第38話 剣闘士の待機室
テルミルス帝国の剣闘士の流れは、一般的にはこうなっている。
「んー。ここは変わらないのか」
まずは、今回戦う剣士の展覧会。これは競馬で言うと馬の仕上がりを見てもらうイベントに似ているだろう。
実際、ほとんど全裸の男たち、場合によっては女たちも並び、臣民が剣闘士の肉体を見て、どんな戦いをするのかと妄想をする。
「今回は臣民のフリが出来るけど、本当に反吐がでる…」
そして、次に食事会。別名は最後の晩餐で、一般庶民では口にできないものがテーブルに並べられる。
たっぶり栄養を取って、明日から始まる興行の為に体力をつけてもらう。
敵味方も関係なく、大きな部屋で行われる。因みにこの場も風通しが良く、臣民は見学が出来る。
因みに、明日戦う剣闘士の様子を互いに観察する場でもある。
「今回もこれはあるのか。…流石にリーリアは外で観察か」
だが、その二つのイベントが今回は盛り上がらない。
勿論、剣闘士たちは元々盛り上がることはない。明日、見世物として戦わさせれるのだ。
自分を鼓舞するもの、悲観するもの、様々居る。
ついでに言っておくと、ここで武器は開示されないし、持つことも出来ない。
だって、奴隷だから。と、話がそれた。
臣民の盛り上がりがないのだ。だって、今回は賭け事が禁止されている。
それは聞いていたけど、ここまで盛り上がらないのか?…てっきり、禁止されたらされたで、結局は裏で賭け事をするんだと思ってたけど。教皇はやっぱりここには来ないか。来てくれたら、それでおさらば出来たんだけど。ってか、勇者の姿もない。当日だけ見るって感じか?…分かってないねぇ、って分かるわけないか
「お前ら。くじ引きだ」
「だーぁあああ。運命の瞬間だぁぁぁあ 」
どうやら今回の対戦相手は全員が、くじで決まるらしい。
各地域から集まった、剣闘士たち。地方大会だと、目玉勝負をはっきりさせて、人々を集めることもある。
だが、どの剣闘士も人気があるということだろう。
「そもそも、賭け事禁止だしな…。じゃ、運否天賦をこの手に賭けて、俺も…」
「あぁ、黒髪のお前。お前の番は決まってる」
「は?」
「いいから、早く酒飲んで寝ろ。明日は朝から大忙しだからな」
確かに、集まった剣闘士の人数は、流石にコロッセオだけあって、かなりの人数になっていた。
だから、選ばれたかもしれない。
「…でも、おかしい。もしかして、同時に何試合かやるのか?ここは日照時間が短そうだし。ナイター…なんて野暮なことはしない。いや、するのか?」
グレイとの戦いで、この闘技場では要らないと言われたが、一対一の戦い。
障害物のない戦いでは、太陽の位置が勝敗を決める。
グレイはさておき、基本的には大きな盾と突きをよく使う剣。
足さばきが重要で、常に相手の攻撃を避けるように準備する。
そして、大きな盾で得物を隠して、相手が眩しがった瞬間を狙って突く。
勿論、突かなくてもいいが、剣の出所、リーチを見せないのが、戦いの基本。
「観客も剣と盾、剣と剣、そして飛び散る血しぶきを楽しみにしている。魔法があるとはいえ、イレギュラーだと戸惑うと思うけど。他に理由がある?やっぱ、広い…とか?」
分からないことが多い、イレギュラーが多い。
でも、一人になる前のリーリアとの話のことで、ユウは考えながら床に就いた。
そして気付いたら朝が来ていた。
□■□
ユウはとっても早くに寝た。
だけど、起きたのは他の剣闘士と同じ。
戦いを鼓舞しようと、もしくは勝利のルーティンをする為かと思ったが、全く違う理由があった。
「…え?もう、こんな時間?魔法の時計が狂ってる…ってことはないから」
帝都マルズはオーテムと比べて、かなり北東に位置している。
東だから、同じ時間でも暗い。それだけでなく、北にあるから暗い。
北にあるから暗いの意味は、後に知ることになるのだが。
「お前たち、起きているな。顔見せの時間だ。そこで武器も渡す」
ん。やっぱり時計は狂ってない。建物が大きいから…かな。他の地域だと闘技場で寝ることなんてなかったから、そういうものかもしれない。ってか、よく分からないんだけど。
薄暗い中、テルミルス帝国の兵たちの声がして、俄かに宿泊施設が煩くなる。
いつか、グレイが生存率は9割と言っていたが、ユウの体感ではもっと高かった。
