第30話 三つ巴
津波のように迫り来る蜘蛛に、アーシャが大剣を振るう。
その度に蜘蛛が倒されるが、死骸は全て誉田に取り込まれてしまっていた。
「ふはっ! 新鮮な素材をありがとよォ!」
「……くっ!」
分かっていても蜘蛛を無視するわけにも行かず、アーシャは歯を食いしばりながら蜘蛛を蹴散らしていた。
……もう少しだ。もうすぐ俺も動けるようになる。
「ふはははっ、便利な身体だ……こんなことまで出来るとはなぁ」
言葉と同時、体のあちこちに生じた蜘蛛の口から紫色の液体をまき散らした。
出鱈目に放たれたそれはあちこちに掛かり、嫌な臭いの煙を上げ始める。
――毒か。
効果は分からないが、少なくとも積極的に吸いたいと思えるものではなかった。
炎で煙を散らすアーシャだが、後手に回っているだけではやがてジリ貧になるだろう。
「アーシャ、こっちに!」
言いながらスラぼうの装填を解く。アーシャが戻ってくると同時、スラぼうが自らの身体を風船のように膨らませて俺たちを包み込んだ。
「ひひっ、手も足もでないだろ? 脚なら貸してやりたいくらいだけどなぁ!」
ぐじゅ、と嫌な音を響かせた誉田は、背中や肩、下半身の粘液から無数の脚を生やした。
ホラーゲームに出てくる出来の悪いクリーチャーみたいな見た目だ。
「ひひっ。出て来いよ自称召喚士くぅん。その結界ごと潰したらお姫様や治癒術士を
「……行くか」
「アキラ!?」
「だ、だめ……まだ、治療が……!」
脚は痛むが、すでに骨は繋がっているはずだ。立ち上がれるし動ける。
「十分だ」
追いすがろうとするヤイロをアーシャに押し付ける。
原理は知らないが誉田はモンスターを吸収している。時間が経てば経つほど面倒になるだろう。
「守ってやってくれ。――片を付けてくる」
「……分かった」
***
結界のような球体からアキラが出てきたのを見て、誉田は思わず舌なめずりをした。
「ひひっ……ブチ殺してやるぜ……!」
すでに傷は癒えているが、腕を自ら切り落とす羽目になったのも、ミンチのように砕かれたのも、すべてアキラが原因だ。
己が味わった痛みを、屈辱を、理不尽を、全てを利息付きで支払わせるつもりだった。
自分の身に何が起きているのかは分からないが、途轍もない爽快感と万能感――そして飢餓感がある。
アキラをぶち殺して取り込めば飢餓感が満たされるだろう、と誉田は当たり前のように考えた。
「……お前の身体をうまく取り込めたら、これからは俺がアキラとして暮らすかぁ?」
なぜかは分からないが、アキラを取り込めばアキラの姿に擬態できるという確信があった。
ぼごり、と自らの欲望に従って誉田の身体が再変異を始める。
蜘蛛のパーツだけはない。巣に引っ掛かり蜘蛛の餌食になったと思われる多数のモンスター――カラカラに干からびたその死骸を取り込んだ誉田は、半人半獣の形になった。
鱗に覆われた下半身はトカゲに近い造形だが、蜘蛛と同じく八本脚。
両腕の爪が猛禽類のように発達し、先端から毒液が滲み始める。
ふひっ、と笑った誉田が動こうとした瞬間、上空から白い何かが降り注いだ。
糸だ。
レースカーテンのように広がったそれは誉田とアキラを絡め取る。そのまま持ち上げられた誉田が慌てて上空をみれば、そこには10メートル近い巨躯の蜘蛛が紅色の目を爛々と輝かせていた。
寂寥蜘蛛の母蜘蛛だった。
「クソうぜぇ! すっこんでろ!」
誉田は暴れながら力任せに糸を引きちぎる。千切れないところは皮膚ごと切り離して自由を手にしていた。
ぼごぼごと傷口が波打ち、即座に再生が始まる。
「おいコラ、召喚士は俺のだ! 美味そうだからって横取りすんなよ!」
精神すら人間ではなくなっていることに気づかず、餌を奪い返そうとする誉田の耳に、落ち着きはらったアキラの声が聞こえた。
「アレックス、やるぞ」
「承知」
「――”
アレックスの鎧がはじけ飛び、アキラへと吸い込まれる。
拳が。腕が。脚が。胸が。
身体のあらゆるところに黒い装甲が現れた。
装甲とアキラの身体との間からちろちろと炎が漏れ出る。
――我ハ王ノ盾ニシテ王ノ矛……愚者ノ
アキラの耳朶に、アレックスの決意が響いた。
同時、アキラの手のひらに炎が生まれる。
実体が存在しないはずのそれは長く伸び、尖端で燃え盛って槍斧のシルエットを形作った。
アキラが握りしめると、ハルバードはアキラの拳に吸い込まれた。
全身から漏れる炎が一気に強まって噴きあがる。絡んでいた蜘蛛糸が一気に焼き散らされた。
絡めとったはずの獲物が二体とも逃げたことで、上空の母蜘蛛が身じろぎをする。
