第28話 白銀姫の階段

「いや。この馬車、速くない?っていうか、止まらなくない?」

「え…。そうかなぁ。来た時もこんな感じだったけど」

「…俺の知ってる馬車ってこんなんじゃないぞ」

「それはやはり、ユウ様が覚醒されていないから…かもしれません」

「ん。…やっぱそうか」

「ユウって馬車に乗ったことあるの?」

「普通にあるよ。小学校の頃はド田舎だったし」

「あ、そっか。中学で引っ越してきたんだっけ。どれくらい違うの?ユウ君が知っている馬車と」

「十倍以上。まるで車に乗ってるみたいだよ。時速50㎞のペースで走ってて、休憩なしって化け物だよ。」

「そうなんだ‼やっぱり異世界なんだね」


 アイカは柔らかなソファのような椅子に座り、車窓から外を眺めていた。


「ここは異世界…か」


 自然とユウと仲間とのやりとりを思い出していた。

 あの時の自分の頭の中は燃え滾る溶岩のようだった。ソレに関してはまだ燃えているけれど。


「そうですね。…そして僕は君に出会えました」

「そ、そ…、そう…ですね。髪の色は置いといて、人間は人間ですし」


 ユウに言われなければ気付けなかった馬車の速度。

 ユウに言われなければ何も思わなかった、道路の仕上がり。

 一度しか見ていないイスルローダ、アレはやっぱり悪魔だろう。悪魔と言っていたから悪魔なんだろうけれど。


 チート能力に目覚めないのがユウじゃなかったら、と思ってしまう。

 悪意を以て、そうしたとしか思えない。


「どうしたんですか?顔色が優れませんよ」

「だ、大丈夫です。…その、そういえばこっちには来たことないなって」

「そうでしたね。アイカ様はセムシュ領のゲイダス教会までしか南には来ていませんね。知らないところに行くのは不安です」

「…はい」

「それも異世界。僕だったら、逃げてしまいそうです。いえ、元の世界に戻るにはメリアル王国の西に行かないといけないんですから…。…そうですね、僕だったら蹲ってしまうかもしれません」


 優しい音色。アイカはふと顔を上げた。心臓は一度、強くポンピングをした。

 そうなのだ。その通りなのだ。アイカが最初に感じたのは絶望。だから、部屋に閉じこもっていた。

 それを無理やりこじ開けたのが、ユウなのだけれど。

 でも今は、当時の気持ちを代弁してくれる存在に目を奪われた。


「リオール様でもそう思われるのですね。…お強いのに」

「言ってませんでしたっけ。…僕は所謂、後発組です」

「後発組…?」

「えぇ。元々はもっと赤い髪でした。リーリアほどではありませんが」

「そう…だったんですか。そういえば、この地域は赤毛が多いと聞いた気がします」


 今もオレンジ色だから、遠くは無いのだけれど。

 リーリアの赤毛はカラーズの赤。多くのクシャラン人は赤茶色の髪だ。


「子供の頃は夜が怖くて堪らなかった。…どうして夜になると魔物が徘徊するのか、それは今でも分かりませんが、大人たちが払ってくれていると知っていても、怖かったんです。お母さんと一緒じゃないと嫌だ、と駄々をこねていたりしてました。大抵は兄上に引き摺られて部屋に戻されたんですけど」

「想像できません。だったらレオス様は…」

「いいえ。兄も後発組です。僕たちの髪、そして力は勇者様を支える為に存在すると言われています。厄災の前兆とも言われますけど」


 デビルマキアの前兆の一つ。カラーズの誕生。

 後発組は途中で髪の色が変わる。因みに先発組は10代、後発組は20代の若者だ。


「成程。生まれた時期で…。だったらレオス様はカラーズでなくとも強かったのですね」

「いいえ。ただの強がりですよ。兄も怖かったのに、強がって自分が一緒に寝てやるって…。あ、これを言っちゃうと兄上の株が上がってしまうから、ここまでにしておきましょう。見てください。サジッタス公国の城壁が見えてきましたよ」


