第29話 ソリトゥード・アラネイア

 強烈な浮遊感。一緒に落ちる岩盤を蹴って移動しながらアーシャとヤイロを抱き寄せる。


「きゃぁっ!?」

「お、落ちオチおち——っ!?」

「口閉じてろ! 舌噛むぞ!」


 死にかけ誉田も一緒に落ちていくのが見えた。シルエットが妙に膨らんでいた気がして目を凝らすが、岩盤の欠片に紛れてすぐに消えてしまった。


 ヨッドに打たれた注射が何のためのものなのかは不明だが、どうせ潰れて死ぬだろう。


 誉田のことなど気にしている場合ではなかった。

 このままでは俺たちも降り注ぐ岩盤の下敷きになって死ぬだろう。


「アレックスッ!」

「王ト姫ヲ守護マモルハ、騎士ノ誉レ……!」


 俺の意図を汲み、アレックスの甲冑が。炎によってつながったまま広がったパーツが俺たちを守る傘のように頭上の岩石を防いでくれた。


 二人を抱きしめたまま近くの岩石を踏み砕き、蹴り飛ばしながら必死に姿勢を制御する。肩口の傷から血が飛沫しぶく。


 着地。

 否、墜落は唐突だった。


「ガァァァァァッ!!」

 

 咆哮とともに両脚へと魔力を集中させ、全力で踏ん張った。

 脚の骨がギシギシと悲鳴を上げ、筋肉が切れていく嫌な感触が伝わる。


 そして、二人を投げ出すようにして地面へとたどり着いた。

 勢いは十分に殺した。その代償に砕けた両脚では立つことが出来ず、俺は崩れ落ちる。


 俺たちが足場にしている巨大な岩盤は、シルクの布のようなもので受け止められているようだった。


 ……最下層まで落ちた訳じゃないのか……。


「グググッ……!」

「ヤイロ! 回復魔法!」

「もう、やって……るっ!」


 二人が俺を囲み、必死に治療してくれていた。

 だが、をしてる場合じゃない。

 苔を燃やしたときのような匂いが鼻腔を突いていた。香ばしいような、ような、言葉にしづらい匂いだ。


「け、い戒、しろっ……!」


 何秒落ちた?

 どのくらい落ちた?

 だ……?

 最下層じゃないのは不幸中の幸いだが、深い層では加速度的にモンスターが厄介になっていく。


「かなり、落ちた……! モンスターに警戒しろつっ!」


 言っている間にも両脚の強烈な痛みがかなり和らいでいく。

 まだ動くには難しいが、ヤイロの技量は相当高い。このままいけばすぐに動けるようになるだろう。

 あとはヤイロの魔力次第か。


 無事だったアーシャが大剣を拾い構える。

 彼女の視線の先には、紅く光る無数の瞳がうごめいていた。


「蜘蛛型モンスターね。私が時間を稼ぐから二人は回復に集中して!」


 ルビーのような八つの瞳。

 ぷっくりと膨れた腹には髑髏にも見える模様が浮かんでいた。

 サイズ的には柴犬くらいだろうか。それが、壁面を埋め尽くすほど張り付いていた。


 よくよく見れば、壁にも空中にも大量の糸が張り巡らされていた。幾重にも折り重なり、レースカーテンのように広がったそれが、俺たちの足場になっている岩盤を受け止めていたのだ。


