第26話 マリスの教皇
周囲は一面の雪景色。
ここは雪が降るのかもしれない。
「なんか、すげぇ暗いな…」
但し、日の光は本当にか細くて、真っ白な雪かどうかは分からない。
そして、彼は心の中では、足が竦み、ガクブルと震えていた。
「クシャランでも思ったけど、海が不気味すぎる。ここから見えるのって大陸から北の海だよな?」
「レン様の魔法硝板を見せて頂けますか?こうやって並べれば…、ほら。間違いありませんね」
ふわりと香る桃。桃よりも柔らかな双丘。一緒にスマホを見ようラインに入られると、腰が砕けてしまいそうになる。
実際、幾度となく腰が砕けてしまい、少しの後悔を抱きながら朝を迎えた。
その度に、クシャランのカラーズ二人のせいだと、自分に言い聞かせている。
「てっきり、北極みたいになってるのかと思った。ま、それも画像で見ただけだけど」
「北極…。
一瞬、目を剥く。だけど、今手に持っている魔法の板を見て納得する。
悪魔の力。召喚された時しか見ていないから、顔形は忘れてしまったけれど。
元々、悪魔に頼るつもりはないが、一人で異世界を周るには寂しすぎる景色。
氷河もない。流氷もない。漠然とした闇だけが広がっている。
「ロザリー。手が固まっちまうぞ」
「暖かい…ですね。この手は眼前の闇さえも照らしてくれそうです」
この瞬間、レンの心が激しく揺れた。
金色と桃色の髪が交わって、艶めかしいモザイク模様を描く。
血色の良い唇と、寒さで紫がかる唇が重なる。口腔内は更に卑猥な動きが始まろうとしたが、
「流石に神殿の前では…」
と、女は一歩引いた。
「あ…。忘れてた。悪ぃ…」
異世界とか、勇者とか、そんなの関係ない。
男と女は恐怖に触れると惹かれ合うとか、なんとか効果とか言われたくない。
誘惑魔法とか、どうでも良くなるほどに、レンは彼女の魅力に落ちていく。
カラーズの桃色、彼女が居てくれるなら、例え銀髪の女が敵に回っても…
いや…。
彼は、実は一人知っている。
カラーズの力を得て、傾国の美女に成り上ったロザリー・マイマー以上の存在を知っている。
「悪くはございません。エアリス様に奪われてしまうかと…、こっそり心配しておりましたのよ、私…」
数秒前の行為が何だったのかと言わんばかりに、レンの両肩が跳ね上がった。
帝都マルズで見た、自分と同じ髪の色の女。
「そ、そんな心配は要らないぞ。俺は絶対に浮気をしないで有名なレン様だからな。金髪被りだし…」
「それ、理由になりますか?でも、大丈夫です。あんなメリアル人を追い出す為に、レン様は教皇猊下を味方につけるんですよね‼」
「お、おう。そのつもりだ」
浮気をしない、はさておき。今のは間違いなくレンの本心だった。
黒か紫か、この時代にはそぐわないメッシュが入ったゴールド。
間違いなくヤバいと思わされる気配。彼女は一言も発しなかったが、近づいたら危険、勇者の力を以ても臆してしまう。強いとか、弱いとか、そういう次元の人間ではなかった。
「…あれが居る限り、俺達は。あ、いや…。分かってる。分かっているから…」
ロザリーの握力に、思わず背筋を伸ばしたレン。
今から向かうのは、この世界の歴史上、最古だと言われている神殿だ。
そこで聞き出さなければならない。
「…レン様。肩の力を抜いてください。私、日に日に感動を覚えているのですよ?」
「俺は…」
「私たちの寿命はレン様と変わりません…」
「あ、あぁ。そう…だったな」
「三百年前にデビルマキアが起きました。その時、予言されました。三百年後、再びデビルマキアが起きると。でも、信じ続けた者はごく一部でした」
「それはそうかもな。昔の人間が大袈裟に伝えたかもしれねぇし、予言なんて言われても…」
「そうなのです。当時を知る者はいない。」
「だから俺はここに…」
「私は。…いいえ。私たちマイマー家は帝国側を選択したのです」
声が重なり、レンの眉が歪んだ。
「選択…した?」
「いえ、何でもありません。レン様。さぁ、行きましょう」
彼女の発言に、レンはあの時のことをうっかり振り返った。
そう言えば…。なんでマイマー家は帝国側についたんだ?