 ナオキのことをよく言いたくないけど、と付け加えてアイカは小さな城塞都市を見つめて思った。

 別名は女神デナの守護門。サナの為でもあったのだろうけれど、自ら行動を起こして、この世界の実質的な支配者に会いに行った。

 アイカにはやるべきことがあった。とは言え、自分は言われたままをやっただけ。

 彼は自らこの世界に介入しようとした。

 その結果が、先のエイスペリアの初日の布陣だ。


「あの城門の奥に見えるのがデナ山…、奥にあるのがデナン神国ですね。あの山の奥にこれから行くのですね」


 気が付けば、差をつけられていた。

 二人は小さな部族が集まっている、ゼングリット首長国に向かっている。

 教皇の意志と言っていたが、ナオキはいつの間にか南側の支配者と繋がっているとも言える。

 ここから西にある国で、独自のデナ神系ではあるものの、独自の神を奉っている部族の連合。

 魔物を使役する文化はないが、人数が多いために侮れない。

 デナ神系国家と帝国との戦いとは関係ないが、背中から刺される前に、勇者の威光を見せつける必要がある、…らしい。


 ほんと、ダメね。アタシは何も考えてなかった。らしい、って思うしかない時点で言われたことしか出来てないって感じ。そりゃ…、クシャランとの繋がりはアタシの方が強いけど、クシャラン大公はデナン神殿の教皇に頭が上がらないし…。裏切り者のマイマー公を放っておいたから、株価暴落中だし


 どれもこれもサナの為への行動。その行動力が結果を伴っている。暴落株価のクシャランは未だにエイスペリアを落としていない。

 その結果、教皇はナオキに別国家の攻略を依頼した。

 国家ではなく、ナオキに依頼したのだ。かなり信頼されている。


「いえ、違います。あの山の奥はデナン神国です。僕たちはそこには行きませんよ」

「え、でも。デナン神殿に行くんじゃ」

「成程。確かに紛らわしいですね。てっきりナオキ様かお聞きしているものかと」


 紛らわしいことにデナン神殿はデナン神国にはない。

 マリス神殿と同様に、山の頂点に独立して存在している。

 因みに、帝国同様に中枢機関は別の場所にあり、そこがデナン神国であり、デナ山の南側に存在している。


 勿論、リオールに悪意はない。実際に紛らわしいと彼自身も思っているから。

 それでも眉間に皺が寄る。だから、オレンジの髪がビクッと飛び跳ねた。

 彼の糸目ではない時を始めてみたような。


「あ、いえ。違うんです。アタシ、全然理解しようとしてなかったって…」


 ナオキに…


「自分に腹が立っただけで…。神聖騎士としての自覚が足りていなかったです」


 すると、彼の瞳は再び瞼に隠された。


「僕も配慮に欠けていました。勇者様は突然、ここに連れてこられるのです。うまく行かないこともあります。僕も子供の頃、旅先で兄とよく喧嘩をしていましたし…。あ、前に言ってた、兄が負けたというのはその時です。だから今は分かりません。流石にこの歳で兄弟で殴り合ったりはできませんし」