キチキチと不機嫌そうに顎を鳴らした。
着地。
じわりとアキラの身体に熱がこもる。
本来ならば召喚士を傷つけないはずの召喚獣が、アキラの体を蝕んでいる。
完全には制御できていない証拠だった。
(……アレックス、誉田にキレてたもんなぁ)
早々に決着を着けなければ自らを焼きかねない。
そう判断したアキラは一歩を踏み出した。
「行くぞ」
「ハッ! ブチ殺して食ってやらァ!」
——キチキチキチキチ。
三つ巴の戦いが始まった。
体毛に覆われた蜘蛛の身体と、尻から射出する糸は可燃性だ。
魔力を含んでいて多少の耐性があったとしても関係ない。アキラが放つのは大気を歪めるほどの炎なのだ。
子蜘蛛を散らすように炎が秘められた拳を振るう。火柱が地面を奔り、そのまま奥にいる誉田へと突き進んだ。
「おおっと、危ねぇ」
子蜘蛛が焼けてできた道を走る。誉田に追撃を加えようと拳を構えるアキラだが、上空から降ってきた糸に進路を塞がれ、ステップを踏みながら跳んで避けた。
空中のアキラを狙って、誉田からも毒液が飛んできた。炎を強めてそれを蒸発させながら着地する。
汗が全身から滲んでいた。
(……戦いづらい)
互いに牽制し合い、決定打が放てない状況だった。アレックスの炎に蝕まれているアキラは時間が経てば経つほど不利になる。
集中して片方を潰す。
そう結論して拳を握り直すと、上空に向けて炎を連続して撃ち出した。母蜘蛛を殺すにはあまりにも貧弱な攻撃だが、足止めには十分だった。
巻き散らかされた炎が蜘蛛糸や子蜘蛛、そしてぐるぐる巻きにされてぶら下がる何かの死骸。特に死骸は体液を吸われてカラカラになっているらしく、すぐさま火の玉になった。
——ギチギチッ! ギチギチギチィッ!!
自身の巣とコレクションを燃やされて怒りを露わにする母蜘蛛だが、炎は蜘蛛糸を伝ってどんどん燃え広がっていく。アキラを紅い瞳で見据えながらも、炎が届かない遥か上空まで退避するしかなかった。
ようやくアキラの望んだ一対一の形になった。ちまちまと毒液で牽制するだけの誉田へと視線をむける。
不定形生物のような動きをする誉田だが、焼き切れば死ぬだろうと決めつける。
(死ななきゃ、死ぬまで殺すだけだ)
決意と共に拳を握りしめた。
***
「マジで何なんだよその能力……ずりぃだろ」
「透明化よかマシだろ」
燃え盛る拳を見た誉田が呆れたように呟くが、初見殺しって意味じゃあっちの方がよっぽど質が悪い。
一対一になったからには、やることは単純だ。
脚を狙って、止まったところで頭をカチ割る。おそらくは感覚器が集まっており、中枢機能も頭にあるはずだ。
そこを破壊して一時的にでも動けなくなってから全身を燃やし尽くせばいい。
短期決戦を目指して疾走する。
さすがに正面切っての戦いでは分が悪いことを理解しているのか、誉田は八本脚を器用に動かして背後に向かって全力で逃げる。
「ははっ! 鬼さんコチラってなぁ!」
そのまま崖に爪を掛け、岸壁の側面を走り出す。
さすがにそこまでは届かないので仕方なく脚を止めて拳を振るった。拳の先から炎が放たれる。
空間を炎で塞いで炙り出してやる。
次々に着弾する炎は確実に誉田の逃げ道を塞いでいくが、当の誉田は妙に余裕ありげだ。
「問題でェーーーす! 火事になったら人間サマはどーするでしょうかァ?」
俺の神経を逆撫でするようなテンションの誉田は、問いかけると同時に近くの子蜘蛛を掴んだ。
「正解はぁ、」
その腹部を割き、臓物と体液をぶちまけた。
ジュワッ、と嫌な臭いの煙があがり、炎が消える。
「水を掛ける、でしたァ!」
自らに蜘蛛の体液をかけ、行く道に体液を振り撒き、燃え盛る蜘蛛糸やぐるぐる巻きになったモンスターのミイラへと体液を撒き散らす。
誉田の腕は関節が二つ、三つと増えてもはや人間のものとはかけ離れた形になっていた。
異常な長さになった腕が手当たり次第に子蜘蛛を掴んで絞り、内臓で火を消していく。
母蜘蛛を戦線復帰させるつもりか……!
「敵の敵は味方ってなァ!」
炎の大部分が消し去られたところで、突如として母蜘蛛が動いた。
火が消えたことで生まれた僅かなスペースへとその巨躯を躍らせた。
八本脚を使った突進ではなく、飛び降りるような大跳躍。
体毛に引火させながら、強引に隙間を通って落ちてくる。
虚を突かれて俺も誉田も動くことは出来なかった。
ドジュッッッ!
見た目どおりの質量を持った母蜘蛛が重力に従って加速。その前脚が、腹部に深々と突き刺さった。
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