第29話 デナの教皇

 白銀姫は二度、三度と階段を踏み、その度に石階段に穴が開く。

 だが、力は緩めない。自分ルールを突き通す。これは彼女の決意の一つ。


 そして…


「暑っ……、っていうか熱っ…。って、飛びすぎちゃった。太陽直火?日焼け止め塗ってて良かったぁ」


 慣性で一瞬の無重力状態。そこから神殿を見下ろす。

 熱い太陽の直下にはリオールが言った通り、マイマー領よりもずっと大きな農園が広がっていた。

 デナ山から流れる三本の川が豊かな実りを下流の人々に与えている。


「山側に大きな建物。きっとデナン神国の首都ね。で、真下にあるのが…って‼このまま落下したら、スカートの中…」


 彼女はルールを思い出し、今度は体を反転させた。

 親方に少女の落下を報告する少年を見つけることもなく、アイカは神殿目掛けて頭から落ちていく。


「流石に神殿を壊すのは不味いわよね」


 そして、どうにか途中で冷静になり、いつかユウにも使ったシルフィード・アイで、ふわりと着地をした。

 すると、そこには老年の男がいて、着地の瞬間にバッチリと目が合った。


「あ、お邪魔してます」

「そ、空から少じ…」

「あー‼こっちは普通の階段じゃん。でも、道は繋がって…」


 玄関か分からないが、広い場所が見えたのでそこ目掛けて落下したアイカ。

 彼女は日の光の下で、海の街を眺めた。道が放射線状に広がって、川の有効利用も進んでいる。


「こっちは入口じゃないのか。階段があっち側に続いているし…。それにしても、不気味な海…」


 頭上より少し海側に太陽があり、そこから暖かみを感じる。

 眼下に海が拾っているが、期待していた景色ではない。


「確かに…、女神の鏡海。空がそのまま映ってる。太陽も…」


 本来なら幻想的に見えるソレ、だけど海の上に雲がないからか、それとも海の色が暗いからか、空の色が単色だからか。印象は美しいというよりも、


 ──不気味な異世界。不気味な夢。


 改めて、ここは知っている世界ではないと思わされる。


「そういえば、ユウがずっと言ってたっけ。この世界はなんかおかしいって…」

「それはお前さんから見た言葉じゃろう」


 アイカの銀糸がふわっと浮く。

 確かに、これはただの悪口。


「す、すみません。そんなつもりじゃなくて…」


 振り返ると先ほどの老爺。えんじ色のヒマティオンを着ている白髪の男。

 とは言え、特に何かを感じる男ではない。


「ワシらにとってはこれが母なる大地…」

「分かってます。さっきのは謝ります。アレは友達の言葉だし。私はそこまでは…」


 自分でも思ったことだが、ユウに言われた言葉。

 それに、そんなうろんな目で見られる筋合いはない。


「友とは、まさかナオキ様とサナ様ではあるまいな」

「違うってば。多分、ううん、絶対にここに来てない友達だし」

「ふむ。では、レンか?」

「…いいえ。何なのよ、もう」

「であれば、ユウじゃな。覚えておこう…」


 意味が分からない老人。

 通常であれば、かなり意識をするだろう。

 人間の価値は外見だけでは測れない。それ故に身なりを整えたり、名札をつけたり、バッジをつけたり。

 だけど、この世界はもう一つの基準がある。リオールはあぁ言ったが、カラーズでなくとも魔力やスキルを持っている。

 特に貴族と呼ばれる人間は。侍従も大抵が貴族の親族だから、何かしらの力を感じる。


「あの…、そんなことより玄関はどちらですか?」

「玄関…とは?入り口は…」


 一方を指で示す老爺も確かに感じる。でも、侍従にも劣るそれは。

 確か、領民と呼ばれる人たちの多くと同じくらい。

 ここ最近はそちらの感覚ばかりを使っていたから、本当に印象に残らなかった。


「あ、えっと。多分、二つ入り口があるんですよね。伝統的に勇者が使う方です」

「じゃから、あっちじゃ」

「…そっか。普通は使わないのかな。あー、どうしよう。リオール様を待たせてるし。お爺ちゃん、どうもありがとー」


 アイカはそう言って、老爺を置き去りに神殿へと走る。

 そして、しばらく走ったところで。


「アイカ様‼」


 彼女は背後から、声を掛けられた。


「え?リオール様?あれ、そっちが入口だったんですね」


 そして、彼女が驚くのはやはりこちらだった。