「い、いえ。それはお二人が大人なだけです。大人だって殴り合いの喧嘩をすると思います」


 大公次男に気を使われ、心も見透かされ、うだつが上がらなくなったころ、馬車はあっという間にサジッタス公国。

 守護門と言われるだけあって、南北の長さはとても短い。


「確かに。サジッタス公国もそんな大人の喧嘩で生まれた国でした」

「そうなんですか?」

「はい。今でこそ大人しくしていますが、ゼングリット首長国はこの地を支配しようと、何度か大軍を連れてきたことがあります。これは…、確かデビルマキア前の話ですが」


 ふとそこで僅かに胸がざわつくが、直ぐにリオールの柔らかな笑みに溶かされる。


「それは…戦争じゃ…」

「でも、大人の喧嘩とも言えますよね?」

「うう。それは…確かに…」


 あ?それは屁理屈だろ‼、とレンなら食って掛かる、なんて些か考えて首を振る。

 すると、大きな大きな馬のいななきが聞こえた。


「さ、つきましたよ。ここから先は…、申し上げにくいのですが歩きです」

「え?ここ…、ですか?だって」

「えぇ、だから申し上げにくいんです…」


 降ろされた場所は、サジッタス公国の裏手。彼の言う通りで裏手には城壁はなかった。

 代わりに東西に敷かれた道路が国境線になっている。

 北からの道、東西に伸びる道がぶつかった場所、つまり丁字路の真ん中に馬車が停まっている。

 そして、橙の髪が腰先まで伸びるほど、リオールは上半身を反らせてこう言った。


「そういうしきたりで…。勇者様は正しい順路で行くようにと言われておりまして…」


 見上げた先の山肌には、至る所から青銅色のオブジェが突き出ていて、確かにそれっぽくは見える。

 そして、一応階段はある。だが、階段と呼ぶには急すぎる。

 普通は行ったり来たりさせたり、蛇行させたりして、角度を調節するのだろう。

 だが、一直線。山を登るに等しい。


「こ、ここを登る…んですか?」


 勿論、登ることは可能。それほどの身体能力を持っている。

 だけど、彼女の場合は違う問題が発生する。


「完全に…、着てくる服を間違えてる…」

「…ですよ…ね」


 糸目が僅かに下方に開く。そして白銀少女は咄嗟にスカートを押さえた。

 半眼で睨みつけながら。


「…うう。言ってくださいよ。ご存じだったんですよね…」


 そう。しきたりと言ったのは彼である。そして彼はこの上の神殿で暮らしていたこともあるという。

 いくらでも言うチャンスはあった筈。

 だけど、彼は告げる。


「その…。ナオキ様もサナ様も制服で行かれたと…聞いていたもので」

「え…。サナも…。二人とも従者を連れていたんでしょう。それに流石のナオキも…」


 いや、在り得るのか?ナオキとはそんなことを堂々と…

 なんて、愚かなことを考えている自分を、直後に罵りたくなるアイカ。


「サナ様は魔法の杖にお座りになって登られたみたいです…ね」

「はぁ?あの子、そんなこと出来たの?…そりゃ、出来るわよね。大魔導士だもん。エイスペリアにも浮かんでる子いたし」

「エイスペリアにお知り合いが?」

「ほら、『ウチっ娘』がいたじゃないですか。自分の事、ウチって言っている…、ん?これってどういう基準なの…」

「あぁ、エイスペリアの姫のことですか。カルタ・シャマーズは侮れない女ですね。所謂、先発組ですし、思慮深くて民にも愛されていると聞きます。」


 エイスペリアとの戦争前交渉にリオールは参加していない。

 思慮深くて民にも愛されている姫に見えなかったのは、戦争する前だったからか?


「あ、そうだ。近くに履くものがないか、探させましょう。それなら…」

「いいえ。要りません」

「ですが…」


 理由は分からないが、なんとなくピキッときた。直感だけど、在りえなくはない。

 貴族が自分の子供を教会に寄越すのはよくある話だ。

 しかも、クシャランには分ける土地があまりない。

 デビルマキアが来ない世界線で、カルタとリオールが結ばれている映像は余裕で脳内再生できる。


「大丈夫です。これも試練なのでしょう。勇者に課せられた試練…」

「アイカ様?その、何を…」


 あの女、チラッとしか出ていない癖に…


 メタではなく、勇者の直感。女の直感。ユウの顔もふと浮かぶほどの大直観。

 負けてはいけない気がしたのだ。


「誰にも見えなきゃいいんでしょ。…アタシに課せられてるのはスカートの中を見られずに登りきること‼」

「は?いや、そんな珍妙な使命は…。それに何かを履けば…」

「教皇もどこからか見てんでしょ?絶対に見せてやんない‼」


 サナは勇者。そして在り得ない話だが、カルタがここに来たならサナと同様にふわりと優雅に、座りながら上まで行くのだろう。


 ナオキは知っていて教えなかった…。ナオキの奴‼


 制服で行くと決めたのは自分だけど、それもナオキのせいと気合を入れる。

 因みに魔法の杖を浮かすという魔女みたいなことを神聖精霊騎士は出来ない。

 だけど、風に乗って飛ぶことは出来る。それで、スカートがどうなるかは定かではないけれど。


「速度だわ。最速の技で…、──アイ・皇帝軍靴カリグラ‼‼」


 その瞬間、彼女の周辺の砂が舞う。小石が舞う。大きな石まで舞う。


「あ、アイカ様‼いきなり…」


 うわぁ、おわぁと侍従と御者、道行く人まで吹き飛ばされる。

 リオールと魔馬はどうにか耐えているが、一人と一頭を置き去りに、少女は竜巻を踏みつけての大跳躍をした。


「こんなとこで負けてられない。アタシは…、チートヒロインなんだから‼」


 何かに対抗心を燃やし、少女はスカートも大きく靡かせながらデナ山を一気に駆け上がった。

 勿論、下から風が吹いているので、しっかりと捲りあがったが、砂が目に入ったことで、誰もスカートの中身は見えなかったという。


 そして、アイカは誰かは分からない何かに勝利を収めた。必要だったかはさておき。


 後に、この階段を『白銀姫の階段』と呼ぶようになったとか、なっていないとか。

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