第17話 本気のヒロイン

 遥か北には雪化粧した高山が聳え立つ。

 その山の頂上にはカルデラ湖が、正確にはカルデラ湖のような湖があるという。


「オーテム山。テルミルス帝国とエイスペリア王国の国境です。ユウ様、私は虫けらの如き貴方の為に、戦いが始まる前にエイスペリア王国に侵入します。」

「虫けらって言う必要あった?…ってか、水先案内人のリーリアがなんで?」

「虫けらの為です。一週間鍛えましたが、どうにもなりません。あそこには…、虫けらを強くするアテがあるので」

「アテ…?だってあそこは…」

「それでは。後のことは殿下から話を聞いてください」


 赤毛の少女は話しきると、返事もせずに立ち去ってしまった。


「俺が強くなるアテ。…なんでリーリアが。馬の脚は速くても、クシャラン半島とオーテム山って、実際の距離以上に離れてる筈…だろ」


 帝国が支配する湾があったから、海からの脱出を断念した。

 陸路で行くならヌガート山脈を越え、大公領を跨ぎ、マイマー領も突っ切り、エイスペリア王国も縦断して、帝国の国境まで越えなければならない。


「…リーリアってクシャラン半島の貴族の娘…だよな」

「ユウ‼何をぼうっとしているのよ。レオス殿下がお待ちなのだけれど?」


 既にレオスとアイカはエイスペリア王国から戻っている。

 一週間だけの奇妙な修行は、あっという間に終わってしまった。

 赤毛の少女の溜め息を千回は聞いた自信がある。


「どうせ、無理難題を押し付けてきたって話だろ…。あ…、えと。アイカ、なんか感じ変わった?その髪飾り、お姫様みたいだな」

「は?いきなり何よ。…クシャランの令嬢として振舞うには必要だっただけよ。いいから‼早く来なさい」


 アイカの顔を見た瞬間、ナオキとの約束を思い出した。

 修行中、何度も意識を飛ばされたし、色んなところを斬り飛ばされたが、記憶は飛んでいないらしい。

 だが、失敗。ロザリーには華麗に振られてしまったから、ハッキリ言って自信はない。

 今も見事にスルーされてしまった。っていうか、五年も一緒にいて、レンという存在も知っている。


「意味は分かるけど、実行は難しいな…」


 今は手首を握られて、引っ張られている。

 そしてふと思ってしまうのだ。ナオキ、やってくれたな、と。

 異世界人と比べられるものではないが、日本人としてのアイカは間違いなく綺麗である。

 そう思ったことは何度もあるが、出会った時にはレンが居た。

 レンの方から離れていったのだけれど、未だに責任の一端は自分にあると思っている。


「ちょっと、握らないでよ。ていうか、自分で歩きなさい」

「あ、ゴメン。ちゃんと歩くから。それより、どこに行けばいいんだ?」


 レンの元カノにナオキは行けと言った。

 今まで感じたことがない、奇妙な気持ちが胸の中で泡立つ。

 アイカの様子をみてやってくれ、程度なら良かったのに、親友の元カノという背徳感さえ感じてしまう。

 まだ、何もしてないのにだ。


「戦場はハボット山の横になりそうなの。ここだと奇襲のおそれがあるから、一端マイマー領まで引き返すの」

「本当に…戦うのか…」

「ユウ、一緒に頑張るって約束したでしょ」

「も、勿論…。頑張るけど…」


 約束した覚えはないけれど、約束したことにして、模擬刀ではなく魔法のナイフを手にする。


「…なんでこんなことに」

「本当にそう!!なんで、ユウとアタシがペアで戦うのよ。ナオキの提案ってリオール様は仰られたけど」

「え。それ、決まりなの?」

「決まり…って、知ってたの?ナオキが司祭長の立場を利用したのよ。サナと一緒にいる口実でしょうけどね。足手まといにならないでよ?」


 用意周到なのか、偶然なのか、そう言えばナオキは神官の中でも高位の役職についていた。

 国と国とのぶつかり合いだが、背後にデナン神殿がいることに変わりない。


「レオス殿下は、結局どんな条件を出したんだ?」

