第9話「異世界からの来訪者」
「すっかり遅くなっちまったな」
悠真が電車を降りた頃には、時刻はすでに八時を回っていた。
沙希には遅くなると連絡を入れたのだが、『早く帰ってこ~い』というトークと一緒に夕飯の画像が送られてきていた。
……先に食べてろって言ったのに。
沙希は昔から変なところで頑固なのだ。
沙希のためにも早く帰らねばと、悠真は自宅へと急いだ。
夜の住宅地に人の気配はなく、闇を照らす街灯が等間隔に並んでいる。走っている自分の足音だけが響くのがなんとも不気味で、自然と悠真の足運びは速くなった。
――ふと、悠真は足を止めて後ろを振り返った。
誰もいない。遠く離れた街灯まで、いくつもの光が点々と見えるだけだ。
……気のせいか。
今日は満月だ。空には月が煌々として浮かんでいる。
太陽のように明るい月の光により、周囲はいつもより明るい。誰か居ればすぐにわかるほどに。
悠真は勘違いかと思いながら、再び歩を進めようと前へ向き直った。
――その直後。
カツン、とひとつ何か音が響いた。
悠真が履いているスニーカーのものではない。
「やぁ、少年。ちょっといいかい?」
今度こそ気のせいではない。やや低い女性の声が、悠真に声を掛けてきた。
悠真はゆっくりと後ろを振り向き、声の正体を確かめた。
女性は街灯の下で、まるでスポットライトを浴びる役者のように笑いながら立っていた。背は悠真よりもやや小さい、およそ百六十センチ弱といったところだろうか。
夜はまだ冷えるというのに袖のないセーターを着て、下はミニスカートを履いている。健康的な素足が目に入ってくるが、悠長に見惚れている場合ではない。
暑いのか寒いのかよくわからない格好をした奇妙な女性を観察しながら、悠真はしばし何も言わず黙っていた。
「ちょっと、聞いてる? 人のカラダじろじろ見てないで返事しなさいよ」
「えっ、あ、な……なん、ですか?」
視線はバレていたようだ。
流石に失礼だったかと、悠真はたじろぎながら返事をしてしまう。
「いやね、確認だけしておこうと思ってね。魔力の感じ的に、ボウヤで間違いないとは思うんだけど、念の為ね、念の為……」
……! 今、魔力って……。
その女性はゆっくりと悠真に近づいて、月を見上げるように悠真の顔を下から覗き込んで、こう言った。
「ボウヤの名前、“藤代悠真”であってる?」
「――――っ!」
悠真は反射的に飛び退いて身構えた。
同時に、魔力というワードに強い反応を示してしまったことを後悔した。まだ知らぬ存ぜぬを貫けば、別人の振りをしてやり過ごせたかもしれないのにと。
けれど悠真は反応してしまった。言葉以上に明確な回答を示してしまったのだ。
女性はにっこりと笑って胸を張る。
「やっぱりね。私のカンは当たるのよねー」
「……誰ですか、あなた」
「私? 私はアミス。まあ本名ではないんだけど、今はこの名前しか使わないから、それで覚えていいよ」
「アミス?」
……外国人か? こんなところに? しかも俺を探して?
このアミスという変な女性に悠真は覚えがなく、また自分を訪ねてくる理由にも心当たりがなかった。
魔術に関係のある人だということだけは推測できたところで、悠真は重ねて質問する。
「俺に何かようですか」
「正確にはキミにじゃないんだけど……一応キミのことも本題における重要事項の一つではああるっていうか……つまりね」
アミスはまた一歩踏み出す。
後ろで手を組んだ姿勢のまま、前かがみになりながらアミスはにやりと妖艶に微笑んで――。
「――とりあえず、死んでくれる?」
「は?」
――カツン。
……金属音?
悠真は嫌な予感に背筋を凍らせながらも、本能的に後ろを振り返った。
闇夜を切り裂くようにして現れたのは、バカでかい斧としか説明できないような、ふざけた凶器を持った大男だった。
カツン、と斧に括られているキーホルダーのような銀細工が音を鳴らす。
……そうか、この音はこいつが斧を振り上げた時に鳴った音だったのか。
悠真が悠長に音の正体を分析している間に――、
「オオオオオオオオッ!」
――大男が頭上高く振り上げた斧が、悠真目掛けて振り降ろされた。
「うわぁあああああああああああ⁉」
斧が振り下ろされるよりも一瞬早く、悠真は地面に身を投げ出した。
――バガァアアンッ!