クソ‼そもそも、アイカが悪いのに‼あん時はマジでブチ切れてて、レオスだったかに喧嘩吹っ掛けられて…。気が付いた時にゃ、国を出てた。
んで、出たら出たで、赤毛の女の言ってたことと全然ちげぇし。
確かに裏切り者だから?帝国でも警戒されたけど、なんだかんだ受け入れてもらえたし…。一体俺は…。俺たちは…
「レン様?レン様?」
「あ…、悪ぃ。その為にここに来たんだったわ。アイツらはデナン神殿で話を聞いてんだろ。勝手に俺たちを悪者にしてな」
「はい、その通りです。デビルマキアの原因が帝国の思想だと決まったわけではないのです」
「…だったら、聞いてみるしかないだろ」
ボサボサの金髪。外で振っていたモノより、何周りも小さいが鉄塊と呼ぶに相応しい大剣を背中で斜めに背負い、巨大な神殿への階段を昇る。
□■□
真っ白で巨大な石が敷き詰められた大階段。
大きく穿たれた柱、奇妙に突出した柱。今にも崩れ落ちてきそうな反り立つ壁。
遥か遠くから、何処からでも見ることが出来るように、もしくは何処にいても祈りを捧げられるように、山の頂上に建てられた大神殿。
だが、陽光は神殿を照らしてはくれない。
彼らも近くに来るまで、この巨大神殿が何処にあるかも分からなかった。
「あの屋根、配置がおかしくね?」
正に直上を見て、リンは首を傾げた。もっともっと反り返っても、屋根の先端に鎮座した奇妙な像の先端には届かない。
「最古の神殿って呼ばれてんだろ?あんなの良く保ってたな…」
因みに、侍従たちはそう言った勇者に首を傾げる。
先ほど見せた、大剣というより大神殿の柱のような鉄塊のぶん回し。
アレも十分に意味が分からない。お前がそれを言うなという顔。
「もしかすると修繕を定期的に行っているのかも…しれませんね。確か…、少し前に新しい教皇が即位されたと聞きますし」
「え?そうなん?そういうのは早く言ってくれ」
「そう仰られましても、勇者様がお越しになる前の話ですのよ。確か、五年ほど前です」
「んー。そういうことか。まぁ、俺たちと寿命は変わらねぇしな。別段驚くことでもなかったか」
「はい。猊下も是非にと良い返事をされていますし」
帝国に一番乗りしたレンの話は、あっという間に帝都マルズの元老院の耳に入っていた。
うろんな目つきの議員が幾人もいて、ここまでの経緯を何度も言わされた。
待たされたのは一日や二日ではない。三週間も待たされた後に、漸く皇帝陛下との謁見となった。
「皇帝はデビルマキアを信じちゃいねぇみたいだったからなぁ。だったら俺はなんで召喚されたって話だよ」
「どちらかと言うと、来て欲しくないと思っている感じでしたけど。それはそうですよね。あの男では臣民を守れないもの…」
「あー、そっちかよ。ま、こういうのは教皇の方が信じてるもんだよな」
実は、たらい回しにされた後で教皇に放り投げられていた。
ロザリーの話を聞いて、落ち着いて考えてみれば分かる。
元老院議員も皇帝も、デビルマキアが自分の世代では来ないことを願っていたのだ。
「そうです。崩御された前の教皇も自分の代ではなかったと思っておられたのかもしれませんね」
「そうだなぁ。案外、安らかに眠られたのかもしれねぇぜ」
こんな不敬じみた会話が出来るのは、まだ神殿に入ったばかりだから。
神の名の通り、マリス山と名付けられた高山、余りに不便、余りに暗い、余りに寒い神殿は、総本山とは思えないほど人がいなかった。
そこに…
「なんだよ。勇者ってのは嫌な奴なんだなー‼」
鳴り響く甲高い声。
そして、うっすらと見える小さな人影。
「あ?こんなとこに子供?ったく、見世物じゃねぇんだぞ。ま、子供にゃ剣闘士なんて見て欲しくねぇけど」
影に反応したレンに対して、ロザリーはスッと身構えて、勇者の腕を引く。
「レン様。…あの子、もしかして」
「あ?暗くて見えねぇが、女…?いや…」
「爺ちゃんはなぁ‼勇者の到来をずっと待ってたんだ…。安らかに眠ってなんかないんだよぉ‼」
「…男?声がたけぇし、髪もなげぇし、どっちか分かんねぇ…。ん?お前、その髪…」
ゆっくりと歩いてくる小さな影、か細い陽光が少しずつ声の主を照らしていく。
そして仄かに光る髪。だが、その髪色は黒。
黒曜石のように光が反射しているように見える。
こんなに薄暗くなければ、単に艶やかな髪と思ったかもしれない。
「それって…」
「猊下?…で御座いますね?」
すると黒曜石の髪が僅かに浮き、少しだけ前に垂れた。
「マジ?こんなガキが教皇?」
「…はい。そうあるべき…と、即位なされたのでしょう」
「オレが決めたんじゃねぇよ。父さんと母さんとみんながオレにって言っただけだし。爺ちゃんはオレを見て、楽しみにしてたってのに…」
「それは申し訳ありませんでした。…でした…けど。それより、猊下。何故に、ここで?」
「…奥に居てもつまんないし、勇者が来るって言うから覗いてやろうって思ったんだよ」
雰囲気と衣装から男だと分かる。だけど甲高い声、見た感じ10歳か、少し上か。
ただ、彼の若さよりも、もっと気になることがレンにはあった。
「爺ちゃん?父さん?…母さんって。教皇って世襲制なのか…?」
「そう…ですけど。驚かれること…ですか?」
「え。いや、だって…。教皇とかそういう聖職者って、神に仕えるから結婚しないイメージ…だったというか。あ、いや…。そうでもない…か」
神殿やら教会やら、あれやこれやと見てきたから、勝手に思い込んでいた。
だが、神に仕える者、神の声を聞く者で、世襲制をとっている国の生まれだったことに気が付いた。
同時に。
一か月?いや二か月目の後半…くらいだっけ?それって日本じゃ何日経ってんだ?えっと時間が早い?いや遅いんだっけ?
