第9話 暗躍する何か

 ユウが寝ているのは、大公が持つ城の客室。

 五人目の勇者なら、もしかしたら彼に与えられたかもしれない部屋だ。

 だけど、今の彼には分不相応過ぎる。


「うわ。ひでぇ臭いだな。アイツ、大丈夫か?」

「しー‼寝てるんだから静かにしなさいよ」


 そんな彼が叩き起こされないのは、友が配慮してくれたから。


「メールの返事が来たんだし、寝てるだけだと思う」

「うん。うまく行ったって言いたかったけど、仕方がないね」

「…毒見だったって話じゃない。そういう扱いをするなんて聞いてないわよ」


 とは言え、クシャラン大公国の事情もある。

 赤毛の女は申し訳なさそうな顔で首を振る。


「あれは毒見ではありません。それに…、何度も申しますが、扱いについては伝達のミスです。兄から叔父、陛下への伝達はとても難しく…」

「ただのワインだったから良かったけど。…僕たちの友達ってこと、絶対に忘れないで」

「そう…だよ。可哀そうだよ。ここから移動させるなんて…」


 今でさえ目立っている。四人の勇者が特別扱いすることで高まる危険もある。

 四人が勇者として認められた為、大公陛下も五人目の存在を知ることになった。

 そして、責任をもって彼を預かると誓った。その後の今である。


「彼の為です。…それは先に説明したとおりです」

「チッ。わあったよ。んじゃ、さっさと担いでいきますか。マイマー公にも呼ばれてるしな」

「…レン君はそれでいいの?」

「サナ、止そう。僕たちが頑張ればいいだけ。帝国軍に見つかったら、絶対に酷いことされる」

「それは…、そうなんだけど」


 どれだけ力の差がつこうと、どれだけ扱いが違おうと、元の世界の友情は変わらない。

 三百年前、召喚者は無事に元の世界に戻れたのだ。

 これだけの力があれば、あっという間に元に戻る。


「サナ。魔法でどうにかならない?アタシたちみたいに着替えを貰ってないんでしょ?」

「うん。やってみる。…サナフルウォッシュ。…うう。やっぱり恥ずかしい」


 紫になってしまった髪も恥ずかしくて、少女は大きな帽子を被っている。

 そんな恥ずかしがり屋のサナが両手を翳すと、大きな水球が現れた。

 その水球はユウの体を一気に呑み込むが、彼はそれでも目を覚まさない。


「水球…消えちゃえ‼」


 次に魔女っ子がそう言うと、汚れだけを吸い取った水球が消え去った。


「…本当に便利ね。森羅万象を自在に操れる大魔導士の力」

「俺の力も凄いっての。ってか、マジで起きねぇな」

「…苦しそう」

「アタシは知らないけど、パパも寝ながら唸ってたわよ。二日酔いってやつ?」

「あぁ。俺も経験あるわ…」

「アンタね…」


 大剣豪レンは綺麗になったユウの体を抱えた。

 身長はレンの方が高いが、それでも5㎝くらい。体重だってそこまで違わない。

 だけど、綿入りのぬいぐるみくらい軽く感じる。


「…なんか、このまま引きちぎれそうだな」

「この馬鹿‼だけど、本当に弱い。確かにリーリアの言う通りかもね」


 一人だけ異質の存在。一人だけ軽い力でへし折れそうな存在。

 連れていくのは無理というのが理解できてしまう。


「でも…」

「サナ?」

「うん。分かってる。だけど…」

「…そうだね。それくらいなら。…ナオキュア。ううう、キュアって言葉は僕が言っちゃダメな気がする…」


     □■□


 真っ白な空間に立っている。

 ただ、全てが真っ白ではなくて地面は真っ黒だった。

 周囲には何もなく、前も右も左も後ろも白と黒の地平線が広がっている。


「…イタタ。頭が割れそう。吐いたらスッキリしたなーって思ってたけど」


 自分が何故ここにいるのかは、疑問に持たなかった。

 だって、間違いなく夢の中だ。


「それにしても…、変な夢。頭痛いから、夢なんて見なくていいのに」


 寝たら次の日が来る。次の日が希望溢れるとは言い難いが。

 とは言え、これだけ頭が痛いと、夢の中だけれど考え始めてしまう。


「…あれ。俺ってロザリー様に解毒魔法を掛けて貰ったよな。アルコールは毒扱い…って勝手に思ってたけど違うのか」


 機会があったなら、ナオキに反応を聞きたかったくらいだ。ナオキの力でシラフに戻った会場の様子が知りたかったのに、酔いは醒めず、陽気なままの宴だったのかもしれない。


「って、うわ‼」


 だが、そこに到達した瞬間、真っ黒の部分、つまり地面が大きく揺れた。

 同時に…


「痛い痛い痛い‼頭が割れそうだって‼なんでだよ。俺の体の毒物は取り去った筈だろ…」


 脳が爆発しそうな頭痛、耳鳴り、それを象徴するような地割れ


「な‼…何なんだよ‼夢…なんだろ?頭が痛いから…」


