救世の聖女と贖罪の魔術師 ~異世界召喚はお断りします。~

春待みづき

第1話「異世界召喚はお断りします。」

 フライパンにひいた油がパチパチと跳ねる。

 彼――藤代悠真ふじしろゆうまは、この音が好きだった。

 悠真は冷蔵庫から取り出した卵を割り、すでにこんがりと焼かれたベーコンに添えるようにフライパンへと投入した。じゅわりと白身が小刻みに踊り出す。

 てきぱきと効率よく動き、テーブルに皿を並べていく。

 起床してからの朝食作りは、悠真にとって朝のルーティンとなっている。

 制服姿で身に着けたエプロンに違和感が無くなったのは、いつ頃からだろうか。幼い頃から仕事で忙しい両親に代わって、妹のために食事を作ることが多かった悠真だが、今となっては使い込まれた自分専用のエプロンに愛着が湧くほどには、キッチンに立つのが当たり前になっていた。


「――そろそろ時間だな」


 ふと時計を見ると、時刻は七時三十分を過ぎたところだった。

 悠真は妹の沙希さきを起こすべく、焼き上がったベーコンエッグを皿に盛りつけてからエプロンを脱いで階段を上がった。

 沙希はとにかく朝が弱い。特に寝覚めの悪さは一級品で、スマホのアラームをいくつかけても無意識のうちに全て自分で止めてしまう厄介な特技の持ち主でもある。二度寝、三度寝は日常茶飯事で、家族の誰かが起こしてあげないと、十二時を過ぎても起きてこないことがしばしばある。

 やがて、地力で起きることを諦めてしまった妹は、自分を起こす仕事を兄へと任せるようになった。

 そんなこんなで、悠真は小さいころから沙希を毎日起こし続けてきた。

 妹のお願いを聞いてあげるのは兄として当然のことだと、悠真は本気で思っている。

 二階に上がって左手の部屋が沙希の部屋だ。

 悠真はノックすることもなく、いつもそうしているようにドアノブへと手を掛ける。


「沙希、入るぞー」


 扉を開け、部屋へ入ろうとしたところで、悠真の足が止まった。

 なぜなら、そこにはいつもと変わらずベッドで熟睡している沙希と、部屋の床に広がる謎の魔法陣が淡い光を放っていたからだ。


「……………………は?」


 眼前の光景に思考が停止する悠真。

 両のまぶたをしばたたいても、見える景色は変わらない。

 それどころか、時間が経つにつれ魔法陣はゆっくりと大きくなっているようにも見えた。

 たっぷり三秒間固まった悠真の思考が再起動する。


「――お、おい沙希! 起きて……るわけないか。……いや起きろよ⁉」


 悠真の声に対し、沙希の返事はない。ごうごうと謎の風が吹き荒れる部屋の中で、気持ちよさそうに寝返りを打って涎を垂らしている。

 悠真は意を決して部屋の中へと足を踏み入れ、ベッドで眠りこけている沙希の肩を掴んで激しく揺さぶった。


 「沙希、起きろ! おい沙希っ!」

 「……えへへ……よるはこれから、だぜぇ……ぐぅ」

 「どんな夢見てんだ⁉」


 夜の街へと繰り出す陽キャのような寝言を放つ沙希。

 呆れている場合ではない。こうしている間にも、謎の魔方陣はどんどん大きくなっている。すでに悠真が部屋に入る前より二回りも大きくなってきていて、床だけでなく壁にまで広がってしまっている。

 何が起きているのかがわからない、ということが一番不快で、恐ろしかった。

 悠真は自分にできることをやらなければと、アッシュブラウンの髪をかき上げ覚悟を決めた。

 

「……やるしかないか」

 

