第3話「騒がしい友人たち」

 朝のホームルームが終わると、一時限目までの休み時間の間に二人の男子が悠真の席を囲んで談笑を始めた。


「今日はいつにも増してギリギリの登校だったみたいだなぁ、悠。まーた沙希ちゃんが寝坊でもしたか?」


 髪を茶色に染めた一見チャラそうな長身の男子が悠真の肩を叩く。

 女子にもそこそこ人気の高身長イケメン、棚町健児たなまちけんじは嫌みなく白い歯を見せてくる。


「ただの寝坊ならどれだけよかったか……。いつも寝坊してるようなもんだけどさ」

「毎朝起こすのも大変だな。でもあんなかわいい妹の寝顔を毎朝拝めるのは役得だろ」

「兄妹なのに役得もなにもあるかよ」


 健児の言葉を鼻で笑い飛ばす悠真。


「ま、かわいいのは事実だけどな」

「お前も大概だぞ、悠真」


 本当にこの兄妹は……、と呆れ気味に眼鏡のレンズを拭いている眼鏡男子は水上仁みずがみじん

 健児と並んで、この学校ではそこそこ有名な美男子だ。

 ただし、訳アリなタイプの有名人で、外見的にはどう見ても頭の良さそうなガリ勉くんなのだが、実は全くそんなことはない。


「一時限目の英語は単語の小テストだ。お前たち、勉強しておかなくてもいいのか?」

「俺は平気。塾でもうやったとこだし」

「俺も昨日のうちに暗記済み」


 健児と悠真はしたり顔で笑う。

 それに対して水上は、悔しそうに英単語帳を握りしめた。


「くっ! どうしてお前らはそんなに記憶力がいいんだ。俺だって、昨日二時間かけて筋トレしながら必死に覚えて来たというのに……もう半分も思い出せんっ」

「お前はいい加減筋トレしながら勉強するのやめろよ……」


 水上はこう見えて勉強が大の苦手だ。頭が悪いというより、致命的に記憶力が悪い。人の名前は覚えられるのに、関連する事柄や用語がさっぱり定着しないのだ。

 本人も非常に困ってはいるのだが、勉強時間を増やすだけでは中々解決しなかった。

 そんな彼が見つけた勉強法が、筋トレ暗記法だった。

 筋トレのメニューをこなしながら勉強することで覚えやすくなるというもので、本人曰く、暗記効率は上がったらしい。本当に効果があるのかどうかは本人にしかわからないが、この暗記法で今通っている高校に受かっているのだから、あながち効果がないとも言いきれない。

