第5話「両手に花。ただし妹が」

「それで、さっきまでなんの話をしてたんですか?」


 沙希のこの発言をきっかけに、再び今朝の騒動へと話が戻った。

 悠真が撮影した写真をネタにみんなで話を広げていたところだと健児が説明したところ、沙希が顔を真っ赤にして怒りだした。


「お兄ちゃん! 私の部屋の写真勝手に見せないでよ!」

「えっ、いやだって証拠がないと信じてもらえないと思って……」

「だからって年頃の女の子の部屋を、本人に無断で拡散しちゃダメでしょ! デリカシー無さすぎ!」

「ごめん、悪かったって。そんなに怒るなよ」

「大体お兄ちゃんはいつもいつも――!」


 昼休みの屋上で妹にガチ説教される兄の図。

 朋花ともかにまでくすくす笑われながら、悠真はただただ謝り続けた。


「その辺で許してあげなよ沙希ちゃん。私たちもまじまじ見ちゃったから、悪い気がしてきちゃった」

「むー。八尋やひろさんがそう言うなら……」

「沙希さんは異世界に行ってみたいんですか?」


 澪依奈れいなの質問に、沙希は目を輝かせて即答する。


「もちろんですよ! 魔法とかスキルとか使ってみたいですし、勇者として召喚されて魔物を狩りながらお金を稼いで、異世界のグルメとか堪能して、それから剣術学校に入学して剣の技を磨いて仲間やライバルと切磋琢磨したりして、あとは――」

「沙希ストップ、ストーーップ。鷹嘴たかはしが勢いに驚いて固まってる」

「――え?」


 澪依奈はにこやかに話を聞いているように見えるが、実際には頭の上にはクエスチョンマークが飛び交っていた。


「あっ、す、すみません! 私、異世界ファンタジーのことになるとホント喋りすぎちゃって……」

「い、いえいえ。話の内容はあまりわかりませんでしたが、沙希さんの情熱は伝わってきましたから」


 これがオタクの性というものだろうか。

 沙希は「やっちゃったなー」と頭をかいて反省した。


「そもそも、沙希ちゃんはなんでそんなに異世界モノが好きになったんだっけ?」


 八尋の疑問に沙希は一瞬目がギラついたが、数秒前の事故を繰り返すわけにはいかないと、一度深呼吸してからゆっくりと語り始めた。


「私、小さい頃にちょっと入院しちゃってたんです。退院したあとも、周りの子たちみたいに外で遊んだりとかってなかなかできなくて……。そんな時に出会ったのが、異世界ファンタジーの小説だったんです」


 沙希のカミングアウトに、八尋と澪依奈は顔をこわばらせる。

 昔のことを知っている朋花や健児たちは、ただ静かに話を聞いていた。


「ごめんなさい、私、そんなつもりじゃなかったんだけど……」

「気にしないでください。私ももう慣れっこですし、昔の話ですから。それに――今はこうして元気いっぱいですから!」


 沙希はむんっ、と胸を叩いた。

 女子高生とは思えないコミカルな動きに朋花が吹き出した。


「あはは。体は強くなっても、朝は弱いままだけどね」

「むーっ。ともちゃん、それ言っちゃう?」

「中学生の頃、私にモーニングコール頼んできたのはどこの誰だったっけ?」

「それは定期テストの前だけだったからセーフ!」

「どこがセーフなのよ。電話掛けたら沙希じゃなくてお兄さんが電話に出てたじゃない。あの時の気まずさと言ったら……」

「いやー、あの時は本当にご迷惑をおかけしまして……」

「お兄ちゃんが謝るの⁉」


 兄妹の漫才に一同が声を出して笑う。

 ――過去は変えられない。

 思い返して後悔することはあっても、そこから一歩前へ踏み出すことが重要なのだと、彼女はもう知っている。

 今こうして笑えていることのありがたみを、彼女は知っている。

 けれど、沙希とは対照的に悠真はほとんど笑わない。

 周囲が笑いに満ちあふれていても、悠真はそれをやや後ろから俯瞰して見ているかのように表情が固い。

 おどけてみせたり、多少口角を上げて笑っているように見せることはあっても、悠真が心の底から笑うことはほとんどない。

 そんな悠真を、沙希はどこか寂しそうな目で見つめていた。

 ……やっぱり、お兄ちゃんはまだ……。

 沙希は憂いを秘めたまま、お弁当のおかずを口に運んだ。

「しっかし、ホントに異世界なんてもんがあるんだったら行ってみたいよな。バカデカい剣とか振り回して、美少女たちを仲間にしてオレツエーして無双しまくる、みたいなやつ。ハーレムパーティとか作ってみてー」

