第31話 文字化け経験

 オーテム教会は昔から剣闘士養成所も兼ねていた。

 そこには優秀な講師が居て、その名をインディケンという。

 インディケンの素晴らしさは魔法に頼らない治療術を持っていることだった。


「全くダメね。ひょっとすると虫の方が頭いいんじゃないの?」


 ただ、彼の隣で赤毛の女の罵声が飛んでいる。

 彼女がここにいるということは、目の前には黒い髪の青年がいる。


「そりゃ、虫はこっちの生物だし?あっちの軸で因数分解とかしてるかもしれない。下手をすると俺は虫よりも頭が悪いのかもしれない」

「屁理屈を言うな‼」


 登場初期のリーリアはもういない。ユウがリーリアに任せるという道を望んだから、ユウが望んでいなかったスパルタ教育の道に踏み入れてしまった。


「あのぉ。リーリアちゃん?怒るにしてももっと分かりやすく…」

「インディケンさんは黙って‼」


 行方をくらました筈のユウがどうしてオーテムにいるかというと…


「さっすがインディケン先生‼これを明日までに全部詰め込むのって容量的に無理だと思いまーす」

「また‼インディケンさんに頼って‼それに明日までじゃないわよ。移動中も頭に入れてもらうからね」

「げ、マジ?移動中が唯一の休みなのにー」


 半眼で様子を見ている彼の言葉にその答えがある。


「マリア様。トッドナウゼンの興行。俺は出れないの?」

「そうですねー。グレイの頭を切って、ユウの頭に挿げ替えれば…できるかも?」

「俺死んでるし」

「息抜きにお金を貰って、ユウちゃんと戦えてるでしょ?」

「あれ、そこまで楽しくない。俺の本気出せないし」

「だったら、リーリアさんにもっとお金を貰わないとねー」

「うーるさい。これでもかつかつなんだから。ってか、グレイも楽しんでるんだから、もっとまけなさいよ。」

「だってグレイ、楽しくないって。全勝だけど楽しくないって言ってますしー」


 グレイとの特訓の話はさておき、エキシビションマッチで天覧試合に参加できるわけがなかったという話だ。

 観客からは認められたが、天覧試合となると実績が必要となる。

 その為にお金を握らせて、無理やり参加して、持ち金の全額を賭けて、どうにかプラス収支にする。

 問題になったのは、全てを任されたリーリアであった。

 彼女は顔が割れているだけでなく、カラーズだから余りにも目立つ。

 勇者の筈のユウは全く問題がないのだが。


「大体さ。俺、言っていい?なーんか言いたくないことだけど、言っていい?そこが一番ネックになって分かんないだけど」


 だが、どうやって金を握らせるか、という話になって白羽の矢が立ったのが、老齢のインディケン先生だった。

 そも、オーテム教会所属の剣闘士は、グレイの反乱の際に皆死んでいる。

 インディケンは帝国が滅ぼした国であるデナアル大陸北東部の小国アイテベリアの元奴隷剣闘士で、臣民権獲得条件である三十勝を三十年前に達成した為、現時点では帝国臣民である。

