第22話 訓練直前のお話

 固いパン、芋と根菜の味の薄いスープ。だけど、芋とチーズは最高。じゃがバタ最強。

 因みに肉は加工された変な味。流石にソーセージを作るまでは行かないらしい。

 因みビールはあるが、あの一件がトラウマになっているから飲めない。


「デナン地方だと、もっと色彩豊かな食事が用意できたのでしょうが。これでも頑張った方でして」

「いえ。結構美味しかったです。」

「そんな無理をなさらず。私共勇者様には北側の生活を知って頂きたいのです。少ない土地を活用して…」


 サナには司祭長クラスの権限を持つナオキがついている。アイカはどうやらクシャラン公爵の息子たちのお気に入り。加えて、デナ信仰教会所属、神聖騎士団長の権限を賜っている。

 一抜けしたレンは、恐らく帝国入りして国賓級にもてなされている。


 それはそれ。これはこれ。実際には結構おいしかった。これは三百年前の勇者に感謝すべきだな。その時からか、その前からかは知らないけど、原生ではなさそうな植物が育てられている。俺だってアイカくらい飛び回れたら、異世界チートものよろしく、食物革命を起こしたかったよ。


「…お兄様。食事の時くらい静かにしてください。それにそろそろ時間です」


 いや、ゴメン。お兄ちゃん。殆ど聞いてなかった…


 マリアは元々、オーテム教会のシスターだった。

 兄のアルズは本来の領地シャルリックが戦禍に巻き込まれた領民を、ここまで避難させてきた。

 本来の居住区は魔法付きの戦争のせいで、今はどうなっているかも分からないらしい。因みに、二人の両親はその戦いで戦死したという話だ。

 その後、マリアとグレイの策略により、帝国中枢に大ダメージを与えたと聞いたが、一体…。


「…いや、しかしだな。南から来たのなら、ちゃんと味を比べて欲しい。魔物に開拓をしてもらって、やっとこの程度。家畜も食用に出来ないから、その肉も魔物がいてくれるから食べられる」


 痩せた大地。だから重機を使うように魔物を使役する。

 ユウはそんなイメージを頭に描いている。

 こうなった理由は、こうなるしかなかったとしか。

 海が動いていない。海流が発生しない。海から水が運ばれない。船が動かない。


 ただ、ちょっと気になる。アルズの話を聞いていないから、全然違うなのだけれど。


「…そう言えば、グレイって左利きなんだな。それが強さの…」

「あ、ううん。俺は多分、右利き。ん、言ってなかったっけ」


 そしてユウは目を剥いた。

 パンに噛みつくように、グレイが右手の手袋に噛みつくと、スポッと右手ごと取れてしまった。


「うわっ!」

「何を驚いているの。グレイの右手は義手よ。私、言ってなかったっけ?」

「聞いてないよ。言った覚えがある方が凄い。ってか、…それもハバドの厄災でやられたのか。なんて酷い…」


 彼を兄と慕う二人の子供も手足を負傷したのだ。つまり…


「いや。これはマリア様の天使様に斬られた。その時の俺は未熟だったから」


 は…?斬られたって…


 思わず、黒パンをスープに落としてしまった。硬いパンはそうする者も多く、マリアは気にせず、ポンと手を叩いた。


「そうでした!懐かしい。そんなこともありましたね!でも、あれはグレイが未熟だからではありませんよー。武器が手から生えていた方が、戦いやすいかな、強そうかもと思いついたんです‼」

「そのせいで、俺は日常に支障が…」

「大丈夫。私がついていますから。なんでも言ってくださいね‼」


 え…、何それ、怖っ‼俺が出会った異世界の中で最も清楚系美人だよ?なのに、思い付きで右手を斬る?剣闘士だから、右手の代わりに武器を生やす?…そりゃ、グレイもあんな顔になるわ。この女、真正のサイコパスだ。…やばい。エイスペリアの王子カルド様の発言が、実は真実だった。カラーズにまともな女って…。妹のカルタ様、優しくて機転も利いて、可憐で…


「…お、俺はリーリア派…かな」

「ふむ。よろしい」

「あら、随分偉そうですね、リーリアさん。」

「……」


 リーリアはデナ系神の信徒。彼らは異教徒。でも、赤毛のデナ信徒が水色のシスターを見る目はソレではない。

 怒り3割、怯え7割。あのリーリアがそこまで怯える相手。そういう意味では、今視界に映る範囲では、リーリアが一番可愛く見える…かも。


「もう、いいって。マリア様、リリーを虐めるのはそれくらいにしてよ。ユウ、俺も故郷をあんなにされて分かったんだ。デナ信仰の国は基本的に恵まれている。こっちで魔物を使役するのは仕方ないのかもって」


