第31話 自己責任

「かっ、は……!」


 母蜘蛛の前脚が深々と突き刺さり、黄緑色の血を吐く。すでに血液すら人間の色をしていなかった。


「クソ蜘蛛がぁ! 何で俺を狙ってやがる……! 敵はあっちの召喚士だろうがっ!」


 敵の敵は味方。

 なるほど人間ならばそうやって一時的に休戦したり、損得計算によっては共闘することも可能だろう。

 だが、相手はモンスターだ。


「子蜘蛛をバカスカ殺しといて味方もクソもあるかよ」


 消火のために蜘蛛の内臓を使ったのは失敗だったな。おそらくはそれが母蜘蛛のヘイトを稼いだのだ。


「クソがぁぁぁぁ!」

「浅知恵振り回してドヤってる阿呆には丁度いい最期だな」

「テメっ! 絶対に殺――」


 言葉は最後まで紡がれなかった。

 蜘蛛が残る前脚を振り上げ、突き刺しながら誉田を千切ったのだ。身体の半分以上をミンチにされたところで形を保てなくなったのか、誉田は地面に墜落した。


 気緑色の体液がじわりと広がって染みをつくると、すぐに子蜘蛛が殺到した。

 食欲か復讐か、鋭い顎で誉田の身体が齧られていく。

 言葉を発する暇すらなく蜘蛛の山に飲まれ、誉田は見えなくなった。


 ……何とも締まらないが結果オーライ。

 残るは母蜘蛛だけだ。


 怪獣のような巨躯による質量攻撃は脅威だが、サイズはそのまま的の大きさでもある。

 チリチリと肌が焼け始めた俺は、さっさとケリつけようと構えた。


 母蜘蛛は尻から糸を発射する。俺を狙ってくれればそれを導火線にして蜘蛛にまで炎を届かせられたのだが、糸は明後日の方向へと向かう。


「……岩?」


 トランクケースから軽自動車くらいまでの岩に着弾すると、後ろ脚で糸を束ねて、そのまま


 即席のモーニングスターか!


 糸を燃やせば制御を失った岩は隕石のように飛ぶだろう。

 はるか遠く、俺の背後でドーム状になっているスラぼうに一瞬だけ視線を向ける。

 いくら物理耐性があるとはいえ、跳ね返せるようなサイズではなかった。


 ……どうする?


