第7話「放課後のまれ人」

 五月が終わる頃になって、日中は徐々に暑さを増していた。

 朝のニュース番組の天気予報がいうには、どうやら今年は例年よりも気温が高いらしい。

 制服を着ていると、じわじわと暑さが体の内側に蓄積してくる。

 学校が終わり日が傾き始めたにも関わらず、なかなか気温は下がってくれない。

 悠真は坂を下りながら、額ににじむ汗を制服の袖で拭う。


 「あつい……」


 学校から藤代家までは、徒歩でおよそ二十分ほど。

 山の上に建てられた学校を出て坂を下り、商店街へと入る。小さな川に掛かった橋を一つ渡って、その先の住宅地を進んだところに藤代家はある。

 バスも通ってはいるのだが、本数は少なく停留所も通学路からはやや外れているため、あまり利用しない。雨の日に利用することはあるが、最近はダイヤ改正で本数も減ってしまったため、ますます使わなくなっていた。

 まだ学校を出て十分弱だが、直射日光に焼かれる悠真は、喉の渇きを感じていた。

 ……自販機で飲み物でも買うか。

 これが本当に五月の暑さか? と思いつつ、悠真は足早に自販機を求め商店街へと向かった。

 この最寄りの商店街は、小さいながらも様々なお店が並んでいる。住宅街からのアクセスも良いため、この辺りに暮らす人達の生命線とも言える。中でも生鮮食品を取り扱うスーパーは藤代家もよくお世話になっている。

『スペース・センター』――通称スペセン。一通りの食品はこのスーパーで揃う。時折奇妙なセールを行っていることもあってか、地元ではそこそこ有名なスーパーだ。

 奇妙なセールが何かといえば、入口側に立っているのぼり旗を見れば一目瞭然だ。『鏡餅のつかみ取り!』なんてキャッチコピーは、この店以外ではまずお目に掛かれない。

 地元の人たちもノリがよく、不定期に開催されるこれらのおふざけはそれなりの反響があるため、店側も「次は何をしようか」と頭をひねるようになってしまった。

 ……別にぼったくってるワケでもないから別にいいんだけど、去年のクリスマスセールの『冷やし中華あたためました』みたいなのは、さすがに勘弁して欲しいぜ……。

 悠真は店内に入ることはせず、外の自販機で冷たいお茶を購入した。

 キャップを開け、勢いよく喉の奥にお茶を流し込む。


「んっ……あぁー、生き返る」


 一息に半分近く飲み干すと、身体中に水分がいきわたる感覚に歓喜していた。

 もう一口飲もうとペットボトルを口先に運んだとき、


「……ん? うわっ⁉」


 白いフードを被った見知らぬ女性が、いつの間にか自分の目の前に立っていることに気が付いた。


「ご、ごめんなさい……驚かせちゃった? その、キミにちょっと聞きたいことがあるんだけど……」


 フードを目深に被ったまま女性は、おずおずと悠真に尋ねた。

 顔が見えない状態で女性だと気づいたのは、凛々しく透き通った声からでも、すらっと伸びた手足の印象からでもない。上から下まで覆う白のローブの上からでもわかるほどの大きな胸がはっきりとその存在を主張していたからだ。