 悠真はベッドから離れ部屋の中央に置かれた小さなテーブルを持ち上げ横へとよける。

 部屋の中心……ちょうど魔法陣の中心に膝をつき、両手で床に触れた。

 自分の身体の中に流れる魔力を両手に集中させ、魔術の術式を呼び起こす。


「《解析アナライズ》」


 両手から伸ばした魔力の道を魔法陣へと接続する。

 魔法陣から膨大な量の術式のコードが現れる。

 悠真はこの魔法陣がどういう理屈で動いているのか、何を目的としているのかを読み解いていく。さながら、プログラマーがソースコードを読むように。

 《解析》は、魔術の解析に特化した魔術だ。対象の魔術に接続し、術式を読み取ることができるようになる。

 ただし、理解できるかどうかは悠真の知識次第である。

 魔法陣が一瞬ぐらりと揺らいだ。悠真の魔力に反発しているようだ。

 悠真はそんなこと気にも留めず、複雑な術式を黙々と読み解いていく。

 術式の解析はおよそ十数秒ほどで終了した。


「……これ、いわゆる召喚術ってやつか。対象の人間を自動で検索して、指定の座標へ無理やり飛ばすのか。なんだかじいちゃんから聞いてたのよりも、ずいぶん力技な術式だな……」


 ……でもどうすればいいんだ、こんな規格外の魔術。 

 解析してわかったのは二つ。

 一つは対象が沙希であること。もう一つは、指定座標の固定に時間がかかるということ

 だが術式がわかったところで、悠真にはこの魔術を止める術がない。

 悠真が今使える魔術は二つしかなく、もう一つの魔術も用途は限定的なものだ。

「くそっ! 早くどうにかしないと……!」


 このままでは沙希がどこかへ召喚されてしまう。

 どこへ召喚されてしまうかもわからないまま、この魔術に身を任せるのはありえない。

 そんなものほとんど拉致と変わらないだろ、と悠真は心の中で舌打ちをする。


「んー……おにいちゃん?」


 ――その時、焦燥する悠真の背後で沙希がようやく目を覚ました。

 気怠さを振り払うように、のんきに背伸びをしている。


「ふわぁ……おはようー……ってなに、これ? えっ、私の体、なんか光ってない⁉」


 沙希は部屋の状況に困惑した後、自分の体がうっすらと光っていることに気づいた。しきりに自分の体をぺたぺたと触って確かめている。


「こ、これって……。もしかして私……!」

「落ち着け沙希。怖がらなくても俺が――」


 怖がる妹を勇気づけようと言葉を掛ける悠真だったが――。


「……異世界に、召喚されちゃうんじゃ……!」

「……ん?」


 そんな心配は杞憂に終わった。

 沙希はベッドの上で飛び跳ねるようにして立ち上がると、両手を天井へ突き上げて叫んだ。


「やったぁああああーーーー! 私、ついに異世界へ行けちゃうんだー!」

「喜ぶなよ⁉」


 悠真の気づかいなど沙希には無駄だった。

 沙希は大の異世界ファンタジー好きで、毎日のように異世界小説を読み漁っている。

 とある小説投稿サイトでは、『さきっちょ』という名前でいろんな作品にレビューしまくっており、その界隈では結構有名で、『さきっちょ』に高評価レビューしてもらえると作家デビューできる、という都市伝説のようなものまで存在する。

 そんな沙希が、異世界へ召喚されるかもしれないという状況でじっとしていられるわけがない。

 願ったり叶ったりな彼女はベッドの上で大はしゃぎ。


「わわわっ、どうしよ、私パジャマのままなんだけど! さすがにこの格好で召喚されるのは恥ずかしいし急いで着替えて――あ、スマホ持っていけるかな⁉ やっぱり現代チートアイテムは必須だよね!」

「待て待て待て待て! なんで異世界行くことが確定してるんだよ⁉」

「むしろなんで行かないの⁉ 異世界だよ異世界! お兄ちゃんも一緒に行こ? ほら、手繋いでたら巻き込まれて召喚されるパターンだったりするかもだし!」

「ばっ、お前やめ……!」

 