 半端な炎はアーシャたちを危険に晒す。

 かといって逃げ回っていてもジリ貧だろう。


 頭の中に、ガーゴイルと対峙した時の絶望が蘇った。


 ……否、あの時とは違う。俺には力があるんだ。


 怯えて退くな。

 命を惜しむな。

 覚悟を決めろ。


 自らの全てを賭ける覚悟を。

 立ち塞がる者をぶっ飛ばす覚悟を。

 それを可能にするための2年だったんだから。


「いくぞアレックス!」


 魔力をつぎ込んで、拳を握りしめる。

 秘められた炎は俺の魔力を燃料に大きく燃え上がり、直視することすら許さない激しい輝きになった。

 俺の身体に装着された鎧が赤熱する。強烈な熱が俺の身体をも焼き始めた。


「――豪炎拳ブレイズ・フィスト


 大気を焼き、石をも蒸発させる炎の拳だ。

 構え、そして振るう。


 ――俺を狙って振るわれた蜘蛛脚が弾き飛ばされ、炎に包まれる。


 振るう。


 ――反撃のために射出された蜘蛛糸が焼き切れ、それを伝って母蜘蛛へと引火した。


 振るう。


 ――眩い輝きが母蜘蛛の頭部をごっそり削り焼いた。


 振るう。


 ――防ごうと振り上げた脚ごと焼き尽くした。


 振るう。


 ――山みたいなサイズの腹部が破け、内臓が沸騰しながら飛び散った。


 振るう。


 ――蜘蛛の身体が砕け、燃え盛る破片になって墜落した。


 ざまぁ見ろ。

 明滅する視界の中でぐらりと身体が傾いたのを感じた。


「我ガ王ヨ! 御身ノ怪我ヲ……!」


 気がつけば、いつの間にか装填は解除されていた。

 皮膚が焼けただれ、肺がキリキリと痛む俺をアレックスが抱えて走っている。


 気を失っていたのは一瞬か。


 向かう先はヤイロの元だ。

 スラぼうが即座に形を変えて俺の身体を包む。蒸気があがるところを見ると焼け焦げた身体を冷やそうとしてくれているのだろうが、感じるのは痛みだけだ。

 どこを冷やされているのかすら分からなかった。


「ひ、酷い……! 声かけ……意識、保たせっ、てっ!」

「アキラ! ねぇアキラ、返事して!」

「……っ」


 絞り出そうとするが、灼けた喉からは何も音が出ない。

 ……制御し切れないアレックスの炎を全力で振るった結果だった。


「アキラ! 目を閉じちゃ駄目よ! お願い、喋らなくていいからこっちをみて!」

「回復、続ける! 私とアキラ、運んで……地上っ!」

「分かった!」

「承知シタ……!」


 アレックスが俺とヤイロを抱える。先行するアーシャはラビの力を借りながら大剣を振るう。

 俺たちが落ちてきた断崖を切り崩して足場を作っていた。


「このまま登るわよ!」


 子蜘蛛の残党を蹴散らしながらも次々に足場を切り出し、飛び乗りながら上を目指す。その間にも俺に回復魔法が向けられていた。


 ヤイロの額に珠の汗が浮かんでいる。


 ……帰ったら何かお礼しないとな。


 自殺レベルのダメージを負ったが、母蜘蛛を倒すにはどうしてもアレックスの高火力が必要だった。

 母蜘蛛は高ランクに分類されるだけあってモンスターとは思えない知能を持っていた。

 長引けばそれだけ不利になっていただろうし、下手をすればアーシャやヤイロを危険に晒していたかもしれない。


 身体を張った甲斐もあって、アーシャもヤイロも無事。俺がくたばりそうなことを除けば、ほぼ完封といって良い勝利だ。


 ……A級ないしS級モンスターの討伐か。俺も強くなったもんだ。


「な、なに笑って……? ま、まさか、頭……おかしくっ!?」

「アキラ!? ダメよ!? おかしいのは性癖だけにしなさい! 少しなら我慢してあげるから!」

「御二人……早ク、王ヲ外ヘ」


 おかしくなってねぇよ。というか性癖だっておかしくねぇ。

 人が喋れないからって好き勝手言いやがって……元気になったら覚えとけ……!




 唐突に現れた『人を抱えた甲冑型モンスター』に迷宮内を探索していた人間たちは度肝を抜かれた。

 モンスターに人が襲われているのかと武器に手を掛けるが、抱えられているのが必死に回復魔法を唱えるヤイロと、スライムが纏わりついた消し炭みたいな何かであることに気づいて困惑。

 最後に、それらを先導するのがままのアーシャであることに気づいて思考を放棄していた。


 痛みが限界を超えたのか、俺は一周回って妙に冷静になっていた。

 周りの出来事も、自分を苛む痛みでさえも他人事のように感じられていたのだ。いやもしかしたらコレ、魂が抜けかけてる的な状態じゃねぇよな……?


 どれほど考えても答えは出ないし、指一本動かせないので結局は周囲を観測しているしかないんだけどな。


「外、出た、ら……すぐ、病院っ! 回復術士、搔き集め、てっ!」

「わかった! アキラ、生きてる!? 死んだら承知しないわよ!」

「……ぃぎ、……ぅ」


 回復してきたので応えようとしたが、喉から漏れるのは不明瞭な風切り音みたいな何かだった。生きてる、と言おうとしたんだけどな。


 ヤイロが歯を食いしばり、アーシャが泣きそうな顔で俺を見つめる。


 泣くなよ?

