第1話「お転婆人魚の住み着く海」

 ネットの海に、人魚はいた。


 僕が君を見つけたのは二年前の六月三十日、高校生活が始まって三カ月が経過する頃だった。

 ちょうど、僕は空っぽだったんだ。


 高校受験に失敗して、行きたくもない高校に進学して、淡々とした毎日を過ごしていた。

 ひたすら勉強して自分のために頑張ったのに、得られたものは一つもない……むしろ失ったものばかりだった。

 僕の付き合いが悪くなったせいで、中学時代の友人達とは疎遠になった。遊ぶ相手を失った僕は勉強しかやることがなくなって、自宅にいるときは部屋に籠ってばかりいた。

 ありがたいことに受験に失敗した僕を両親は心配してくれていたが、それがかえってつらかった。


 そんな毎日を過ごしていたら、すっかり自分の殻に閉じこもることが得意になっていった。

 友人の作り方も、趣味の楽しみ方も、余暇の過ごし方さえ綺麗さっぱり忘れてしまったのだ。


 今日も変わらず勉強していたのだが集中力が切れ、ベッドにダイブした。スマートフォンをいじくり、何気なく大手動画サイトのWe tubeを開く。


 ふとあるサムネが目に留まった。

 雑談、とだけ書かれたシンプル過ぎる二文字。同接数わずかの一人。

 部屋に一人の自分みたいだと思って、仲間を求めるように再生ボタンを押した。冷やかしの気持ちもあったかもしれない。



『いや、このシーン使いまわしじゃん! 何回見たことかってって感じでさ~』



 底抜けに明るい声が画面から飛び出してきた。


 ピンク色のツインテールに散りばめられた紫色のメッシュ、ヒトデや真珠があしらわれた髪飾り、フリフリなチョーカーから垂れ下がる雫型のネックレス、二枚貝を模した胸部分の布……寒色でまとめ上げられたフリルたっぷりのマーメイドドレスを身に纏った女の子のイラストが喋ってる。


 いわゆるVtuberだった。

 そういうジャンルの配信者がいることは知っていたが、見るのは初めてだった。


『お、もくずの海にドボンしてきたね? いらっしゃ~い、人間さん!』


 同接が二になったことに気が付いたのか、話を中断し嬉しそうな声をあげる。身体を左右に振り、満面の笑みを浮かべて僕を歓迎してくれているようだった。


『夢見る汐見る人魚姫~汐見もくずです! はじめまして~こんもず~!』


[こんばんは]


 何も反応をしないのも無粋だと思い、コメントを打つ。


『さっきまでね、映画レビューしてたんだ~突然だけど「シャークネード」って知ってる? メキシコ湾で起きた竜巻に乗ってサメが降り注ぐって内容なんだけど』


 ……なんだその映画。

 竜巻? サメが降り注ぐ?

 情報量が多すぎて、上手く整理が出来ない。


[どこが面白いの?]


 この際、あらすじだとか設定だとかどうでも良い。

 なんでそんなヘンテコ映画を嬉々として語っていたのかが気になった。


『え~、なんだろ。こういうと怒られると思うんだけど、馬鹿馬鹿しさかな~。想定外のぶっ飛び設定で普通に考えたらおかしいの。だけどそれが癖になって、ずるずる魅力にハマっていくんだ!』


[馬鹿馬鹿しいのに好きなんですか…?]


『お、私の好きを否定したな~? そういう君は何が好きなの?』


 汐見もくずは、からかうような口調で尋ねてくる。

 その質問は、勉強漬けだった僕にとっては酷なものだった。

 好きがどういうものか分からなくなっていたから。


[分からないです]

 漏れ出た本心だった。


『ふーむ……』


 画面の中の人魚姫は怪訝そうな顔をした。

 コメントしなきゃよかった。そう思った。

 匿名で、顔を素性も知らない人だからって、心の内を明かすべきではなかった。

 そんな後悔をする僕を知らない汐見もくずは、う~んう~んと悩んだ後、


『あ、じゃあさ』

 何かをひらめいたように言った。


『私のこと好きになってよ』

 名案じゃない? と自信満々だった。


『好きな物が分からなくなっちゃったのなら……好きを見失っちゃったのなら、私が君の目的地になってあげる。もし、迷っちゃったら、どこへだって追いかけに行くよ』


 その言葉に救われた気がした。

 何も知らない人なのに……いや、何も知らない人だからこそ、その無責任な言葉が心に刺さった。

 僕の空っぽが少しだけ埋まった瞬間だった。


『あ、でもネットの海限定ね? 私インターネット人魚だから! そこんとこ、よろしく~!』


 汐見もくずはニパッと眩い笑みを浮かべた。

 その顔をもっと見ていたいと思った。

 けれども。


『もうこんな時間か~、今日は新しいリスナーが……汐民が来てくれて嬉しかったよ! また明日も同じ時間に配信するから、暇だったら覗いてみてね~』 


 時計を見ると二十三時を指していた。


『それじゃ、今日はもう潮時ということで。おつもず~、まったね~!』


 そう言い残し、画面内の人魚はインターネットの海に帰っていった。




 この子に出会ったのは運命だと思った。


 好きのきっかけを大事にしようと心に決めた。

 恋なんて薄っぺらい感情じゃない、もっと心の奥底から湧き出るような大きな気持ち。心に好きが注がれる音がした。

 それを初めて抱いた日だった。


 もくずの配信が終わってすぐに彼女が紹介していた『シャークネード』を調べた。映画なんて趣味じゃないのに、気が付けば観始めていた。

 もくずが言っていたように、ばかばかしくて、ぶっ飛んでいて、けれども癖になる魅力があるように思えた。

 まさかの六作品にもなるシリーズもので、普通なら途中でやめるのに最後まで再生してしまった。

 全てを観終わった時には外はもう明るくて、意味なく夜更かししたのは久しぶりで、なぜだか笑いが込み上げてきた。


 勉強以外に興味を持つのも、無性に笑ってしまうのも、誰かのことが気になるのも、忘れていた感覚だった。


 汐見もくずは僕に大切なものを思い出させてくれたのだ。

 ずっと応援しようと心に決めた。


 唐突なお別れが訪れることなんて、微塵も思っていなかったから。

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