 こうして、筋トレ暗記法を確立した水上は、定期テストの度に筋トレと暗記に勤しみ、高校生らしからぬ強靭な肉体を手に入れたのだった。

 学力に関しては、今後に期待するとしよう。


「筋トレはいいぞ、筋トレは。悠真はともかく、棚町はもっと自分の肉体を磨くべきだな」

「いいんだよ俺は。太ってるワケでもないし、今のままで十分イケてるだろ」

「そういうことフツー自分で言う?」

「――あぁ?」


 謎のポーズでキメ顔をする健児にいちゃもんつけてきたのは、クラスメイトの神無月八尋かんなづきやひろだった。

 八尋は陸上部の朝練終わりだったらしく、制服を少し着崩したまま悠真の隣へとやってきた。

 はだけた襟元から胸元がちらりとのぞいている。


「なんだよ神無月。自分のステータスをどう喧伝しようが俺の勝手だろうが」

「教室で堂々とそんなこと言って恥ずかしくないのかって言ってんのよ。まったく、これだからナルシストは」


 八尋はやれやれと言いたげなジェスチャーとともにため息をつく。


「けっ、 胸だけじゃなくて態度も身長もでかい女はこれだから……」

「誰の、何が、でかいって言った?」

「いいやーなんのことだかさっぱりー。神無月の胸がでかいなんて一言も言ってませーん」

「言ってんじゃないのよ! ケンカ売ってんのねこのアホ町!」

「誰がアホ町だ! いつまで昔のあだ名使ってんだこのバカん無月!」

「あんただって言ってんでしょーが!」


 売り言葉に買い言葉で健児と八尋の口喧嘩は白熱していった。

 中学のころからずっと同じクラスだったこの二人のケンカは見飽きた光景だ。その証拠に、教室で彼らの言い争いを気にする素振りを見せる生徒は誰もいない。

 二人がバチバチと火花を散らす横で、悠真と仁は我関せずと言わんばかりに英単語帳を取り出していた。


「ちょっと、悠真からもなんか言ってやってよ!」

「そうだぜ悠、こいつに言ってやれよ!」

「勘弁してくれ……」


 俺を巻き込まないでくれ、と思いながら二人の仲裁をしている間に、一時限目を告げるチャイムが鳴ってしまった。

 チャイムと同時に先生が教室へ入ってくる。

 健児たちは蜘蛛の子を散らすように自分たちの席へと戻って行った。

 授業が始まる前から、悠真はぐったりとしていた。


  †


 授業が始まると、今までの騒がしさが嘘のように静かになる。

 黒板を叩くチョークの音と、教科書を読む先生の声が教室に響く中、悠真は今朝のことを思い出していた。

 祖父から話には聞いていた、知識としては知っていた召喚術という特殊な魔術。

 その矛先が、なぜ沙希だったのか。

 考えたところでわかるわけもないが、思考は止められなかった。

 魔術は、悠真たちが生きる現代においてほとんど失われた技術だ。

 この現代社会において、魔術師が表舞台に現れることはない。

 事実、悠真は自分や家族以外の魔術師をこれまで一度も見たことがなかった。

 科学の発展とともに衰退し、すっかり身を潜めてしまった魔術文明と、比例するように減少し続ける魔術師。

 残った数少ない魔術師たちは、肩を寄せ合うように小さなコミュニティを形成し、社会の陰の中でひっそりと生きている。

 悠真が祖父から聞かされた魔術師たちの生態は、自分たちのねぐらから出ず、ネットを通じて情報のやり取りのみを行う、まるで引きこもりのようなものだった。

 だから悠真はこの時はまだ、危機感をほとんど抱いていなかった。

 あんなことはきっとこれっきりだろうと、そう思っていた。


  †


 四時限目は日本史。担当の教師は高齢の田村先生。彼のゆったりとした喋りで行われる授業は、まるで子守唄のようだと言われており、すでにクラスの何人かはペンを持ったまま舟をこいでいる。

 悠真は睡魔と空腹のダブルパンチを誤魔化すべく、二時限目に出された英語の課題を終わらせている最中だった。

 ほとんど教科書に書いてある内容をそのまま板書するだけの授業ほど、退屈なものはない。適当に板書だけして、他教科の課題に取り組むほうが効率的だろう。

 悠真がペンを走らせていると、スマホがポケットの中でぶるりと震えた。

 机の陰でこっそりと画面を確認すると、八尋からのトークが飛んできていた。


『お昼、今日も屋上でしょ』


 悠真は片手でシャーペンを握ったまま、もう片方の手ですいすいと文字を打つ。


『いつも通りだよ。健児は購買行ってから来ると思うけど』

『アイツはどうでもいいから』


 ぷんっ、と頬をふくらませているクマのスタンプが一緒に返ってくる。


『それじゃあたしは部室寄ってから行くね』

『わかった。先にベンチだけ確保しとくよ』


 翔陽高校の屋上は昼休みの間だけ解放され、ベンチがいくつか設置されている。

 そこそこ人気スポットなので、早めに行って確保しておかないと地べたに座って食べることになってしまう。

 八尋がひらがなで『り』とだけ送って、やり取りは終了した。

 ちらりと右斜め前に座っている八尋の背中へ視線を送ると、それに気づいたのか八尋が振り返りにっこりと笑いながらサムズアップして見せた。

 悠真は同じように親指を立てようとしたが――。


「藤代、教科書続きから読んでみなさい」

「――はいっ」


 突然の指名。悠真は飛び上がるように席を立った。

 このおじいちゃん先生は、いつも唐突に教科書の音読を要求してくる。玲奈

 高校生にもなって、と思わなくはない悠真だが――。

 ――やばい、全然話聞いてなかった……!

 いつもならば、最低限どの辺りを話しているかだけは把握しているのだが、八尋とのトークのやり取りに夢中になり、授業がどこまで進んだかを見失ってしまっていた。

 悠真は目を泳がせながら教科書をめくる。

 ……ここか? いやここは前に終わったはずで、今日はその続きのはずだからこっちか? 区切り多くてどこから読めばいいか分かんねぇ……!

 板書と教科書とを照らし合わせながら、正解のページを探そうとするが見つからない。

 すると、そんな悠真の慌てた様子を見ていた隣の席の女子が助け舟を出した。


「五十二ページの四行目からです」

「――――――」


 前を向いたまま小さく笑う女の子、鷹嘴澪依奈たかはしれいなの助言に感謝しながら、悠真は教科書の音読を始めた。

 心配していた八尋もほっと胸を撫で下ろす。


「よし、そこまででいいぞ。次は――」


 どうにか教科書を読み終えた悠真は、九死に一生を得た思いで席についた。

 悠真は小声で澪依奈にお礼を言った。


「わるい鷹嘴。助かった」

「いいえ、どういたしまして。これは貸しにしておきますからご心配なく、藤代くん」

「お、お手柔らかに……」


 ……何がご心配なくなんだ……。 

 澪依奈は髪をかきあげながら、イジワルそうに笑ってみせる。

 耳にかけた黒髪の艶やかさが、やけに目に入った。

 悠真は乾いた笑いをこぼしながらも、その小悪魔っぷりに思わずドキっとしてしまっていた。

 鷹嘴澪依奈はとある製薬会社のお嬢様で、学校屈指の美少女である。

 立ち居振る舞いの端々から育ちの良さがうかがえる上に、話し上手で聞き上手。成績優秀、容姿端麗な才色兼備。まさに絵に描いたような優等生で、人柄もよく真面目ときた。なのにお茶目な一面を時々見せるので、男子からも女子からも人気が高い。

 このコミュニケーション能力の高さは、まさに人の上に立つカリスマの持ち主と言えるだろう。

 ……同じクラスというだけでも驚きだが、まさかこうして話しかけられるとは。

 悠真は、顔が赤くなっていないだろうかと心配しながら、再びノートにペンを走らせた。

 眠気や空腹などあっという間にどこかへ行ってしまっていた。

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