龍の祭り

睡田止企

龍の祭り

 ◆宴の前◆


 水の民の話が聞こえる。


「今年の水はよく育っている。よくやった! ガハハハハ!」

「ありがとうございます。今年こそは月の民を超えることになりましょう」

「そうだろうとも! ガハハハハ!」


 水の民は水を育てる能力を持っている。

 ただの水を家畜のように育てる。餌をやり世話をして芸を教え込む。教え込むと土を馴らしたり汚水を浄化したりするらしい。

 彼らの周りを筒状の水が流れている。空中に舞う蛇のように見える。水が月光を受けて薄い白色に発光しているように見える。


「それにしてもいい色だな! ガハハハハ! 酒が進む! ガハハハハ!」


 常に笑っているのは水の民の族長だ。彼の手には常に酒の瓶がある。水の民の作る酒は美味いらしい。いつだって上機嫌に酔える。

 一方、大きな笑い声が届かないほどに離れた場所では月の民が集まっている。

 月の民の話が聞こえる。


「虫の民はまだか?」

「申し訳ございません……。話はついているのですが……」

「まったく……。芸術も分からぬ虫が……」


 こちらは機嫌が悪い。

 何やら上方を見上げている。そこに不機嫌の原因があるようだ。

 月の民の頭上には大男百人分はあろうかという大きさの龍の像が留まっている。月明かりを集めて作ったもので、動くことはないがその迫力には圧倒される。

 そして、そこには遠目に見ても分かるくらいに羽虫が群がっている。

 月の民の元に一人の男が近づく。


「……あれを回収すれば良いので?」

「遅いぞ……。早くしろ」

「……言っておくが、民の間での上下はないぞ」

「ふん。なら聞こう。貴様ら虫の民がこの年越しに何をする?」

「………………」

「とっとと虫を払え」


 男が龍の像を見上げる。

 男は虫の民だ。虫を使役することができる。

 月明かりに引き寄せられていた虫達が虫の民へと一斉に集う。

 そばにいた月の民はそれにたじろいだ。


「終わったのならとっとと失せろ」


 虫の民はその言葉には何の反応も返さず、月の民の元を離れた。

 その姿に自分を重ね合わせ、ため息が漏れる。


「どうした? 暗い顔して」

「見えないだろ顔なんて」


 山一つ隔てた村にいる友人からの声に僕は応えた。

 僕ら音の民はその程度の距離であれば会話ができる。声が大きいわけではなく耳が良いのだ。


「ため息吐いてたろ」

「年越しは民の序列が顕著にでるなと思ってさ」


 年越しは干支を迎える祭事である。

 前回は兎を迎え、月光で出来た街で持て成した。兎は故郷である月の光でできた街並みに感動して満足をしたようだった。そのおかげで今年一年は豊作で平和に過ごすことができた。