「っていうか、もう登られたんですか?アタシも全力で駆け抜けたのに、流石です‼」

「い、一応素直に喜んでおきます。ですが、本当に焦りましたので、これからは気を付けてください。突然飛ばれたで、流石に僕も焦りましたよ…」

「う…。ゴメンなさい。対抗心が燃え上がっちゃって…」


 自身にも言えることだが、みかん色に輝くリオールの髪はここでも鮮やかに輝いていて、神々しさまで感じてしまう。

 異世界人特有の魅力も相まって、先とは違う意味での異世界を感じられる。

 やはり、これ。こうでなくては、彼女は上がらない。


 ただし、ここでネタばらし


「こちらへ来られていたということは、既に猊下との謁見を済まされたのですね」

「え?まだですよ」


 首を振って、空中をプラチナの輝きが舞う。

 因みにスロットの力が溢れたのが、髪の輝き。

 だから年中光り輝いている訳ではない。

 力を使って直ぐだから、まだ輝きを残しているだけだ。

 普段はよく見ると淡く光る程度だが、まだまだ白銀の輝きは収まらない。


「え?…そう…なのですか…」

「はい。アタシもまだ来たばかりですし。あ、でも大陸の海側を暫く眺めてたから、来たばかりは違いますね」


 糸目の上の眉が顰められるが、直ぐにいつもの緩やかなカーブに戻って、何度か頷いた。


「…成程。事情は大体わかりました。では、こちらへいらして下さい」

「分かりました。アタシ、全然分からなくて迷子になりそうでしたし」


 アイカの素晴らしいところは、やはり体術と精霊魔法の融合だ。

 体に風を纏っていたので、あれだけの動きをしても制服だけでなく、靴まで傷がついていない。

 頼りになる異世界の友人に案内され、石造りの廊下の音を楽しみながら、笑顔で行進する。

 なんなら、腕だって組んでいい。リオールはどうにか辿り着けたものの、従者は誰一人、間に合っていない。


「教皇様?教皇猊下?どんなふうにお呼びしたらいいんでしょうか」

「猊下で良いと思いますよ。そもそも、僕たちもアイカ様がどのような言葉を話されているか分からないので」

「あ、そか。やっぱり言葉を覚えないと、ですね。その為には母国語を使っちゃダメって聞いたことがあるけど…」


 自分の環境が許してくれない。魔法硝板は勇者と対の存在で、何処に居ても近くにある。

 絶対に忘れないで済む便利アイテム、元の世界であれば。


「…もう、スマホ要らないし、壊しちゃったらいいのかな」


 豪華な司祭服の男に寄り添いながら、ポーチからスマホを取り出して、睨みつける。

 そして…


「お止め下さい‼」

「え…?」


 思い切りぶん投げようとしたが、リオールの言葉に驚いて、ポンと放り投げただけ。

 普通のスマホなら石の廊下に落ちて、画面に蜘蛛の巣状の罅が入るかも。

 だが、魔法硝板は直前で止まって、ゆっくりとアイカの手元に戻っていった。


「突然、大きな声を出してすみませんでした。…ですが、魔法硝板を壊すのは危険かもしれません」

「そっか。今、いきなり喋れなくなったら。少しずつ…、うーん。でも、それが出来ないのが魔法硝板だし」

「…言い伝えです。魔法硝板と勇者は二位一体。勇者の体が破壊されれば、魔法硝板も破壊される、と。もしかすると、その逆もまた…」

「そ…んな…こと、聞いてない。だって説明になかったし…」

「その、そちらの話は僕が勝手に考えたことです。ですが、勇者と魔法硝板の繋がりは僕たちには分からないもの。危険な賭けのように思えてしまうのです」


 言葉と文字の自動翻訳。ユウが賜っている恩恵。それに加えてアイカは戦い方やスキル、魔法までがアプリで確認できる。

 勇者と魔法硝板は密接に繋がっている。それは間違いない。


「そ、そう…ですよね。それに今、言葉が通じなくなるのは良くないし…」


 先ほどはそこまで開くのか、くらい目を剥いたリオール。

 今はいつもの笑みに戻っている。そして彼は突然、組んでいた腕を解いた。

 アイカは不思議な顔をするが…


「アイカ様。こちらです。今日もきっと…。猊下はこのバルコニーから街を眺めるのが日課なんです。この時間もきっと…」

「え⁉…えっと」

「問題ありませんよ。いつもの通りで構いません」

「で、でも…」