 彼が住んでたハバドは、北デナアル随一の恵まれた土地と言われてたらしい。

 今は見る影もないけれど。そして、この手の話をする時と兄と慕う子供たちと触れ合っている時は、沈んだ顔になる。


 だけど、今日のグレイは違っていた。


「でも、今日は日頃お世話になってる人たちに恩返しが出来そう…かも」

「恩返し…?」

「恩返し、という言い方は少し違いますけれどね。でも、民の心も安らいでくれることでしょう。私たちの心を清める方法は一つしかありません。マリス様に捧げる戦いを今日は皆さんにお見せできるのです」

「心安らぐ?…えっと、俺の特訓じゃなかったっけ」

「…マリス信仰は、ほんっと相変わらずね。剣闘士、見世物よ。人間と人間が一対一で戦うのを見るのが、この国の娯楽であり風習、そして軍神マリスへの供物なの」


 ユウの黒い瞳が泳いだ。何処にも漂着できないけれど。


「け、剣闘士?ってか、見世物⁉俺の訓練が見世物にされるの?ってか、それって滅茶苦茶目立つじゃん。」

「その為に準備していたのよ。帝国の闘技場文化は有名だし…」

「ふふ、そんなことを言って。リーリアさんはあの頃を思い出して震えあがっていたではないですか」

「……」


 混ぜるな、危険。リーリアが危険。

 今にも何かが破裂しそうで、せっかく用意してくれた食事も、結構前から味が全くしない。


 早く済ませて、とっとと行こ…。それにしても。

 グレイは無能力、って言ってたけど…、それってどういうことなんだ?


     □■□


 オーテム以南の景色はこの世界でよく見る乾いた大地。

 そこを毎日のように耕し、水を振りまき、家畜のフンなどの肥料を混ぜて、再び耕す。

 因みに近くには豚や牛はおろか人も住んでいない。牧草地帯が遠く離れているから、そこまで取りに行く必要がある。

 多くの人間を食べさせるためには、無限の労働力がいる。


「ん。こんなに人間が住んでいたのか。隠れてたって感じ?」

「いえ。オーテム以外の街からも見に来ているみたいですよ」

「え?確かに見世物…。でも、目立っちゃいけないんじゃ…」

「オーテム以外にもレジスタンスは居ます。それに実は、元老院にも筒抜けのようです。リーリアさんからの無理難題だから仕方ありませんね」

「それ、大丈夫?」

「大丈夫だよ。理由はね——」


 アルズが丁寧に解説をしてくれた。

 オーテムのレジスタンスが放っておかれている理由の一つは、南西部は地獄と化したハバド地区に隔たられ、南東部はオーテム山が鎮座する、既に追い詰められた場所だから。

 しかも痩せた大地で、手に入れるメリットもない。

 本来の領地である、シャルリックと半島国家メリアルが作る内海が、今は汚染された状況にあるらしい。

 汚染の意味は理解できていないけれど。


 そして、リーリアが付け加えた。


「そもそも、今しかないの。テルミルス帝国はエイスペリア王国を援護する為、今は国民の生活を犠牲にしている筈よ。だから、鬱憤晴らしの興行してくれるなら、勝手にどうぞって、感じよ」


 これがユウにとっては目を剥く話。二度見してしまうくらいの話だった。


「え。まだ、戦争は終わってないの?…だって、あんな速さで移動して。俺はアイカの活躍で一夜で決まったと思ってたんだけど」

「甘いわね。確かにカラーズ一人相手なら簡単かもしれない。でも、現実はそうではないし、現場も綺麗な舞台じゃないのよ」


 カルドとカルタも北東に向かうと言った。

 あれは単に撤退ではなく、戦う為の移動だった。


「なんだ…。まだ続いているのか。それで…」


 俺のメッセージを読む暇もない?何処かに置いてきたは通用しない魔法硝板なのに?