「当たり前のことを言っただけよ。使役の暗鎖の破棄と使用者の引き渡し。それと偽勇者とマイマー家の引き渡し。女神デナの裁きにかける。当然の義務でしょう?」


 大義名分はこちらにあり。だって女神デナ様がついているから。

 だけど、無理難題を押し付ける宣戦布告の常套手段。

 起源を主張したり、事件の責任を追求したり、神の名を利用したり。今回は神様の名を利用した。

 だから、ナオキの存在が重要となる。


 まさに、やってくれた、なのだ。


「成程。それで期限は?」

「今日の日の入りまで」

「日の入り!?その後、夜襲するつもりか?だって、この世界は…」


 そう言えば、言ってなかったかもしれない。

 この世界は闇夜に魔物が湧く。

 管理されていれば大したことはないし、聖火が灯っていると出現しない。


 ユウの逃亡が困難な理由で、最も脅威なのはコレである。


「何を言っているのよ。貴方も勇者の一人でしょ」


 手に持っているナイフの鞘の装飾が、子供用玩具に見えるほどに鮮やかな剣と鎧、そして兜の代わりになるらしい髪飾り。

 中学校の女友達が、高校デビューを通り越して、アイドルデビューしたくらいの違い、巨大な壁がそこには存在した。


「…本当は頼りにしているんだから」


 アイドルがその壁をすり抜けて、ユウの隣へ舞うように戻り、触れるか触れないかの距離で離れていく。


「アタシが惚れるくらいの活躍、してみせてよね」


 成程。確かに白銀姫。

 少数精鋭の中で輝くスター。


 …俺に届く存在…だったんけ


     □■□


 戦国武将ならどういう陣形をとるだろうか?

 海外なら横一列に長弓を並べて左右から騎馬隊?

 それとも長槍と長盾のファランクス?

 山の中での伏兵?だけど、それじゃ騎馬が…。源義経、鵯越ひよどりごえの逆落としじゃあるまいし…。でも、ここの騎馬なら可能なのか?


 付け焼刃、もしくはネットで漁った程度の知識が、経験を伴わないアニメーションと共に、脳内劇場を演出する。


 ドン‼…ドン‼ドン‼


「な…。いきなり真っ暗?もう、日が落ちたのか?」


 だが、そのどれもが不正解。


「どこ見ているの、上よ‼」

「上⁉もう、近代に突入してたのか…って…」


 目の前が突然、暗闇に包まれた。突然の復習タイム。

 だが、相方は天を仰ぐ。


「時代遅れの古い神の使徒どもに告げる。我らは新しき神マリスの僕…」


 濃紺の髪、アレは神の髪なのか、夕焼けで光っているのか、何とも分からないが、天馬に乗った男。

 そして。


「お兄ぃ。そういうの要らないし。ウチたちに喧嘩を売ってきたから倍返しで、いいじゃんよー」

「妹よ‼これは軍神マリス様の為の戦いぞ‼」

「えー。ウチは知らんもん。でも、ロザリーたんを追放した罰は受けてもらうじゃん‼」


 同じく夕日を考慮しなければならないが、一瞬ロザリーかと空目する色、恐らく薄紫の髪の女。

 彼女は長いほうきに横座りして浮いていた。


「って、ファンタジーかよ‼戦略も何もないじゃん」

「ユウ、ファンタジーじゃなくて、異世界よ」


 完全に頭から抜けていた。ファンタジー異世界だから、文明に関係なく空を飛べるのだ。

 ただ、この場合。片方は天馬だし、もう片方は箒。魔法の箒という線もある。


「あー!あの時の銀髪ツンケン女じゃん。お兄い、振られた感想をドウゾ!!」

「ふ、振られたわけではない。可哀想だから…」

「男の方がカルド、女の方はカルタ。シャマーズ王領の子供たち。王族のカラーズよ」

「二人共…、王族ってこと。っていうかカラーズなんて言葉。」

「神官の間ではそう呼んでるって、リオール様に教えてもらったの。終末の兆候の一つ…って話」


 え?終末って…何?

 いやいや、俺たちって多分、それで召喚された。


「…って、お兄いは言うてますけどー。って‼そこの黒髪‼お兄いが傷心してるって言ってるじゃん‼ロザリー様に振られ、白銀姫にも振られ…。可哀そうだとは思わないのかなぁぁ‼」