 とは言え、剣闘士上がりの臣民はよほどの人気がない限りは、剣闘士育成教師になると相場が決まっていた。

 彼は残念ながら地味に三十勝を達成した為、オーテム教会の養成所で働いていた。

 そして、人気がないが故に金握らせ役に抜擢された。

 勿論、リーリアは彼にもお金を支払っている。

 そんなこんなで、漸く次のマリス大祭での興行に呼ばれることになった。


「何よ。不完全な勇者さん。グレイには結局全然勝てなかった」

「いあ、グレイが凄すぎんだよ。全然、読めないし。絶対に読まれるし。っていうか、俺とは戦ってる土俵が違う。って、グレイ。なんだかんだ、ありがと」

「別に。俺は俺の為にやってるだけ。偶々、ユウの道に俺の知りたいことがあるだけ」

「ん?そうなの?」

「はい。その話はそこまでです。グレイ、ぎゅーしてあげるね。リーリアさんはドケチみたいですし」

「俺は別に。マリア様、痛いです。俺、ここで死にたくないから」


 グレイの動きは闘技場のソレの半分にも満たない。

 それでも勝てるビジョンが見えない。理由は彼の言う経験値。それは戦いの経験だけを指すものではないという。


「で、さっきの言いにくい話って何なの?」

「あぁ、良いのかな。宗教観になっちゃうんだけど」

「今、私はマリス教会に居ます。でも、デナ信者です。これ以上の歪んだ宗教観がどこにあるのよ」


 それはそう。結局、養成所を借りる手前、ここに入り浸ることが多い。

 あの時は抵抗していたリーリアだが、ユウが話に乗ってきたことで腹を括ったらしい。


「んじゃ、言わせてもらうけどさ。俺の場合は少ないリソースで魔法を理解しないといけないわけ。リーリアはさっきの虫さんの思考で…、痛っ‼」

「要点だけを言うの‼回りくどいんだけど?」

「そもそも多神教なんだろ。なんで、天使とか悪魔がいるんだよ。神様の力なのか、天使の力なのか、悪魔の力なのか。あと、神殿なのか教会なのか。全部が全部、ごちゃごちゃなんだよ」

「それは私への質問と受け取って宜しいのですか?」


 そこでピリッと空気が変わった。

 ユウは相変わらず鈍感、グレイは経験上知っている特有の空気のうねりを感じている。


「うげ…。じゃなくて、そか。教えたり、学んだり。そういう役目だったよな。天使も身に宿しているし」

「確かに、その通りです。その為には歴史の勉強が必要なのですが、ざっくりというと古代デナン神国が、国を呑み込むために配下に加えていった。抵抗した勢力が悪魔です。ただ、それではいつまでも南の国々に支配されてしまう。その為に私たちはマリス様を主神としたのです。」