 B級モンスター”寂寥蜘蛛ソリトゥード・アラネイア”。それがあのモンスターの名前だった。


「アーシャ! ぐっ……こっちに来てくれ!」

「……何よ」

はヤバい!」


 異世界で相対したことがある。

 一匹だけなら勝てるかもしれない。二、三匹ならば渡り合うことも可能だろう。


 だが、コイツの恐ろしさはB級にもなってバカみたいな数で徒党を組むことにある。最低でも50、下手すれば500以上の個体が集まって巣をつくるのだ。

 それがB級にもなって”寂しがり”なんて呼ばれる所以ゆえんだ。


「B級モンスターだ。100体以上の群れを作る」

「本気で言ってるの?」

「ここで冗談言う余裕なんかねぇよ」

「……どうすれば良いの?」

「試したいことがある」


 俺は自らの肩口に指を突っ込み、血液を掬い上げた。


「 ”結合合体クロスマージ”――検索サーチ


 やや粘り気の強くなった血液をアーシャの額につける。淡い光がサークレットのように広がり、俺の腕に着いた召喚士の腕輪とつながった。


 大量の形見石と引き換えに手に入れた、異世界ですら失われた召喚士の技だ。


 俺に装填ジャンクションされていたラビが、飛び出してきた。

 キュッ、と小さく鳴きながらつぶらな瞳でアーシャを見上げる。首狩りヴォーパルの名を冠する凶悪なモンスターとは思えない可愛さだ。


 何かを感じたのか、ラビはこくこくと頷いてから俺に対して鳴き声をあげた。

 お眼鏡に適った、ってわけだ。


「 ”結合合体クロスマージ”――接続コネクト

「え、えっと……?」


 戸惑うアーシャに、ラビが

 アーシャの身体にラビの気配が重なり、淡く光る。


「何、これ……? 力が溢れてくる……!」 

「説明は後だ。俺が治るまで頼む」

「なんか分からないけど、イケる気がする……全部倒しちゃっても良いんでしょ?」


 フラグにしか聞こえない台詞とともに駆け出したアーシャの頭からウサギの耳が生える。

 ぼろきれのようになっている制服の隙間からは、純白の体毛が覗いていた。


「毒と糸に気を付けろ!」

「りょーかいっ!」


 カサカサと這い寄る寂寥蜘蛛に、炎を纏った大剣が振られた。

 炎が噴き荒れる。

 一撃必殺クリティカルを彷彿とさせる炎が柴犬ほどもある蜘蛛の群れを断ち割りながら吹き飛ばしていく。

 吹き飛ばされた蜘蛛の破片から緑色の体液が飛び散り、炎に巻かれて沸騰する。


 奥からさらに津波のように蜘蛛が迫るが、アーシャは余裕がありそうだ。


「魔力が……操りやすい……!」


 これが”結合合体クロスマージ”だ。本来であれば召喚士本人しか装填できない召喚獣を、他の人間と融合させる力。


 召喚獣と融合対象との相性が大きく関わる上に、B級以上の召喚獣でなければ効果があまり見込めないという扱いづらい能力だ。

 高ランクの召喚獣ならば結合合体クロスマージするよりも自身に装填ジャンクションしてしまう。

 自身の身を守るためにもそれが一般的であり、相性や特製の研究も装填が優先されていった結果、廃れていった技術だ。


 ラビがアーシャの身体能力を底上げし、魔力を補強し、操作を手伝っている。


「す、すご……い……!」


 騎士の形に戻ったアレックスに守られながら俺の回復に努めているヤイロがぽつりと呟く。

 アーシャが背丈ほどもある大剣を棒切れのように振り回す。

 その度にB級モンスターが冗談みたいに千切れ飛んだ。


 俺の回復を待たずとも、一掃してしまいそうな勢いだった。


「深追いはするなよ! がいるかもしれないからな!」


 寂寥蜘蛛がこれだけ繁殖しているならば、がいる可能性がある。

 母蜘蛛はランクでいえばAとSの中間。個体ごとのサイズ差もあるし単体で戦うことがほとんどないために幅があるが、いずれにせよ難敵なのは間違いなかった。


 俺の言葉に、意外な返答があった。

 

「あァ? 何でバレたんだよオイ」

「誉田!? ……そこっ!」


 炎が蜘蛛の塊を吹き飛ばす。そこから現れたのは両腕を失い死にかけていたはずの誉田だった。


 ――ただしは、だ。


 衣服を失った誉田はみぞおちの下辺りからじゅるじゅると粘液を出しており、それに溶けるように下半身は消えていた。

 スラぼうのように意志を感じさせる粘液はそこかしこに飛び散った蜘蛛の残骸を吸い取っていた。


 溶かしているわけではなく、取り込んでいるのか……?


「せっかく何もせずに素材が喰えるボーナスステージを満喫してたのによォ。クソ厄介な召喚士に気づかれちまったのは癪だぜ」


 俺も十分驚いている。

 母蜘蛛を警戒する俺の言葉に、自分の存在を感知されたと勘違いしたらしい。

 こいつが間抜けで助かった、ってとこか。


「何なのよその姿は!?」

「俺が知るかよ。それよかもっと蜘蛛を殺してくれよお姫様。満腹になったら殺す前にブチ犯してやっても良いぜ?」


 話す誉田の口が一瞬だけ蜘蛛のものに変わり、すぐに人間のものに戻る。

 変異しているらしい。


 ……おそらくはヨッドに打たれた薬品のせいだろう。

 中身が何なのかはまったく分からないが、誉田の身体から漂う魔力が注射器のものとまったく一緒だった。


「お断りよ! アンタが死になさいッ!」

「おほっ! 怖い怖い」


 炎が誉田へと伸びるが、誉田はと避けた。

 近くの蜘蛛が蹴散らされ、誉田の粘液に絡めとられていく。


「クッ!?」


 誉田に蜘蛛を与えてしまったことでアーシャの表情が歪むが、それでも迫りくる蜘蛛を無視することはできなかった。


「はははっ、良いぞ。最高の気分だ!」


 何かがキマっているかの如くハイテンションな誉田は次々に蜘蛛の死体を取り込み、姿を変えていた。

 背中から無数の蜘蛛脚を生やし。

 肩や腕、腹など身体中、出鱈目に蜘蛛の紅い瞳や口を生やす。


 完全に人間を辞めていた。

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