第7話「触れられない指切り」

「はぇ……?」


 思いも寄らないお願いに変な声が口から漏れ出る。僕の頭の中はハテナマークで覆いつくされていた。


「また配信を始めるから、協力してくれないかな?」

「どういうこと? なんで?」


 だって僕は一端の切り抜き師、そんな大イベントを任されるような人間じゃない。


「なんで僕なんだ? そんな大役を任せられる奴に見えるか?」

「言ったじゃん、皆に、もくずのことを発信し続けてくれているのは目代くんだけなんだもん」

「そんなの無理だ。だって汐見もくずは引退したんだ」


 引退ならまだ良い、彼女がしたのは失踪だ。

 推しになら、どんな形になったって会えることが嬉しいというリスナーが大多数だということは分かっている。僕だってその一人だ。

 しかし、だ。どの面下げて戻ってきたんだというリスナーは少なくないだろう。その反対の声の怖さは、僕には計り知れない。


「私、またネットの海に戻りたいの」

「そんなの勝手に戻ればいいじゃないか、一部のアンチは騒ぐだろうけど喜ぶリスナーの方が多いだろ」


 どれだけのファンが残っているかは知らないけど。そんな本心をぐっと飲み込む。


「それは出来なくて……」

「どうして?」

「……もう一人の私が、汐見もくずの魂は戻ろうとしてないから」

「どういうことだ?」

「さっきも言ったけど、私は『配信したい』って気持ちそのものなんだ。引退した魂の片割れだとでも思ってほしい」

「そもそもさ、引退理由って何? 病気とか身体的な理由? そしたら無理に戻ってほしいなんて思わないな」

「身体的なものじゃないかな、ただね……」


 初めて、もくずの言葉が詰まる。


「てことは精神的な問題? それ他人の僕が解決出来ることか? どっちにしろ無理強いはさせたくない。僕は確かに汐見もくずのファンで、彼女が活動してくれることを望んでいる。でも、嫌な思いをさせたいわけじゃあないんだ。もくずの意思で、もくずのやりたいことを応援したいんだ」

「嫌なんかじゃない。もしそうだったら私は今ここにはいないもん」


 もくずは、僕の心に訴えかけるような真っ直ぐな瞳をしていた。


「私には、目代くんしか頼れる人がいないの」


 そんなことありえないって分かってる。

 こんなに都合の良いことなんてあるはずがない。

 でも一パーセントでも本当の可能性があるのなら、また配信を見れる可能性がゼロじゃないのなら……。


「新衣装だって用意してたのに勿体ないよねぇ。一度もお披露目してないのに」

「え、まじ?」


 揺れ動く僕の気持ちに、もくずはとんでもない爆弾を投げかけてきた。

 新衣装? 聞き間違いじゃない? もくずの?


「え、まじのまじ? 僕を釣るためじゃなく?」

「まじまじ大マジ、めちゃくちゃ可愛いよ。天使かと間違えちゃくらい」

「見たい!」

「ちょっとちょっと、そこは『天使じゃなくて人魚でしょ!』ってツッコミポイントだよ?」


 私服? 制服? もしくは、もくずの言うように本当に天使? どれにしたって大優勝だ。眼福には間違いない。

 見たい見たい見たい見たい見たい!


「目代く~ん? 目が怖いよぉ?」

「やる、やります、やらせていただきます」

「目に見えてやる気出したねぇ」

「そりゃあそうでしょ! 推しの新衣装なんてビッグイベントのためならオタクはどんな困難だって乗り越えられるんだ!」

「単純だなぁ……」


 もくずは呆れ顔を浮かべている気がするが、そんなもの今は些末な問題だ。


「また応援できるのなら喜んで、僕だけのお姫様。そして、僕に任せてくれ」

「私は皆の人魚姫だよ?」

「ネットの海に戻ってきてくれるなら、それ以上に望むことなどないよ」

「じゃあ約束してくれる? また配信させてくれるって」

 もくずはピンと立てた小指をこちらに差し出してきた。

「もちろん」


 僕も小指を差し出す。


「約束だよ、目代くん」


 僕らは決して触れられない指切りを交わす。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る