第2話「日常への登校」

 召喚騒ぎに時間を食われ、二人が朝食を食べ始めたのはいつもより二十分以上も遅れてのことだった。

 いつもはのんびり会話をしながら食べるところだが、今は二人とも黙々とご飯を口へ運んでいる。

 沙希にいたっては、さきほどのことが余程ショックだったのか、悠真と目を合わせることもなく俯いたまま口と手を動かしていた。


「……いい加減機嫌直してくれよ、沙希。しょうがないだろ。もしものことがあるかもしれなかったんだし」

「危ないかどうかなんてわかんないじゃん」

「いやそれは……そうかもしれないけど」


 ようやく視線を合わせて会話ができたかと思えばこれである。

 沙希にとって、さっきの出来事は異世界への召喚イベントで、自分は選ばれた存在なのだと信じたいのだ。根拠はどこにもないのだが。

 沙希は悠真のことをじっとりと見つめながら言う。


「お兄ちゃんはいいよね。魔法が使えるんだから」

「魔法じゃなくて魔術だ」

「どっちでもいいじゃん。どうせ私は使えないし」


 沙希は呆れたような、ふてくされた表情で味噌汁を飲む。

 先に食べ終えた悠真は、「ごちそうさま」と手を合わせてから自分の分の食器を流しへと持っていく。

 器を簡単に水ですすぎながら、沙希の言葉を胸の中で反芻していた。


 ――お兄ちゃんはいいよね、魔法が使えるんだから。


 沙希は魔術が使えない。

 祖父に魔術の基礎を一から習った悠真とは違い、沙希はそもそも魔力を自身の内側で練ることが出来ない体質だった。

 彼女が夢見るファンタジーの象徴であるところの魔術を、悠真は実際に扱うことができる。

 そんな兄の背中を見て育ってきたのだ。羨ましく思わないわけがないだろう。

 ……そんなにいいもんでもないけどな。

 十年前、祖父の家での厳しい特訓の毎日を思い出しながら、悠真は苦笑いを浮かべた。


「って、やばい時間っ!  沙希早く食べろ遅刻するぞ!」

「えぇ、むりぃ……もぐっ」


 沙希は悠長にご飯を海苔で巻きながら食べている。

 元々朝が弱い沙希のために、いつも早起きしてゆっくり朝食を食べる時間をつくっているのだ。

 急げと言って急げるわけもない。

 悠真は二階へと走り、沙希の部屋から鞄を持ってリビングへと降りてくる。

 沙希が箸を口へ運んでいる間に、髪をとかして結んであげる。手馴れた手つきでサイドアップテールが完成する。

 弁当を鞄に詰めて、少しでも早く家を出られるように玄関口にスタンバイ。


「ごちそうさまー。あ、ともちゃんからトーク来てる」

「あとにしろ!  ほら、さっさと家出るぞ」

 はーい、と気のない返事をする沙希の手を引きながら、藤代兄妹は家を出た。


  †


「はぁ……はぁ……なんとか間に合った!」

「あー、朝からこんなに全力疾走するなんて……疲れたもうむり帰るぅ」

「今来たところだろうが」


 沙希の鞄も持って走っていた悠真は、肩で息をしながら鞄を沙希へ手渡した。

 ……もっと体力つけないとなぁ。

 悠真はいつもの筋トレメニューとは別に、ランニングの量を増やそうかと考えながら息を整えていた。

 二人が校門をくぐり、下駄箱で上履きへと履き替えていたとき、一階の廊下の方から一人の女子生徒が走ってきた。


「沙希ぃーーーー!」

「あ、ともちゃんおはわっぷぇっ!」


 その女子生徒は、走ってきた勢いそのままに沙希へ抱きついた。

 まるで大好きなご主人様に好意を示す飼い犬のように、沙希に頬ずりしている。


「なんでトーク返してくれなかったの。寂しかったのよ」

「ごめんごめん。お兄ちゃんに急かされてさぁ」

「……またですか、お兄さん」

「あはは……お、おはよう、朋花ともか


 沙希の親友……和泉朋花いずみともかは、悠真の挨拶に小さく「おはようございます」とだけ返すと、狩人のような目付きで悠真を睨みつけた。


「私と沙希ちゃんの時間を邪魔しないでもらっていいですか?」

「別に邪魔してるつもりは……」

「お兄さんにそのつもりがなくても、結果として邪魔になってるんです。私と沙希ちゃんの大切なトークタイムを阻む者は、たとえお兄さんでも……いえ、神であっても許されません!」


 そうなんだー、と他人事な沙希は棒読みで適当な相槌を打つ。

 朋花はかなり人見知りするたちで、親しくなった相手にだけは心を開くのだが、悠真に対してはいつまでも棘があるままだ。それでも、一言も口を利いてもらえなかった昔に比べればかなりマシになっているのだが。

 ちなみに、沙希たちが話しているのは、今流行りのコミュニケーションアプリである【ファストーク】のことだ。チャットやカメラ通話、ライブ配信などもできる万能アプリで、若い世代に人気となっている。メッセージを送ることを、『トークを飛ばす』という表現をするのが特徴的だ。

 沙希は、悠真と朋花のいつものケンカ――朋花が一方的に悠真に文句言っているだけだが――など見飽きたと言わんばかりにスマホをいじっている。


「いやでも、ほら、今朝はちょっとトラブルがあって遅刻しそうだったから……」

「トラブル? トラブルってなんですか! 沙希の身になにかあったんですか⁉」


 ……あ、マズイ。今の失言だった。

 時すでに遅し。ヒートアップしてしまった朋花の質問攻めに、悠真はたじたじ。

 まさか本当のことを話す訳にもいかず、どうやってこの場を切り抜けようかと考えていると、朝のホームルーム開始を知らせるチャイムが鳴った。


「あっ、ほらもう教室行かないとだから! それじゃまたあとで!」

「えっ、ちょ、ちょっと! 話はまだ終わって――」

「もーいいからいいから。さぁー私たちも早く行くよともちゃんー」


 沙希は朋花の手を引きながら教室へと歩き出す。

 悠真は逃げるように階段を駆け上がりながら、ふと思った。

 ……沙希のやつ、まさか言いふらしたりしないよな……。

 いやそんなまさか。でももしかして。

 沙希ならばあり得るという懸念を抱えたまま、悠真は教室へ急いだ。

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