 ピシッ…


 ピシピシ、ミシミシ、ゴゴゴゴゴ…


 地面が鳴り、まるで稲妻のように真っ黒な大地に罅が広がる。


「い、一応逃げない…と」


 異世界に飛ばされた後、先ずは夢を疑った。だけど、そこは現実で今がある。

 だったら、この世界だって現実になる可能性がある。


 そして、大地を走る罅の広がる速度を目視しようとした時、彼の足が止まった。


「…なんだよこれ。俺が反射してるって…思ってた。だけど…」


 罅割れ続ける真っ黒な大地は触るとひんやりしそうな程、光沢を放っていた。

 だから、自分の足元には上下反対の自分が映る。そう思っていた。


「上と下、白と…黒。そうか。お前は…」


 左右で白と黒の髪、赤い瞳の少年か少女。真っ白い歯と血の色の口と、真っ黒な蝙蝠の羽で悪魔と分かる。

 真っ黒の地面の中に居たのはあの悪魔。


 そして…


「やぁ、久しぶり…」

「イスルローダ‼お前の仕業か‼…この夢も、この痛みも‼」


 自分たちをこちらの世界に連れてきた異次元生命体。

 だが、奇妙なことにリーリアの話に悪魔イスルローダは登場しない。

 彼女達はあくまで女神デナの秘術で、異世界の人間を召喚したと言う。


「何だよ。せっかくボクと久しぶりに会えたのに。酷い言われようだねぇ」

「再会とかどうでもいい。早く、この痛みをとってくれ‼割れそうなんだよ。頭が…」

「はぁ…。仕方ないなぁ。勇者様の頼みだから、ちょっとだけ軽くしてあげる。今のままじゃ話も聞いてくれなさそうだしね」

「ちょっとだけって…、お前…」


 イスルローダが肩を竦めると、確かに少しだけ頭が軽くなった。

 だけど、やっぱり痛い。そして、悪魔は恐ろしい話をする。


「だって、この夢とその痛みはボクとは関係ないもん。ボクには気を紛らわすことしか出来ないよ。快楽物質を脳に与えるくらいしかね」


 脳が快楽物質を出すのは、死を感じた時。ってことは——


「…俺、死ぬのか。今、死のうとしている…。そっか…」

「いやいや、ちょっと違うね。君は死のうとしていたんだ」

「死のうとしているんだろ。何が違う…」

「全然違うって。君は奇妙にも生き永らえたんだ。ほら、これを見なよ」


 悪魔は戯けて飛び跳ね、左右の人差し指で真下を示した。

 そして、そこで地割れが止まっていた。やはり意味が分からないが。


「元凶見たさに飛び出して来たってこと!普通、召喚者が死んだくらいでボクは出てこないよー」

「元凶って…、何を言っているのかサッパリ…」

「あー、やっぱそう?そう言うと思ったよ。だから、こんなことになったんだしね」


 こんなこと…、現実のこと?夢の中のこと?


「さっきのボクの言葉だよ。この夢はボクが見せてるんじゃない。夢は…」

「…俺が見ている?脳が俺にこの夢を」

「でも、君の脳ではここまでしか再現できないみたいだね。三次元でしか理解できない君たち…」


 なんだかんだ、楽しそうな悪魔。こんなことがなくても飛び出してきそうなイスルローダ。

 そして、結局答えを言っているような白黒悪魔。


「…俺が立っているのが三次元ってこと。じゃあ、下の地割れは…。地面は単なる上下じゃない…。ズレ軸の世界スロットを俺なりに再現したってこと?」

「じゃあ、どうして罅割れが止まったのかな?」


 頭痛は取れていないのに、楽しそうに問答を投げかける悪魔。

 夢の中で溜め息をつき、ジッと地面を見つめる。確かにアレだけの罅がどれも等間隔で止まっている。

 そして、そこに見ようとしても見えないものが確かに存在する。見えないけれど、在ると知っている。


「…‼封印されてるスロット…。その封印が割れなかった…から?」

「ご明察‼流石にヒントを出しすぎちゃったかなぁ?」

「最初から教える気満々って感じだったけど?」

「そりゃあそうさ。だって、この奇妙な現象を共有できる相手は君しかいないんだから!」


 屈託のない笑み。だけど、悪魔は瞬時に眉を吊り上げた。


「甘い甘い‼甘いよー‼君は辿り着いていたのに見過ごしてしまったんだ。三次元脳に縛られちゃ駄目だよ。こっちの世界も傷つけば壊れるんだから…さ」

「な…。それを見過ごした…って。だって、俺のスロットは封印されてるんだし」

「封印されていても、存在はする。そこは君の一部に違いないんだ。…次もこんな感じに防げる保証はない。今後、気を付けるよう…、おや?おやおや。どうやら…」


 その瞬間、白と黒の空間に緑の風が吹きこんだ。その風が頭の痛みを流してくれる。


「な…。これって。おい、イスルローダ?」


 いつの間にか黒い地面の罅割れは消え、悪魔の姿も消えていた。

 