リーリアの分析では、剣闘士の反乱は怖いと皆が思っているのではないか、ということだった。
こうなれば、成程。ボクシングやら格闘技やらと変わらない。あれらの競技だって、対戦中や対戦後に死んでしまうことだってあるだろう。
「おっしゃー。テルミルスの教皇に絶対にアピールしようぜ」
「おお。恩赦が貰えるって噂、本当かも知れねぇからな」
今日の戦いは特別なもの。天覧試合だから、帝国の偉い人がたくさん集まっている。
それに各国の有名人も勢ぞろい。ここで目立てば、世界中に顔と名前と武勇が知れ渡る。
剣闘士は奴隷。他国から連れてこられた人間、歴史が古いからその子供かもしれない。
インディケンの話では、アイテベリア、ビューテス、イリディアの三つの国は彼が生きている間に帝国に併呑された。
近年ではエイスペリア、メリアルがその危機に陥っていた。メリアルは無くなってしまったのだけれど、多くのメリアル人が帝国に入っているだろう。
ユウだって、異国人には違いない。だから、何の違和感もなくここにいる。
「俺も行こ。巨大な円形闘技場なんて、画像でしか見たことないし。それは遺跡だし。マリス教皇もいる。そこで目立てば…」
「黒髪。お前は出てこなくていい」
「は?なんで?俺だって…」
「知るか。…まぁ、黒髪を言われているくらいだ。猊下の髪色と同じだからじゃないか?」
「いや、だって俺も選抜で選ばれてここに来たんだぞ」
「だから、知るかと言っている。それか…、命令違反か?」
「ぐぬぅ…」
濃い髪色はこの辺りでは珍しくない。教皇の髪の色が黒だからって、疑問に思う人間はいない。…多分。でも、本当は奴隷身分でもないし、金を掴ませて忍び込んでいただけ。
どっかではそういう肩書で戦った気もするし…。ここに来て、やっぱ教皇の前で不正入国者は不味いのでは、となってもおかしくはない…かも?
「ま、てめぇんとこのオーナーが金掴ませて、弱い奴と戦わせてたってのは有名な話だからなー」
「本当は俺がてめぇをぶっ殺す予定だったんだぜぇ。運が良かったなぁ。きっと、マリスとかいう神の思し召しだぜ」
「ぐぬぬぬ…」
そんな裏金は使ってないが、しっかり裏金は使っていた。
見世物で切りつけ合う。出なくていいなら、喜ぶ者の方が多いかも。
勿論、今回は別。国を挙げての祭り、教皇に気に入られたら剣闘士を卒業できる。
金持ちの女に気に入られたら、素晴らしい未来が待っているかもしれない。
それは前から決まっていたこと。それがあったから、ここまで来るのが大変だった。
「クソ…。ここまで来て、お預けかよ…」
不正が見つかれば、飼い主が只では済まない。
けれど、そこに不安はなかった。インディケンはグレイとマリアと共に、帝都の雑踏の中に消えた。
最後の最後まで世話をしてもらった。グレイは自分の行く道の途中だからと気にしないでいいと言ってくれた。マリアたちもお金を入れてくれるならと、インディケンも人の良さで。
「いやいや。めちゃくちゃお世話になったんだから。ここで俺がミスっちゃダメだって‼なぁ、俺もせめて最初の挨拶くらい…」
「えいい、しつこいぞ‼お前の出番は今じゃないんだ。俺にお前を勝手に出す権限があると思うか‼」
ドンと蹴られて、壁に激突する。一瞬、意識が飛びそうになる。
流石は異世界の住民。兵士となれば、それなりに強い。
元の世界の人間は越えている。勿論、ここまで勝ち上がったことからも分かるように、ユウもこっちの世界での戦い方を身につけてはいる。
でも、ここで逆らったら終わりくらいは分かる。
グレイが起こした反乱のようにめちゃくちゃにすれば、関係ないかもしれないが。
でも、今の俺じゃ無理だ。その時とは違って勇者が来ている。
「…今じゃないって。出番はあるってこと?」
「…多分そうだ。俺が手渡された予定にはないが、出番がなけりゃ、ここには呼ばれないだろ」
ドンドンドドドン…カーンカーン…バッバラー
遠くで鳴り物が聞こえる。今回は軍神マリスを讃える為に教皇がお出でになられている。
いつもより盛大に、剣闘士を盛り上げているのだろう。
「本当に出番、あるのか?リーリアも用があるって居なくなったし」
赤毛の彼女とも、少し前に別れている。エイスペリアとクシャランの戦争は一時休戦。
それどころか、北の教皇主催の剣闘士大会を見ようと、赤毛の人々が帝都に入り込んでいる。