「欲望の塊ね。これだから男は」

「うっせーぞ神無月。異世界には夢と希望が詰まってるモンなのさ。なぁ、沙希ちゃん」

「そうなのです。 異世界ならなんでもありなんです!」


 お互いに親指を立てて意気投合する健児と沙希。

 なんとも都合のいい話だが、現代社会に生きる人々が自らの願望を投影したものが異世界モノの定番となっているのが現状なので、あながち否定できない。

 異世界はこことは違う可能性に満ちあふれていて。

 異世界は過去とは違う出会いが待っていて。

 異世界は今とは違う自分になれる。

 だからこそ、小説やマンガを読む読者は異世界で生きるキャラクターたちに感情移入するのだ。

 そんな夢を全肯定してくれる作品たちに救われる人がいる。

 それだけはきっと、まぎれもない事実なのだ。


「でも異世界の人たちからすれば、私たちが生きるこの世界こそが異世界なのよね」


 朋花がそう呟いた。

 異世界とはつまり、自分が生きている世界とは別の世界のことを指す。

 であれば、異世界に住まう人たちから見れば、こちらの世界が異世界にあたるわけで。


「異世界からやってきた人たちを心から歓迎してくれるようなやさしい世界なんて、本当にあるのかしら。……私なら、どこからやって来たのかも分からない人なんて信用出来ないし、関わりたくもないけど……」


 悠真は朋花の言葉がとても的を得ている気がした。

 けれど、あまり正論で考えすぎるのは野暮というものだろう。


「ともちゃんは現実的だよねー。そういう異世界からやってきた現代人を排除する系の話も、私は結構好きだけどね」

「沙希ちゃん、もしかして異世界が舞台だったらなんでもいいんじゃ……」

「私はなんでも楽しめる感受性を大事に生きているので」


 どやぁ、と胸を張る沙希。


「ドヤ顔する沙希もかわいい……!」


 朋花が沙希を横から抱きしめる。

 沙希とイチャイチャするのは人前では我慢している、と朋花は以前悠真に言っていたのだが、全然我慢できていない。

 沙希も嬉しそうに朋花の頭をよしよしと撫でている。

 ちょっと過剰なスキンシップを初めて目の当たりにした八尋と澪依奈は、二人してちらりと悠真の方に目配せをするが、悠真は「いつものことだから」と肩をすくめる。

 この二人の間には、兄であっても割り込み難い。


「えーい、私も混ぜろーっ」


 なぜか抑えが効かなくなった八尋が、朋花とは逆側から沙希を抱きしめた。

 朋花は清楚でクールな印象だが、実はそれなりにスタイルがいい。一年生の中ではかなり目立つ存在で、廊下を歩いているだけで男子の視線が集まるほどだ。

 以前はその視線を嫌っていたが、沙希のおかげで今は多少平気になっている。

 八尋は運動部ゆえのやや筋肉質な体を気にしてはいるのだが、周囲の男子からは胸部の柔らかそうな巨峰との対比が素晴らしいと、絶賛の声多数だ。バッキバキは嫌だが、ほどよく引き締まっている体はむしろそそる、という意見も。

 かような二人に抱きしめられては、正気ではいられまい。

 沙希はまさに夢見心地のような状態だった。


「こ、これが天国……えへへ」

「う、羨ましい……っ! 沙希ちゃん、そこ代わってくれ!」

「やめとけ健児。通報されて終わりだ」

「それでもっ、たとえそうだとしても……男なら、退けない時があるだろう⁉」


 ……それは今じゃないと思う。

 面倒なので、口には出さず心の中でそっとツッコミを入れる悠真。

 意外にも澪依奈が試すような口ぶりで悠真に言う。


「藤代くんも興味あります?」


 ――ナニがとは、言うまでもなかった。

 悠真はきょろきょろと視線を泳がせたあと、もごもごと口を動かして答える。


「……そりゃあ、俺だって男だし興味ぐらいは……って鷹嘴、その誘導はずるいだろ」

「ふふっ、やっぱり男の子ですね。私でよければ試して見ますか?」

「えっ」


 ……試す? 試すってナニを⁉

 悠真は思わず生唾を飲み込んだ。視線は自然と澪依奈の胸へと降りていく。

 ――数秒後、にやにやと笑う澪依奈の顔を見て、からかわれていることに気づきかぶりを振った。


「や、やめてくれ鷹嘴! 男の純情を弄んで楽しいか……⁉」

「ふふふ、ごめんなさい。藤代くんをちょっと困らせてみたくて」

「……お前、そんなキャラだったのか?」

「私だって、冗談のひとつくらい言いますよ。藤代くんこそ、私のことを何だと思ってるんですか?」


 にこやかな表情のまま、自分の印象を尋ねる澪依奈。


「……………」

 

 今は何を言ってもロクなことにならないような気がして、悠真は黙って顔を逸らした。

 普段の素行がいい分、こうしてふざける澪依奈は悠真にとって新鮮だった。

 ……冗談で言っていいレベルじゃないだろ。

 不意打ちを喰らった悠真は、真っ赤に火照った顔を冷まそうとペットボトルに入ったお茶を一息に飲み干した。

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