爆音と共に粉砕された道路の破片が宙を舞う。
パラパラと降り注ぐ破片が頭を白く染めながら、悠真は自分がまだ五体満足であることを確認する。
ほんの数秒前まで自身が立っていた地面は、見るも無残に砕け散り大きな穴が穿たれていた。避けられなければ人間の体など、握りつぶされた豆腐のようにぐちゃぐちゃになっていたに違いない。
悠真は壁にもたれ掛かりながら立ち上がり、どうにか体勢を整えると大男を見やった。
大男は真顔で斧を肩に担ぐと、ふんっ、と鼻息を鳴らした。
「ちょっとヴォイド! 加減しろっていつもいってるだろ! 誰が隠蔽すると思ってんだ!」
「……すまない、アミス」
アミスに叱責されたヴォイドは、無表情のまま申し訳なさそうに謝った。
アミスはご立腹ではあるものの、いつものことなのか、あまり気には留めていないようだ。
……っていうか、アミスって人の方が立場が上なのか? 外見だけで判断するべきじゃないんだろうけど、正直意外だ。
悠真が二人の関係性を考察していると、アミスが頭をかきむしった。
さっきまでとは打って変わって、荒い口調で悠真に言い放つ。
「お前もめんどくせえから逃げんなよ。さっさと潰れちまいな」
「……だ、誰が黙ってやられるかよ……!」
何が何だかわからないが、このままむざむざやられるわけにはいかない。
勇気を振り絞り、悠真は震える足に力を込める。
……理由はわからないが、こいつらは明確に俺を殺そうとしてる。このままここに居ちゃマズい。どうにかして逃げないと……!
周囲を観察し退路を探すが、ここは住宅地だ。周りは普通の一軒家やアパートしかなく、身を隠せそうな場所はない。民家へ逃げ込もうものなら、そこに住んでいる住人を巻き込んでしまうかもしれない。
壁を背にして立っている今、逃げ道は左右どちらかしかない。右に走り出せば元来た道を引き返すことになる。逆に左に走り出せば、自宅の方へと逃げ帰ることになってしまう。
……どうする。考えろ。考えろっ……!
アミスはヴォイドの横っ腹を殴りながら指示を出す。
「おら、さっさとしろ」
「……次は当てる」
ヴォイドが再び斧を振り上げる。
両腕に力を込めて、斧を振り降ろそうとした――その瞬間。
……今だッ!
悠真は意を決して、ヴォイドに向かって突進した。
「ぬんっ――?」
まさか獲物が正面から向かってくるとは思っていなかったのか、ヴォイドは一瞬動きが止まってしまう。
腕を伸ばした状態で大きな獲物を振り降ろそうとすれば、どうしたって懐はがら空きになる。
悠真はその隙を見逃さず、ヴォイドの腹部にタックルをお見舞いした。その勢いのままに、ヴォイドの右脇へ転がるようにして退避し、窮地を切り抜ける。
「……コイツ、ちょこまかと……!」
「あんたがノロマなだけだろ」
悠真は挑発するように言い放つと、ヴォイドに背を向けて走り出す。
ヴォイドは顔を真っ赤にして怒りだし、血管が浮き上がるほど怒りのボルテージを増していった。
「……調子に乗るなよ小僧ッ……!」
三度繰り出される斧の攻撃は、すでに走り出している悠真を捉えられずに地面を砕いた。
悠真は巻き上げられた粉塵を煙幕代わりに、無事逃げ出すことに成功した。
なぜか手を出さなかったアミスは、呆れたような口調でヴォイドに言った。
「あーあー、逃げられちまった。どうすんだいヴォイド」
「……決まってる。殺す」
「だったら最初からちゃんとやれっての。これ以上余計なモン壊したら許さねえからな」
「……わかった」
最初のどこか舐めた態度とは違う。ヴォイドは本気になっていた。
それはまさしく、獲物を狩る狩猟者の目だ。
アミスとヴォイドは逃げた悠真を追いかけるべく、地を蹴り民家の屋根へと飛び移る。
一足飛びで屋根から屋根へと跳び移る狩猟者たちに対し、なす術もなくただ逃げることしかできない悠真。
まるで地を駆けずり回るネズミが、鷹に狙われているようだ。
捕捉されるのは、時間の問題だった。
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