第8話「消えないキズアト」

 駅前は鳴滝市なるたきしで一番栄えている都市部だ。

 大きな商業施設が所狭しと乱立し、高層ビルの数も年々増え続けている。

 街の人たちもせわしなく歩き回っており、大型ヴィジョンにはいくつかのCMが流れている。

 悠真はそんな喧騒けんそうの中、どこか別の世界へと迷い込んでしまったような感覚に陥っていた。

 元々人混みが得意ではないのだが、今日はいつにも増して自分が場違いなような気がした。

 ……いない。

 無意識のうちに、この人混みの中、下校中に出会った謎の女性がいないかと探してしまっていた。

 ……てかいるワケないだろ。学校とは方向が全然違うし。そもそも居たとしてどうするんだよ。

 無駄な自問自答だ。

 なぜこんなにも気になるのか、その理由すらわからず悠真が視線を泳がせていると、


「きゃっ……!」


 前から歩いてくる人に気づかず、肩がぶつかってしまった。


「す、すみません……」

「いいえ、こちらこそ余所見をしていたので。失礼いたしました」


 ぶつかった背の低い方の女性は、眉ひとつ動かさぬまま謝罪すると、そのまますたすたと歩き去っていった。

 前を見ていなかった悠真も悪いのだが、この女性も形だけの返答で、とても謝っているようには見えなかった。

 悠真が少しもやっとしていると、もう一人の背の高い方の女性が笑いながら喋り出す。


「ごめんねー☆ 茜音あかねお姉ちゃんは頭が固くって、考えごとしてるとすーぐ周りが見えなくなっちゃうの。ちゃんと前見て歩こうねー、お姉ちゃん♪」

朝音あさね、いいから早く行くわよ」

「はーい! んじゃまたね、少年♪」


 朝音と呼ばれた背の高い方の女性は、悠真の頭を撫でてから姉の元へと駆けていった。

 再び並んで歩き始めた姉妹の後ろ姿を見ながら、


「……変な姉妹」


 と感想をこぼした。

 まさに凸凹コンビという言葉がピッタリだな、とも思った。

 家に帰ったら、沙希に偶然であったヘンテコな美人姉妹のことを話してみようかと考えながら、悠真は再び歩き始めた。


  †


 病院のエントランスをくぐり、待合室の椅子に座って、千枝ちえにトークを飛ばす。

 数分後に既読がつき、待つこと五分。病院の奥から千枝がやや小走りでやってきた。


「お待たせー。わざわざ悪いわね、悠真」

「別にいいよ、このくらい。はい」


 悠真はぶっきらぼうに答えると、鞄を千枝に渡した。

 千枝は鞄を受け取ると、空いた手で悠真の頭を優しく撫でた。


「……ねぇ悠真。なにかあった?」

「え?」


 本当に唐突だった。

 漠然ばくぜんとした質問に、悠真は一瞬言葉に詰まった。

 どういえば言いものかと少し悩んでから、たどたどしく言葉を選びながら言う。


「朝、ちょっとトラブルがあったっていうか……今はもう大丈夫なんだけど……その、俺もよくわかんなくてさ」

「そう……まあ、悠真が大丈夫って言うなら、きっと大丈夫なんでしょうね」


 悠真の言葉に千枝は何も聞き返すことなく、ただ笑い返すだけだった。

 悠真が魔術を扱えることを、千枝はもちろん知っている。

 そもそも悠真に魔術を教えたのが彼の祖父……千枝の父親なのである。

 同様に、千枝にも魔術の心得はあるということで――。

 千枝に全部話して相談しようか、と思い付きで開きかけた口を閉じた。

 誰が聞いているかもわからない病院内で、おいそれと魔術の話をするわけにはいかない。

 悠真の様子からなんとなく事情を察した千枝が、小さく息を吐く。


「詳しいことは明日帰ってから聞かせてもらうわ。私も仕事があるし、沙希も家で待ってるんでしょ。早く帰ってあげなさい」

「……わかった。じゃあ、仕事がんばって」

「ありがと。悠真に応援してもらえるなら、元気一万倍だわ。気をつけて帰りなさいよ」


 花が咲いたように笑うと、千枝は仕事へと戻っていった。

 悠真も家に帰ろうと歩き出した時、その前を一台のストレッチャーが通り過ぎた。

 どうやら交通事故があったらしい。

 大怪我を負った一人の女の子が病院内へと運び込まれる。

 少女は頭から血を流し、苦痛に顔を歪ませている。止血用のガーゼは真っ赤に染まり、かわいらしい洋服も、血でべっとりと汚れてしまっていた。

 視界が揺れる。胸がざわつく。

 ここにあるはずのないものが、悠真の視界に重なって見えた。


 ……あかい。真っ赤な血。


 血だまりの上で動かない少女の体。

 かすれた呼吸と共に聞こえる、だれかを呼ぶ声。


 ――お、に……ちゃ……ん……。


 今でも鮮明に脳裏に焼き付いて消えない、あの日の光景。

 忘れるなと言わんばかりに何度も何度も夢に見た。

 悪夢ではない。ただの事実だ。

 壊れた映写機が同じ映像を何度も上映しているに過ぎない。

 手足を動かすことができず、ただ黙って見ていることしかできない状況で、震える唇を噛みしめ、心臓の痛みをこらえ、やがて呼吸の仕方さえ忘れて、早く夜が明けるようにと祈るしかない……そんな夢。


「――――っ!」


 気が付けば、悠真はいつもと変わらない病院のロビーにぽつんと立っていた。

 すでに救急隊も少女の姿もない。

 所詮しょせんは他人事だ。自分と関係のない人が死にかけていたとしても、周りの人たちは気にも留めないだろう。命を救うのは医者の仕事であって、自分たちはここに助けを求めに来ているのだから。

 それが普通――。


「――普通って、なんだよ」


 悠真は体の横で静かに拳を握った。

 ……家族が付いていてくれるなら、きっと大丈夫。

 さきほどの少女の無事を心の中で願って、くるりと振り返った。

 リノリウムの床を叩く無機質な足音に、後ろ指を差されているような気分になりながら、悠真は逃げるように病院をあとにした。

 外はもう、真っ暗だった。

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