──うん。ここのサイドボタンの位置。間違いない。十年前の機種だよ。きっとこっちの人たちは記号にしか見えなかっただろうけど、アルファベット。僕たちのと同じメーカーだよ。…勿論、日本で売られたものかは分からないけど
──十年前まで分かっちまうのかよ。
ナオキがそんなこと言ってた。三十分の一だから、一日か二日?心配はされてるだろうが、まだ…。いやいや、俺。何を考えてんだよ…
「勇者レン。何をボケっとしてんだ。オレに話があるんだろ」
「…あぁ。そうだった。ってか、敬語とか得意じゃねぇし、お前で良かったって感じだな」
「レン様‼流石に…それは…」
教皇はオスガキムーブの話し方だが、下々の者が同じで良いとはならない。
と、ロザリーが止めに入るが。
「ピンクのカラーズ。オレは別にいいぜ。爺ちゃんから色々話は聞いてるし、答えられる範囲で答えてやるよ」
教皇自身は特に気にしていない様子。
彼の話によれば、この場に立っているのは他界した祖父だった。
だからというのと、本当はこんなとこに閉じこもっていたくないのとで、かなり強力的だった。
「んじゃあ、教えてくれ。デビルマキアってのは一体何なんだ?噂の通り、帝国の暴走か?」
魔物を使役する帝国が、大陸を支配するために、肥沃の大地を獲得せんと大過を起こす。
とても分かりやすい話。デナン神国の言い分は現状を見れば、そうかもと思えるもの。
とは言え、帝国の人間も他国の人間も…、同じ人間。
「…本当にそんな風に思う?オレたちが…マリス様の名のもとに厄災を齎すって?」
だが、同じ人間で殺し合った歴史を知っているのも事実。
そうはならないと思っていたのに、ちょっとしたことで大過を起こすのも…、やっぱり人間だ。
「可能性がゼロってわけじゃねぇだろ。実際、北と南でぶつかってる」
ロザリーは軽く目を剥いた。
だが、黒曜石の少年は肩を竦めただけ。
「争っているのは…、そのきっかけを知っているからだ。勇者様なんだから、それくらい気付くよな?」
高校生と小学校高学年。それくらいの身長差。
教皇だからため口なのは仕方ない、と明後日な方向に呑み込んで、レンは顔を顰めた。
「…きっかけ。それって例えばロザリーみたいな髪色で生まれてくる…とかか?」
安直だが、ロザリーに教えてもらった一つの兆候。
若い世代に現れることも、そういう意味だろうと話していた。
だが、ここで。
「お前、ロザリーっていうのか。確かにオレもその理由で教皇にされたんだ。でも、もっと分かりやすいことがあるだろー」
「分かりやすい?俺たちが召喚された…とかか?」
「お前、本当に勇者なのか?順番が逆だろ。兆候があったから召喚されたんだろー?」
「…猊下。私にも見当がつきません。確かにデビルマキアが始まるから、と勇者様は召喚されたのですが…」
ロザリーにも気付けないこと。
それを少年教皇は分かりやすいという。
そして、レンが考えてもいなかったことを語った。
ハッキリ言って、分かる訳がないことを。
「暗くなってるじゃん。俺の爺ちゃんの話だと、爺ちゃんが子供の頃はもっと明るかったって言ってたぞ」
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