 沙希はベッドから飛び降りると悠真の腕を引っ張った。

 動揺した悠真が集中を切らし、《解析》を中断してしまう。

 すると、魔法陣が突然活発になり、見る見るうちに大きくなって、あっという間に部屋中を埋め尽くしてしまった。

 いよいよ召喚術が発動するまで、もう時間がない。


「やばいやばいやばいッ! ……って沙希、お前体が⁉」

「へ? ――わっ! なにこれ⁉」


 召喚術に呼応するかのように、発光していた沙希の体が徐々に透け始める。

 沙希は無邪気に喜んでいるが、悠真は気が気ではない。

 召喚された先が安全な保障もなければ、そもそも五体満足で無事に召喚が成功するのかどうかも定かではない。誰に喚び出されているかもわからない。

 もしかしたら、誰かに利用されてそのまま死んでしまうのではないだろうか。

 そんな最悪な想像を振り払うように、悠真は頭を左右に振った。


 ――俺の妹は、誰にも奪わせない。


 悠真の目の色が変わった。

 そこからの行動は迅速だった。


「沙希、ちょっと借りるぞ」


 悠真は部屋の中から必要なものを見つけると、沙希の手を振り払い、ベッドの脇に置かれたぬいぐるみを手に取った。


「え? 別にいいけど……私のウーちゃんで何するの?」


 沙希のコレクションの一つ、『珍獣ぐるみシリーズ』のウォンバットのぬいぐるみを魔法陣の中心へセットする。

 悠真はもう一度、両手を魔法陣へと叩きつけて、もう一つの魔術の名を叫んだ。


「――《改編オーバーライト》!」


 幾何学模様の魔法陣の一部を、任意の術式へと置き換えていく。

 この魔術を正しく実行するためには、書き換えた術式がきちんと成立していなければならない。わざとめちゃくちゃな術式にしてしまう、などということはできないようになっている。

 もし、書き換えた術式が破綻していた場合、《改編》は不発に終わり、逆に悠真の体に魔力が跳ね返ってきてしまい、体の内側からズタズタになってしまう。

 文字一つ、数字一つ間違えてしまえば召喚術は止められず、悠真は手痛いしっぺ返しを受けることになる。

 そんな緊張の中、悠真は大声で宣言する。


「俺は異世界召喚なんて、絶対に許さないからな!」

「えぇーーーーっ! なんでーーーーーー⁉」


 沙希の絶叫に合わせて、魔法陣が一際強く光を放った――その時。

 

 ――《改編》完了。術式再起動。

 

 溢れ出る魔力の勢いに吹き飛ばされそうになりながらも、悠真は両手を床から離さない。

 部屋全体を揺らすほどの衝撃はほどなくして収束し、部屋にはいつもの朝の静けさが戻ってきた。

 悠真は大きく息を吐いて、大の字になって床に寝っ転がった。


「――っぶはぁ! はぁー、危なかったぁ……」

「……ど、どうなったの?」


 ベッドの上で布団をかぶっていた沙希が、頭だけ出して尋ねた。


「……ウーちゃんには、沙希の代わりに異世界に旅立ってもらったよ」


 悠真が言うように、魔法陣の上に置いてあったぬいぐるみは、どこかへ消え去ってしまっていた。

 ……いちかばちか、召喚対象を沙希からぬいぐるみに書き換えてみたけど、上手くいってよかった……。

 細かい条件付けが多く難しい処理が必要だったが、結果としてきちんとぬいぐるみだけが召喚されてくれたのは、運がよかったと言わざるを得ない。

 ……あと少し《改編》が遅れていたらと思うとゾッとするな。

 悠真は額ににじんだ汗を拭いながら乾いた笑いをこぼした。


「……じゃあ私、異世界に行けないの?」

「沙希はこれから朝ごはん食べて、俺と一緒に学校に行くんだ」

「え……えぇーーーーーーーーーーーーーーー⁉」


 沙希の異世界へ旅立つという夢は、儚く散ったのであった。

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