 ……いやいやいや。流石に失礼だろっ。

 悠真は自然と下がってしまう視線をどうにか目線の高さまで持ち上げた。

 この暑い中、どうしてこんな格好をしているのか疑問に思いながらも、悠真は真摯に答えた。


「どうかしたんですか?」

「えっと……この写真に写ってる建物を探してるんだけど、心当たりはないかしら?」


 女性はボロボロの写真を悠真に見せた。その写真は白黒で、ところどころかすれているがよく見ると見覚えのある形をしていた。

 悠真たちの通う学校、鳴滝西高校なるたきにしこうこうの校舎だ。


「知ってますよ。俺、ここの生徒なので」

「ホント⁉」

「はい。この道をまっすぐ進んで、最初の信号を左に曲がって、坂道をずっと登っていけば見えてくるはずです」

「あっちに行って、シンゴウ……ってたしかアレのことよね、あそこを左に……で、坂をのぼる……よし覚えた。――ありがとう! 本当に助かったわ!」


 女性は悠真の手を取り、上下にブンブンと勢いよく振りながらお礼を言った。

 腕に合わせて揺れる胸のド迫力さ加減にどぎまぎしながらも、悠真はその手を握り返した。


「ど、どういたいまして。下校中の生徒がいると思うので、迷いそうならそっちに行ってください」

「了解。ありがとう! それじゃあ!」


 女性が悠真の横を通り過ぎる瞬間、悠真は横目で彼女の姿を追った。

 鼻をくすぐる不思議な香りがした。何かの花の香りのような、ちょっと甘いにおい。

 フードの端からのぞく新緑を思わせる翡翠色をした髪が、とても幻想的だった。

 どうにも目が離せなくて、悠真は彼女の背が見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。

 ……あの人、学校になんの用事なんだろう。

 不思議な風貌ふうぼうの女性のことが気にかかる悠真。

 なぜこんなにも彼女のことが気になるのかは、彼自身にもわからない。

 ただあの女性が、なんとなく……本当になんとなく、少し寂しそうにしていたような気がして――。


「…………帰るか」


 根拠のない妄想だ。

 悠真は残ったお茶を飲み干すと、ペットボトルをゴミ箱に放り投げ、再び帰路に着いた。


  †


 帰宅した悠真は、早々に沙希の部屋の片付けを始めた。

 もしかして今朝のことは夢だったのではないかとも思ったが、今朝と変わらぬ惨状を目の当たりにし、大きなため息しかでなかった。


「はぁ……やるしかないか」


 現実を再認識したところで、気合いを入れ直し掃除を開始した。

 散らかった本を棚に戻し、小物類は一箇所にまとめてから種類分けをした。

 カーテンを直しているうちに、いっそのこと窓も拭いてしまおうと思い、洗面所へ雑巾を取りに向かった。

 掃除の間、ぬいぐるみたちにはベッドの上に鎮座してもらっていた。まるで悠真の仕事ぶりを監視しているようだ。

 こうして、一時間も掛からぬうちに、沙希の部屋はみるみるうちに片付けられていった。


「……うん。よし」


 もはや今朝の騒動以前よりも整理された部屋を見渡して、悠真は満足そうに頷いた。

 途中、沙希が脱ぎ散らかしたままだった服は回収して、すでに洗濯機へと放り込んである。制服だけはキレイにハンガーに掛けてあるのに、どうして私服や寝巻きを同じようにできないのか。いや、そもそも妹が脱ぎ散らかした下着を兄がわざわざ回収するのもどうなのだろうか、と悠真はうんうんと頭を悩ませた。

 健児や仁たちからすれば、役得、ということになるのかもしれないが。

 ……妹の下着なんて、今更どうとも思わないけどな。

 結局、沙希が帰ってくるまでに部屋の片付けはほとんど終わってしまった。

 現在十七時五十分。そろそろ沙希が帰ってくる頃かな、と悠真がリビングに降りた時、テーブルに置いておいたスマホが鳴り始めた。

 手に取ると画面には『藤代千枝ふじしろちえ』と表示されている。母親からだ。


「もしもし?」

『あ、悠真? もう家に帰ってる? ちょっとお願いがあるんだけど』

「何かあったの? 確か今日も夜勤じゃなかったっけ?」

『いやーそれがねー、私うっかり夜勤用の仕事鞄を玄関に置き忘れて来ちゃったみたいなの。悪いけど、職場まで持ってきてくれない?』

「あー……ちょっと待って」


 千枝に言われ玄関の靴箱の上を見てみると、確かにベージュ色の鞄がちょこんと置かれていた。

 看護師をしている千枝にとって、なくてはならない細々こまごまとしたものが全て詰まっている。

 必需品のほとんどは職場に置いてあるとはいえ、どうしてこんな大事なものを忘れてしまうのか。

 悠真はやや呆れながら電話口に応答した。


「わかった。じゃあすぐ持っていく。着いたらまた連絡するから」

『ありがと! じゃ、よろしくね』


 通話を切り、自分の鞄から財布だけを取り出し、千枝の仕事鞄を忘れずに持って家を出た。

 千枝の職場は最寄りの駅から電車で二つ隣の駅まで移動して、そこから少し歩いた場所にある大学病院だ。

 スマホで電車の時刻を確認すると、走れば次の電車に間に合いそうだった。

 どう頑張っても往復には一時間以上掛かってしまうので、沙希にトークを飛ばしておくことにした。


『母さんの職場に荷物を届けてくる。帰るのはちょっと遅くなると思うから、先に晩御飯食べてていいぞ』


 トークを飛ばすと、すぐに既読がつき沙希からスタンプが返ってくる。タスマニアデビルが『了解!』と敬礼しているイラスト付きだ。

 どこでこんなスタンプを見つけてくるのか。

 悠真はスマホをポケットに入れ家を飛び出した。

 電車の発車時刻に間に合わせるべく、少し気合を入れて走るのであった。

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