 突然、背中に重いものが圧し掛かったよう。そんな力の発生源は何も無いのに。

 これは心の重み?ただ…、リオールは口を噤んだまま、えんじ色の服、白髪の老爺に跪いた。


「三日ぶりでしたか。猊下、お変わりはありませんか?」


 そして、ヒマティオンを着ているのか、着させられているのか分からない小柄な老爺はゆっくりと振り向いた。

 あの時と印象は全く変わらない。けれど…


「あ、えと。済みません…。猊下、アタシ…」


 100%やってしまった。全部、ナオキのせいなんてのは、やっぱり通じない。ナオキは信頼されている。

 でも、アタシは…


「勇者アイカ。お主の方は数分ぶりじゃな。そんなに畏まるな。勇者とは世間知らずと相場が決まっておる。伝承通りじゃと思っただけじゃよ。いや、伝承ではもっと酷い奴もおったとか。お前さんの友であるユウとやらが、そちらに当てはまるのじゃろうな」

「へ…?」

「アイカ様。人間を視るのは外見でも、着ている服でも、名札でも、王冠でもありません。ましてや、亜空の力でもありません。デナン神殿の頂上におわす教皇は知識と人望によって選ばれます」

「リオール。そういうのはワシがおらんところで言ってくれ。嬉しいような、恥ずかしいような思いじゃわい。それにワシも運よく選ばれただけじゃし」


 一か月ほど前にユウが経験した異世界人の洗礼。ここでアイカもその一端を味わうこととなった。


「して、今度は何について話せばよい?」

「あ、えっとその…」


 知識と人望で選ばれた。即ち、勇者の力でひれ伏すか分からない。

 いや、それよりも。ユウが悪者になってしまったという後悔。

 最初の話から、彼はナオキとサナを信頼していることが分かってしまった。

 ナオキに先手を打たれた。ここで同じことを聞いてしまったら、どう思われるか。

 殆ど、頭が真っ白な状態で…


 そして。


「それについてはナオキ様より言伝が御座います。」

「ほう。ナオキ様が…」


 何も考えられないまま、他の勇者の名前でやりとりが行われる。

 ただ、先手を取られただけではない。

 先に陣形を作られて、こっちはここから初手、それくらい差が開いていた。


「アイカ様はナオキ様から見て、頼るべき勇者だそうです。」

「ほう。そうか、そうか。それは良い便りじゃな」


 アイカが目を泳がせている間にも話が進む。

 だけど、ナオキが行ってこいと言われて来たのだから、そうなってもおかしくはない。

 でも、その目的は——


「それから手紙です。内容は僕も知りませんので、詳しくはそちらを…」


 手紙?リオール様も知らない内容?それってアタシのこと?やっぱり罠?


 後手だから何も分からない。それに力ではどうにもならないこともある、と少しばかりショックを受けている中。


「成程。…あれをアイカ様に見せるべき…と。先ほどは失礼した。ナオキ様がこれほどまで信用を寄せているとは…。やはり、中身を知るまでには時間が必要と言うことじゃの。ワシもまだまだじゃわい」


 アイカの目が点になる。

 瞳が震える。まさかの手紙。内容は分からないけれど、教皇を無理やり納得させるほどの内容。


 もしかして、ナオキはあんな感じだったけれど、実は頼られていたのかも?サナを守る為にちょっと強気になってただけ…?でも、アタシもこの世界を知りたい‼


「はい。アタシ、ナオキとサナと昔から友達です。今も一緒に女神デナの為に戦っています‼」


 こんな時の為の魔法硝板。それを殿下の宝刀の如く振りかざし、白髪の老爺に突き付ける。


「成程。確かに…、あの時とは違うか。やはりナオキ様の仰られた通り、もう一人裏切り者が出たのじゃな」


 アイカは小さく頷いた。

 裏切ったかは分からないけれど、協力するつもりがないことは確か。

 今も役に立っていないし、帝国領にいるのだし、広義の意味では裏切りと言えるかもしれない。


「ナオキはユウのことを私に託しました。だから心配要りません」


 そして、嘘もついていない。

 この宣言もあり、教皇はふむと首肯して、ゆっくりと背中を向けた。


「アイカ様、こちらへ来てください。女神デナに仕える勇者様にお見せしたいものがございます」

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