「や。それは分かるんだけど…じゃなくて、ですけど。マリアさんとリーリアは天使の加護があるんだよ。でも、その天使って元々は神様だったってことじゃないの?」

「どうでしょう。大天使アリオス様はご自身のことを大天使アリオス様と仰られましたし」

「どうしてマリアだけ『さん』付けかは知らないけど、私の場合もそうね。クシャランで魔導書を読み漁って、天使アカツキ様を見に宿した。神様とは言っていなかったけど」

「ん。マリア様。俺の時と反応違う。俺の場合はそういう質問した時、右腕を切り落とされた」

「あらあら。それはやきもち?」

「全然違うけど」

「え…、そうなんだ。俺、今地雷踏んだんだ」

「そうではありませんよ。ユウちゃんは一定の理解がありますし、右手を切り落とす価値もないですし」

「それ、褒めてんの…?けなしてるの?」

「それに、グレイがやきもち焼いちゃうし」

「焼いてないけど」


 異世界の神々、もしくは天使と悪魔。どうしてもそこが引っかかっている。

 それに、もう一つ気になることがあった。それが知りたくて質問をした。

 けれど、やっぱりそれは概念的な話で留まる…

 ユウはそう思っていた。だけどここで、思わぬ事実が発覚する


「マリア様。マリア様の出身は何処でしたっけ?」


 突然、インディケンが話に入って来たのだ。インディケンの素晴らしいところは勉強熱心な所。

 戦い方は地味だったかもしれないが、彼の真価は座学で発揮されるのだ。

 実際、解剖学の知識はビックリするほど参考になった。

 剣闘士はお金がなくて、魔法による治療の代金を持っていないことが多い、という話を聞いた時、こんな無能勇者でも恵まれているのだと身に染みて理解できた。

 しかも、今後エイスペリアでの惨状に巻き込まれないとも限らないから、本当に有意義な時間だった。


「それはルーツという意味でしょうね。サジッタス公国のフダーハです」

「え、そうなん…ですか。完全にデナン神国側…。でも、そういうものか。南端で始まった巨大帝国があり、今があるし」

「えぇ。ほら、グレイ。こういう知識が大切なのですよ。」

「ん。これが異世界人ぱわー?」

「というより、自由の国だからでしょう。普通はこんなさえな人間に学はありませんからね」

「だから、そういうのいいから。で、インディケンさんは何が言いたいの?さっきから考えてるみたいだけど」


 そう。ここで誰もが目を剥かないが、ユウだけが目を剥く現象が起きる。


「フダーハであれば、大天使アリオス様は元々、勝利の神『繧ャ繝ェ繧ェ繧ケ』だったのではないでしょうか」

「え…?それ…何?」

「そういえば、そのような記述をどこかで…。でも、恐らく廃版、禁書扱いだと思いますよ。デナン神殿の書庫には勝利の神『繧ャ繝ェ繧ェ繧ケ』にまつわる本があるかもしれませんが、異教徒扱いされてしまうでしょうね。私はアリオス様の名前の方が気に入ってますし、でも勝利という言葉だけ頂きますね」

「何、それ。ねぇ、私はそのままクシャランのアグセットだけれど?天使アカツキ…」

「狩猟の女神『繝ャ繧、繝峨Β繝ウ』です。流石にアイテベリアと近いですから、それは間違いないと」

「また…、これは…なんだ?」

「ふーん。狩猟の女神『繝ャ繧、繝峨Β繝ウ』。確かにそういう感じはするかも?ちょっと発音しにくけど」

「勝利と狩猟、決まってしまいましたわね」


 皆にとっては、そういうものか。流石にレジスタンス、流石に密入国者だけあって、既に厳格な考えはない。

 というより、マリアに至ってはグレイしか興味がない。


 だが、そんなものかと思えない人間がいる。


「それが…、ってユウ。インディケンさんに教わってて、何を魔法硝板を弄ってんのよ」

「いや、魔法硝板ってさ。自動翻訳機能があるって言ったろ?その時って一応アプリが起動してんだけど…。やっぱり…そうだ。こんなこと、一度もなかったのに。聞き取るってレベルじゃなかった。でも、みんなは普通に喋ってて…」

「何よ。意味が分からないんだけど?」

「俺は何を言っているのか、一文字も分からなかった。つまり魔法硝板じゃ翻訳が出来ないんだ」


 何がなんだか分からない。リップシンク(音声と口の動きを一致させる)まで対応した恐るべき悪魔の力なのに。


「…もしかすると、その魔法硝板というのが比較的新しいものだから、かもしれませんね。私の知識はかなり古い本で見つけたものですので」


 と、インディケンが言うと、ユウは目を見開いた。

 そして。


「ユウ、その中に入っているのって…、アレ?」

「うん。えっと」

「それ、多分。アイツが適当に名乗ってる名前。その悪魔はもっと古い悪魔だと思う。」

「そっか。ちゃんと名前が聞こえるのも、マリアさんとリーリアの天使の名前が聞こえるのと同じ…。見えてきた…けど、見えてこないものも…あるな」

「ユウ。そういうのが経験値。毎日の行動に分岐や学びは隠されてて、それが積もり積もって成長する」


 ——経験を積み、レベルを上げる必要ありってところね


 初日、スマホを見てアイカが言った。


 そういうこと?勝手にゲームって思ってたけど、経験って色んなことを経験する、学ぶ…こと


「グレイ、インディケン先生、ありがと‼」


 そして、ユウはリーリアに与えられた課題を抱えて、教会を飛び出していった。


「は?なんで私にありがとがないわけ?」

「ねぇ、リーリアさん。相談なんだけど…」

「駄目よ。ユウは私のもの」

「今、マリア様を取られようとしている。それは困る…ような。痛い…。マリア様、痛い」

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