 そして、白と黒の地平線が無限に広がる世界にポツンと一人。


 暖かい。心地よい。アレだけ臭かったのに、今は殆ど無臭。


「…っていうか。埃っぽい?」


     □■□


「——は‼」


 耳に自分の声がこびりついている。多分、直前の言葉は寝言だろう。

 埃っぽい部屋、知らない壁、知らない天井、知らない窓。

 だけど、そこからこの世界特有の赤黒い月が見える。


「…そっか。ナオキが解毒してくれたのか。…この感じ。サナ…かな。ベトベトだった服が綺麗になってる」


 運んでくれたのはレンだろうか。着替えを用意してくれたのはアイカだろうか。

 封印されていても、埃っぽくても、四人の臭いは分かる。癖も分かる。

 やっぱり友達は友達だ。チートに目覚めた、目覚めていないなんて関係ない。


「なーんか。色々と迷走してたみたいだな。俺はパーティに恵まれた。だったら…」


 パーティを抜ける必要なんてない。

 ちゃんと守ってくれる頼りになる仲間たちだ。

 こんな物置のような部屋ではなくて、先の部屋のような綺麗なところ、ふかふかのベッドで寝ているだろう。

 でも、それがなんだ。いつか彼らが元の世界に戻してくれる。


「あ、そだ。スマホに何か残してるかも」


 五人分のスマホを、あのイスルローダが管理している。

 名前も残らない白黒の悪魔。


「…えっと。ユウのお陰で宴は大成功…。お蔭って…、そんなことはないだろ」


 予想通り、グループチャットに色んな話が残されていた。

 レンはロザリーと仲良くなったことを自慢している。

 アイカはレンの言動に頭を抱えていると言っている。

 ナオキは大神官スキルで人々を感動させたと喜んでいる。

 そしてサナはここにユウを残してしまうことを謝っている。


「レン…、調子に乗り過ぎてないか?アイカがブチ切れても知らないぞ。ナオキ…、本当に有難う。大神官のスキルは確かに感動ものだ。サナ…。本当に優しいよな…」


 距離は離れても除け者にされた訳じゃない。

 それは封印されているスロットが物語っている。


「大丈夫。待ってれば…、元の世界に…」


 指をなぞれば、画面がスクロールする。流石は悪魔と言うべきか、異世界の精密機械も自在に操れるらしい。


「えっと…。なんか長文だな。これって…」


 サナが細かく報告してくれている。

 ロザリーはあの後、ナオキが生み出す奇跡に感動したらしい。


「ちょっと嫌味っぽい文章だな。ナオキがロザリーの髪と同じ色に顔を染めてた…とか。…ってか、マイマー公も普通に接してるっぽいんだけど。なんて言うか…」


 中学の時、レンとアイカが居て、ナオキとサナが居た。

 その頃は二つのペアはそんなに交流がなくて…


「…クシャラン大公国は全員一致で、勇者を後押しすると決まった。えっと…。それって…なんか…」


 ——デトキシン。私、貴方に解毒魔法を施しておりませんでしたので。

 ——甘い甘い‼甘いよー‼君は辿り着いていたのに見過ごしてしまったんだ。


 ドクン…


 お酒のせいで曖昧になってしまっていた記憶、それが蘇ってくる。


「俺…。ロザリーの魔法を受けた…。でも、それじゃスロット部分は解毒できていなくて…」


 ドクンドクンドクンドクン…


「…明日は朝から、セムシュ子爵の案内で教会に挨拶に行くことになりました…。私たち、頑張るから…。…ん?明日の話…って、あの件が…ない」


 死人が出なかったことは喜ばしいのだが、ある意味でユウのせい。

 ロザリーの解毒魔法でも解けない毒が、無かったことにされている。


「いや、あの魔法が偽物だったかも…。いや、ベン・セムシュが嘘をついていたかも…。や…、リーリアが裏で糸を引いていたかも…。そもそも大公とグルだったかも…。そういえば、家族一同で来ると言ったのに、結局ロザリーしかいなかった。マイマー公が何かを企んでいるのかも…」


 そもそもの狙いが分からない。

 だが、あのイスルローダが嘘を言っているようには思えないのだ。


「大量殺人事件が未遂に終わったのに、誰も気づいていない…。これってヤバくない?」


 ここで彼の引き籠りエンドで終わる訳がない。

 イスルローダはもっと楽しみたいから、ユウにヒントを与えたのだ。


「…‼ちょっと待てよ。これ、アイカの言葉…だよな」


 そして、とんでもない文章を見つけてしまう。

 サナの長文の下、そこに最後のメッセージが残されていた。


『ユウ、魔法硝板を改良すればもっとパワーアップできるらしいの。三百年前に発見された秘術なんだって。それで、アタシ達は魔法硝板を預けることになったの。暫くメッセージ残せないけど、そういうことだから心配しないでね。次にメッセージが届くときはもっともーっと強くなってるってことだから‼』

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