「そもそも、クシャラン軍は教皇の許可なしに魔窟結界を張れない。でも、帝国側の教皇はその辺を気にしない。それに記録を信じればだけれど、三百年前も同じ場所で膠着したそうよ。エイスペリアを通らないとテルミルス帝国には辿り着けないの。それより前の記録だと、メリアル王国、クシャラン大公国から攻めるルートもあったらしいけれどね」


 三百年より以前にも勇者は呼ばれていたのかもしれない。

 寧ろそう考える方が合点がいく。クシャランをはじめ、各国の動きは勇者を意識してのモノだ。

 ただの伝承にしては、用意が出来過ぎている。

 二度あることは三度、いやもっとかも。


「…デナ神殿の許可があれば使えるって言っちゃってるじゃん」

「一言も言ってないけれど?」

「ま。俺には関係ないからいいけど…」


 トン…


 俯いていたユウは、何が起きたのかと顔を上げた。


「そんな暗い顔。…ユウ、何かあったのね。だったら私が慰めてあげましょうか?」


 甘い香り、背中が柔らかく包み込まれた。

 マリアがグレイにやっているものよりもぎこちないが、それでも心臓が鬱陶しいほど激しく打つ。


「…な、な、何を」


 但し、その感覚は数秒で失われる。

 体温だけを置き去りにして、彼女は冷徹に当然の理由でユウを突き放した。


「冗談よ。力の封印の条件にありそうなものでしょう?」


 禁欲。本当にありそうな制約だ。特に宗教が強いこの世界では、一番に思い浮かぶ契約。


「…えっと」

「冗談って言っているでしょう。それに秘匿も条件なのでしょう?連想しそうな言葉を言っては駄目」

「う…」


 ロザリーにも言われたこと。

 先ほどの禁欲と同じ。秘匿も宗教にとって重要なフレーズ。

 でも、ユウ自身。何も信じられない状況だから、彼女に聞いてしまう。


「リーリアは本当に信じているのか?」

「何を今更。ここまで来れば、信じるしかないでしょ」

「余りもの。既に四人は確保されたから…」


 パチ‼

 額に彼女の爪が食い込む。俯きかけたユウの顔を持ち上げ…過ぎた指弾きだが。

 そこに映る真剣な緋色の目。形の良い眉が吊り上がって、彼女は吐き捨てるように言う。


 ユウの肩が飛び跳ねるようなこと。


「過去の伝承。まだ全てを伝えた訳ではないのだけれど?」

「…それってもしかして俺の能力のこと、とか?」

「そうね。…貴方も含まれると言っても良いわ」

「な。それじゃ…」


 最初から意味がない、という…。だから、最初から封印されていたというオチ…


 ではなく、あるある。さっき、考えていたことでもあるが。


「召喚された勇者は、私たちのことを物知らずと思っている。馬鹿だと思っている。そういう所よ」

「…って、俺は馬鹿にしたことなんてない。そりゃ、チート能力持ってたらそう思ったかもだけど」

「そういえば、そうでしたね。では…」


 っていうか、逆に利用されまくってる自覚しかない。

 それにどっちかと言うと。


「言わせて頂きます」

「え…?いや、だから…」

「ご自身の行動を振り返ってみてください」

「え?そこから…?って、何?」

「大剣豪、神聖精霊騎士、大神官、大魔導士。今は違いますが、隙はないこの四人。ユウ、貴方はこの四人に出来ない役割が、自分にあると考えている」


 やっぱり、そういうところ。本当に振り回されてばかりなのは、あちらの方が勇者のことを知っているから。


「…それは」

「話さなくて結構です。それくらいお見通しと言いたいだけですから。はぁ…、貴方の顔を見ているとうっかり秘匿に触れそうね」


 全く…、その通りだから何も言えない。

 何を言っても、バレてしまいそう。


 俺に言えたことじゃないけど。こんなことだから、こっちの世界の人間に良いように使われるんだ。レン、アイカ。お前たちはそのままでいいのか?


 ユウは未だに二人のことが心配だった。

 そもそも、彼の目指す道は五人そろって元の世界に戻ることなのだ。


 こんな感情も見通してしまいそうで、リーリアはクルリと前を向いて歩き始めた。


「それじゃ、行きましょう。私にとっては思い出したくもない場所だけど」

「そういえば、なんでコロシアムを使うんだ?そういうしきたりがあるのは教えてもらったけど」


 そして、彼女は不敵な笑みを浮かべた。


「グレイ。今の印象はどう?勝てそうかしら」

「…どうって、あんまり印象にない、かな。腕が鈍ってるって言ってたし」


 しかもスロットを持っていない、天使を持っていない。カラーズでもない。

 教えてもらっていないし。


「だったら、気を付けなさい。あの子の本当に力は闘技場でのみ活かされるの。下手したら、殺されるわよ」


 ついにズレ軸スロット無し、最強の男とユウは戦うことになる。

 そしてそこで、彼はある事実を知ることになる。

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