 俺たちは勝ったんだから。

 アーシャとアレックスはとんでもない速度で迷宮を逆走し、転がるように外に出た。ヤイロはスマホを放り投げて一心に回復魔法を掛けてくれた。


 スマホをキャッチしたアーシャはすぐさまどこかに連絡を取り始める。おそらくは学園都市内の救急ダイヤルだろう。医療関係者の中には治癒術系のスキルを持っているものが多い。

 慌ただしく動く俺たち――というかウサ耳アーシャとデカ鎧のアレックスが耳目を集めて人垣ができていた。


「何だ、アレ」

「モンスターじゃねぇのか?」

「何で迷宮の外に」

「回復魔法……、人間か!?」

「アーシャちゃんに、ウサ耳……?」

「何があったんだ……とりあえず人呼んでこい!」

「――必要ないわよ」


 理解を超えた状況に戸惑う人垣だが、それがざざっと割れて道ができる。

 海を割ったモーセの如く現れたのは、にこやかな笑みを浮かべた女性。


「り、理事……長!」


 俺を学園都市にスカウトしたアグレッシブ理事長、クラウディア高田さんだ。


「ハロハロー。皆のアイドル、クラウディア高田よー」

「理事長、助けてください! アキラが——」

「うんうん。本当はポリシーに反するんだけど、だいたいし大健闘だったからちょっーとだけサービスしてあげましょ」


 高田さんがパチンと指を鳴らせば、俺の身体を光が包んだ。

 それまで他人事みたいに感じていたのが嘘みたいに強烈な痛みが走る。


「っっっ!?!?!?」


 思わず、ヤイロは目を丸くしていた。


「動け、る……? ま、まさか、アンデッド……?」

「…………」


 誰がアンデッドだ、と突っ込もうとしたが、まだヒュウ、と変な音が漏れただけだった。 

 ダメだ。さっきよりは各段にマシだがまだボロボロらしく、まともに声が出ねぇ……!


「自己責任が我が学園都市の掲げる規律だからね。完治にはほど遠いだろうけど、大サービスよ……に期待って感じかな」


 いたずらでもしたかのように微笑みながらながら高田さんは迷宮へと視線を向ける。

 ニヤニヤと笑う高田さんの視線の先――迷宮の入口から化け物が這いずり出てきた。


 全身がヘドロ色のドロドロに包まれたそれは、そこかしこからモンスターの一部をいた。

 自重にすら耐えられないのか、体の一部をぼたぼたと落としながら、こちらに向かって進んでくる。


 出来の悪いホラー映画みたいな展開に、周囲がパニックを起こす。

 武器を構える者もいたが、大半が我先にと逃げ出し、あっという間にいなくなる。


「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”っ!」


 意味を成さない唸り声をあげながらヘドロから顔を覗かせたのは、右半分がグズグズになった誉田だった。


「クソ召喚士いいいいいいいいいいいいいぃぃぃィィぃぃぃぃぃィィィィ!!」

「なっ!? まだ生きてたの!?」

「何、アレ……!」


 誉田は俺に視線を向けると発狂した。身体中から出鱈目に生やしたモンスターのパーツが破裂する様に広がり、大量のモンスターへと変貌する。

 ただのモンスターではないらしく、どいつもこいつも身体の一部がヘドロに置き換わって溶け落ちていた。


 共通しているのは、そのどれもが明確に俺への殺意を抱いているということだ。


「さぁ、どうする?」

「理事長……?」


 アーシャが怪訝そうな視線を向けるが、理事長は涼しい顔をしてだけだった。


「言ったろう。自己責任だ、と。……まぁ君たちのことは気に入ってるから、建物の破壊くらいは多めに見てあげる。好きなだけやって良いわよ?」


 クソが……!

 この期に及んで自己責任とはほざいてんじゃねぇ!


「ヤイロ! アキラをお願い。動けるようになったらすぐに逃げて」

「あっ、アーシャッ!?」


 返答の代わり、アーシャが大剣に火を纏わせる。


 その背中が、なぜだかダンジョン工事団の皆に重なった。


 ――異世界での2年間見、毎日のように続けた悪夢の最期に。


 煮えるような焦燥感がじりりと俺の心を焼いた。

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