミスが苦し紛れに右手に握ったナイフを突き出すが、崩れた態勢からの苦し紛れに過ぎない。

 フィルフィーネは伸びた右腕を取ると抱えるようにしてアミスを肩に担いで、


「そーれっ!」


 背負い投げの要領で思いっきり放り投げた。

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