木を隠すには森の中、クシャラン人を隠すならクシャラン人の中。
それに、
「ここで勝ちぬけば、欲しい答えが見つかるはず。私は私のやるべきことをやるわ。それじゃあね。」
と、キッチリと別れ話も頂戴している。
久しぶりの一人。そして、ここから出るわけにはいかない。
マリスの教皇が居て、勇者たちも揃っている。
間違いなく、今の世界の中心はココなのだ。
ま、何かあっても、アイカがいるし、ナオキもサナも、レンも。俺が賢者として目覚めないってことは、誰かが俺を仲間だと思ってくれてる。その誰かが、絶対に助けてくれる。でないと、悪魔は契約を破ったってことになる。
賢者になるのは諦めた。だって、友達は友達だから。
ストッ…
「痛っ…。なんだ?…いや、なんでもないか。うーん、な…ん…か……」
眠い。
昨日、あんな早くに眠ったのに…
まぁ、いいか。出番になったら起こされる…か
そう言や、俺。世界の中心になんでいるんだっけ……
はぁ…、どうでもいいか。俺なんかいなくても、この世界は…回って……
薄暗い部屋。剣闘士の待機室。
カビ臭い…。いや、カビなんてこの世界で見たっけ…
えっと…
「私たちは皆、罪を背負っています。あなたも私も。そして神に許しを乞う為に、私たちは日々、神の教えを聞き、己を研鑽するのです。だが、あなたは過ちを犯しました。それはあなたが悪魔に取り憑かれているからです。だからこそ、こうやって救われるのです。さぁ、神に祈りなさい。どうか地獄にだけは落とさないでくださいと……。最後に神に慈悲を乞うのです」
なんだ、これ。
男の声が、右の方から聞こえる。
「お助けください、お助けください。俺は妻も子供もいるんです。こんなの何かの間違いなんだ!俺は真っ当にこの世界を救おうと、真っ当に勇者として————」
ドンッ
その瞬間、金属が何かに擦れる音と、漬物石を床に落としてしまったような鈍い音がした。
「おおおおおおおお‼悪魔つきが死んだぞ‼」
「見て、空が‼」
何の…話?
「私たちは皆、罪を背負っています。あなたも私も。そして神に許しを乞う為に、私たちは日々、神の教えを聞き、己を研鑽するのです。だが、あなたは過ちを犯しました。それはあなたが悪魔に取り憑かれているからです。だからこそ、こうやって救われるのです。さぁ、神に祈りなさい。どうか地獄にだけは落とさないでくださいと……。最後に神に慈悲を乞うのです」
また、教誨師の声だ。
「待ってよ。アタシは何も悪いことなんてしてない‼なんでよ‼こんなのってない‼誰かアタシを————」
ドンッ
また、金属が何かに擦れる音と、漬物石を床に落としてしまったような鈍い音がした。
「マジだ。やっぱりコイツらのせいだったんだ」
「これで私たちの世界が…、明るく照らされる…」
なんだ、夢か。知らない誰かの処刑…。
知らない人たちが群がって、知らない誰かの首を落としてる。
こんな映画…、どっかで見たっけ?
「私たちは皆、罪を背負っています。あなたも私も……」
また、教誨師の男の声。
なんで、こんな夢。…夢?教誨師なんて、どうして…
教誨…、教誨…、きょうかい。この世界は白と黒の境界…。
だから…、これは俺が見せている…、在ったかもしれない…
目を背けている世界…
決して賢者は生まれない…、残酷な……
ピシ…
ピキピキ…バコッ…
大地が罅割れる。見ていた世界が崩れていく。ずらりと並んだギロチンも崩れ落ちる。
あの人たちは助かったのか、それとも揺れた拍子に首を落とされたのか。
——間違いない…。在り得たではなく、本当に在ったんだ。
この罅割れ。あの時と同じだ。つまり俺は今…、精神を攻撃されている。
それでも俺には封印があるから…、この呪いが心を穿つことは…ない…はず
罅は封印のところで…、止まる…から。
しっかりしろ、俺。あの時は無知だった。でも、今は違う。この程度でやられてたまるか。チートがなくても…俺は…
酷い頭痛、全身が泥の中に埋まってしまったように重い。
だけど、黒髪の未完勇者は心の中で全身を奮い立たせて、ゆっくりと目を開けた。
「あれ…。これはどういう…。夢と同じ…?何で俺、体を固定されてるんだ…」
目覚めた先には、絶望的な景色が待っていたのだけれど…
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