「アイツら。まだアタシが引き摺ってると…。ユウ、気にしなくていいから。一気に突破するわよ。神聖精霊騎士、アイカを舐めないで‼」


 ドン‼地響き、このまま世界に置き去りにされる…


「ぬわぁ‼なんだ、これ…?」


 いや、お姫様の繋がれた手が世界とユウを繋ぎとめる。


「これはシルフィード・アイ。…あれ、言わなかったっけ。アタシの精霊魔法は補助魔法。で、ユウの力を底上げするの」

「聞いて…な…、──‼」

「ファンタジーみたい、ゲームみたい、異世界みたいでしょ‼」

「…うん。なんか…、勇者になったみたい」

「勇者だもん。ユウもきっかけがあれば変われるんでしょ。アタシが…きっかけ?だったりして──」


 こんなのズルい。

 覗き見た勇者の世界は、知っている世界を全て置いていく。

 覗き見た彼女の瞳は、精霊が作り出す虹色の宝石。

 心臓が、心の全てが引き込まれる。


「美しい、奇麗、華やか、艶やか…、全然足りない。俺が知っている言葉じゃ、アイカを表現できない…」


 こっちの世界の言葉にはあるのだろうか。

 なんで?どうして?一体何が?逆に言おうか。

 そうすれば、単純な言葉で表現できるかも。

 彼女は…


「アイカは宝物…。アイカが居れば、何も要らな…」


 何も考えなくても、気を使わなくても、口説こうとしなくても…


 だが突然、ユウの視界に世界が追いついてくる。ついでに大激突。亜音速でわら束に激突し、全身の体がバキバキと折れ曲がった。

 リーリアとの地獄の特訓がなければ、気絶したか、ショックで死んでいたか。


「…愛・ラウンドヒール。…ちょ、ちょっとユウ。ら、らしくないこと言わないでよ。鳥肌立っちゃったじゃない…」


 思わず、息を呑む。

 ナオキの言葉の意味の一端を理解する。

 真に理解できないのに、ここまで違う。

 アイカは精霊騎士。それだけでなく、…アイカは愛果。

 在り得ない話ではない。この世界の言葉も都合よく変換されている。

 こちらの言葉だって、こっちの世界に都合よく変換されているに決まっている。


「それ、聞いてない。差をつけられて、追いつけない…」

「それはそうよ。アタシたち、少しずつ自分の力の使い方が分かってきてるの」


 そしてやはり、コイツは自覚していない。

 危ない危ない。こういうのが一番厄介だ。

 やっぱり、あの男に何があったのか聞いてみたい。

 出てこないということは、ロザリーと共にオーテム山を越えたのだろう。


「少し…。それどころか、俺にはさっぱりなんだけど。それより、さっきのカラーズはいいのか?それにあの暗闇、例の魔窟だろ」

「両殿下がどうにかしてくれるわよ。アタシの役目は民の解放。悪魔の果実の侵食を止めないと、この世界が終わってしまう」

「…悪魔の果実が世界を滅ぼす?それじゃ、あの鎖が世界の終わりの始まり?」


 白と黒の世界、白が三次元で黒が別次元。またもや罅が入るが、亀裂は途中で止まる。

 アイカの補助魔法は染み込むことはなく、たらりと亜空に消えていく。


「えぇ。女神デナの騎士として、この地を解放させるのよ。…って、いつものユウに戻ってない?アタシの魔法はきっかけにはならなかったのね。ま、いいけど」

「アイカ、待て!何処へ行く?」

「止めて、触らないで。アレの代わりになる必要ないんだから!!勇者は爵位を授かる。でも、女の場合は違うんだって。…アタシにだって選ぶ権利はあるのに…」


 クッ…、やっぱり。ロザリーの時と同じ。

 それはそうなんだろうけど、ノーマルは要らない子。


 ナオキ、やっぱ無理だ。俺にはレンの代わりは務まらない。レンにだって務まらなかったんだ…


「さて。何子爵か忘れちゃったけど、この辺りから始めましょ」


 もう…あんな所。魔法のアシスト無しでは話にならない。

 でも、今回はアイカが主役と決まった訳では無い。


「アイカちゃん、駄目!!」


 どう考えても今回、ヒロインは二人はいるのだ。

 一人は輝けるスター、お姫様と呼ばれるアイカ。


「チッ。来ると思ったわよ、サナ!!国境はもう片付いたのかしら。ホント、苛つくわね」


 そしてもう一人はサナ。

 恥ずかしそうに紫の髪を帽子に収める少女。

 カラーから、連想できただろう。サナは軍人マリスに仕える存在だ。


「その鎖を切っちゃ、駄目!!切ったら…」


 ナオキはとっくに気付いていた。

 ユウもやっぱり気付いていた。

 ということは、当然アイカも気付いている。


「ナオキ。サナを守りたいんでしょ?」

「……」

「だったら、その手を離さないようにね」


 まだ、どうして農夫が魔物を使役しているのかを、ユウは知らない。

 家畜のような存在。だったら、このままでも良いのかも。


 なんて、家畜の前で言えるだろうか。


「アタシ達は迷える民を解放するためにここに来たのよ!!」


 ヒュン…パリン…


 あぁ、やっぱり。精霊騎士は空を舞える。

 光り輝く彼女の鎧、月の光を反射する剣が瞬間移動している。


 辛うじて見えるのは、鎖を切った瞬間。


「使役の暗鎖!!これが世界を狂わすの…。サナがいなかったらナオキにも手伝ってほしいのにねー」


 妖しく笑うアイカ。本来の彼女は知らないはずだ。

 そも、ユウはこの後どうなるのかを知らない。


 鎖を断ち切られた魔物が人間を襲う、そこまでは流石に分かるけれど。


 その答えをアイカは前もって知っていた。

 そして、サナはリアルタイムで知れるのだ。


「みんな、逃げて!!魔物は飼い主を憎んでる!!殺したいと思ってる!!だから、…早く私の方に逃げて!!」

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