 年越しは村の繁栄を左右する重要な祭事であるため、そこでの実績が暗黙の内に民に序列として現れる。

 月光の幻想性は例年干支を満足させている。結果として月の民の序列は高くなる。特に月の民自身が自分たちの序列を特段高く捉えているようだった。


「昔は、全ての民が力を合わせて年越しに成功したり失敗したりで民に序列なんてなかったらしいけどな。最近、年越し失敗しないのも、良いのか悪いのか」

「ただ、失敗するにしても今回はやめてほしいな」

「それはそうだ」


 今日の年越しは来年の干支である龍を迎える。

 龍は干支の中でも一番力を持つ。

 年越しの祭事に満足しなかった龍の過去の所業は至る所で耳にする。

 村の生娘全てを奪われたり、食物全てを奪われたり。奪われた後には代わりに土塊だけが残っていたという。

 祭事で得られなかった満足を他の部分で得ようとするため、村から大切な何かが奪われることになる。


「ただちょっとな……」


 この友人は何かを匂わせて勿体ぶって話す時は、大抵はふざけた雰囲気で話す。

 しかし、何かを匂わせる口ぶりにも関わらずその声は沈んでいる。


「どうしたんだよ」

「日光林檎って分かるか?」

「あぁ。そっちの村で太陽の民と草木の民が協力して作った林檎だったっけ?」

「そう。一見ただの林檎なんだが、実に詰まった蜜が太陽光を放って黄金色に輝くんだ」

「? 話が見えないな。その日光林檎がどうしたっていうのさ」

「盗まれた」

「え?」

「日光林檎が盗まれる瞬間をたまたま盗み聞いてな。そのときに盗んだやつが言ってたんだよ……」

「……なんて言ってたんだ?」


 友人は匂わせた割に沈んだ声で言う。


「『これの光で本当に月の光は消えるんだろうな』ってな」


 ◆宴◆


 遠く山の上に雨雲が見える。

 雨雲は時折雷光が輝き、ゴロゴロという雷鳴は僕でなくても聞こえるほどの大きさで響いている。

 あの中に龍がいるらしい。


「こっちはなんとか終わったぞ」

「龍の機嫌が悪そうだな」

「そうだな。かなり機嫌が悪そうだけど、まぁ、頑張れよ」

「頑張るのは僕じゃないけどね」


 僕は既に酒に酔っている水の民の族長に話をしに向かう。

 族長の周りには水の民だけではなく虫の民もいる。水の民には陽気な雰囲気が、虫の民には陰気な雰囲気が漂っている。


「隣村の祭事が終わったようです」

「ガハハハハ! そうかそうか! 待ちくたびれてもう呑んでしまったわい! おい! 虫の準備だ!」


 水の民の族長の指示で、虫の民の一人が壺を開ける。

 壺の中には大量の虫が入っている。全て同じ種類の飛蝗のようだった。

 壺から一匹の飛蝗が飛び出し不規則にピョンピョンと跳ねている。


「ガハハハハ! あの円陣飛蝗がここまで酔うとは! ガハハハハ!」


 僕は円陣飛蝗という虫について知っていた。

 生まれた時に自分の進む方角が決まっており、その方向に向かってしか移動しない虫だ。大量に生まれ散り散りに円形に広がって生息域を拡散していく。餌のない方角に行くことを定められた個体はそのまま餓死するまで一直線に走り続けるだけで、その短い一生を終える。

 僕はこの虫が、村に多種存在する民族のように思えてならなかった。

 生まれた時から進む道が決まっていて、その道に何もなかったとしても走り続けるしかないのだ。


「ぶしゅるるるるぅ……」

「ガハハハハ! あの距離だともう始めても良いだろう! 飛蝗を放て!」


 水の民の族長が鳴き声を上げる水を嗜めてから虫の民に向かって言った。

 虫の民が壺を揺らすと中にいた飛蝗がどんどんと溢れ出る。本来は一方向にしか動けない円陣飛蝗だが酔っ払って不規則な方向に跳び回る。

 虫の民は無言でそれを見ている。

 水は鳴き声を上げてそれを見ている。水の筒状の先端から水がポタポタと垂れる。涎だ。これからこの飛蝗達は水の餌になる。水は虫と酒が好物らしい。


「ふん。余興が始まるようだな……」


 月の民は遠くからこちらの様子を伺っているようだった。

 月の民は祭事中にすることはない。年越しにすることは見物だけだ。


「ぶしゅるるるる!」

「ガハハハハ! 最近は果物しか食べていなかったからな! 虫と酒に飢えておる! よし! 追え!」


 族長の合図で水が飛蝗を追い始める。不規則に動く飛蝗を追うため、水の動きも不規則になる。月光を受けて煌めく様は、小さな白い龍が踊っているように見える。

 月光でできた巨大な龍は幻想的で迫力はあるが動かない。水はその月光を受けて迫力はないものの幻想的な小さな龍となって動き回る。果たして、龍はこの光景に満足するだろうか。

 雷雲が近づく。

 ゴロゴロという音に合わせ、稲光が暗い雲の輪郭に亀裂を走らせる。

 白い稲光の奥に二つの淡く光る青白い玉が見える。龍の目玉だ。この村の祭事を観察している。


「今だ、投げろ」


 小さな声が聞こえた。

 声の方向には虫の民がいる。

 虫の民から何かが投げられた。

 それは虫を追いかける水を目掛けて投げられた。


「ぎゃう!」


 水がそれに反応した。

 投げられたものは林檎で、水はそれを噛み砕いた。

 途端に、林檎は太陽の光を放つ。その林檎は隣村で盗まれた日光林檎だった。

 太陽の光は、月光の龍を照らし消滅させた。


「………………」

「………………」

「………………」


 全ての民が沈黙の内に状況を理解しようとしていた。

 各々が月光の消えた大地を見、音のない雷雲を見上げた。

 嵐の前の静けさだ。

 そして、雷が落ちた。

 何度も落ち、村中を雷光と雷鳴が満たした。


「うわああああぁあぁあ!!」

「きゃああああぁあぁあ!!」

「うぉおおおおぉおぉお!!」


 どのくらいの雷が落ちただろうか。

 龍は自分の姿を模した月光の像が消されたことにかなり怒っていたようだ。

 周りを見渡すと、幸いにも死人はいないようだった。各々が命があったことに安堵し、そして、被害の状況を確認しているようだった。

 この村の年越しは失敗した。何かが奪われ失われているはずである。


「命が助かっただけでも良かったとするか。まったく、酔いが覚めちまった」


 水の民の族長が呟くように言った。見ると本当に酔っている様子はない。酒の入っていない族長は初めて見る。

 しかし、族長の手には酒の入った瓶があり、呟いたそばから瓶を口元に持っていく。こんな状況でも酒を飲むとは、流石、水の民の族長だ。

 族長は瓶の中のものを一気に喉の奥に流し込んだ。


「ん!? なんだこれは!? 水になっとる!」


 どうやら龍は、祭事に満足できなかった代償にこの村から酒を奪って行ったようだった。

 その証拠に、円陣飛蝗がそれぞれの方向へ一直線に遠ざかって行くのが見える。酒が奪われ、飛蝗達の酔いもなくなったようだった。

 その内の一匹を水が追いかけて行く。

 その小さな龍は繁栄と共に、村から一直線に遠ざかって行った。

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龍の祭り 睡田止企 @suida

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