第8話 宴の途中
なんか暖かい。柔らかな布団の中。
…でも、喉が痛い。内臓がひっくり返りそう…
っていうか、俺は?
「チッ」
破裂音?擦過音?っていうか、舌打ち?あれ、お腹の気持ち悪さが少しずつ消えていく。喉の…痛みも…
「あ!そか‼解毒‼」
「解毒じゃありませんわよ‼ただの回復魔法ですのよ‼」
確かにこの感覚は回復魔法の方だった。解毒魔法はやってもらったことがないから…、って‼
「ロザリー…様?」
喋り方と声、凛と響く彼女の声色はよく覚えていた。取り入って一緒に追放されようと思っていたからだけど。
そもそも何かあったら、ナオキが駆けつけてくれると思っていた。
だけど、思わぬ人物の声に上半身が飛び跳ねた。
「全く不愉快だわ。なんで、このロザリー様が使用人の介抱をしなければならないのよ」
吊り上がった眉と切れ長で吊り目の麗女。取り入るどころか、印象は最悪らしい。
めちゃくちゃ睨まれている。汚物に触りたくないのか、長めの杖で遠くからヒールを掛けている。
この魔法は覚えがある。リーリアが使ったアレと同じ。
「…済みません。でも、俺。何が起きたか覚えてなくて」
「マイマー産のワインを飲んで倒れたのですわ。そんなにお口に合わなかったのかしら?」
そして、今の言葉で何が起きたのかを朧にだが理解が出来た。
「…俺。お酒は舐める程度しか飲んだことなくて…。ワインってそれなりにアルコール度数が高いのを忘れてました。」
ロザリーは僅かに目を見開いた。
ただ、青年は俯いていたので気付かず、そのまま話を続ける。
「…済みません。口に合わないとかじゃなくて、味わうことも出来なくて…。お酒はもう少し大人になってからじゃないと…、駄目ですよね」
「そう…」
「す、済みません」
まだ、体調は不完全。だが、彼女は杖を壁に立てかけて、魔法の発動を止めてしまった。
やっぱ、怒られる。怒っても仕方がない。彼女は我が儘で高慢で…
「でしたら、グランドデュークのせいじゃありませんの。それか執事長?教育がなっていないのではなくて?何にしても…」
「えっと…」
「ただの田舎貴族の子と罵ったことは謝りますわ」
「な?いやいや、俺は…」
「無謀?忠義?なかなかの胆力をお持ちのようね。毒見と分かってても、普通はあそこまで一気に飲もうとは思わないわよ?」
何を言って…。う。頭痛が痛い。頭痛が痛いとか思ってしまうくらいに頭が回らない。
「毒?いやいや、あれは毒じゃないから…」
「嘘をおっしゃい。先ほど解毒魔法とか言ってたではありませんの」
「それはアレですってば。そもそもアルコールは毒判定だし…。なんとかアルデ…、ん、なんだっけ。うぷ…」
「ちょ、アナタ‼何を…」
おろおろ…おろおろ…
そして口からの効果音と、彼の心情が重なった。
熟成しておらず、渋みも酸味も少なくて、口当たりの良い葡萄酒。
それ故に思ったよりも、飲みやすくて豪快なラッパ飲みをした…、なんて彼が覚えている筈もなく。
「ずず…、ずびばぜんでじだーーー‼」
ユウは解毒スキル、リバースを覚えた。もしくは大剣豪並みの横隔膜を得た。
…なんて、冗談も言えない程の惨事。
どうして解毒魔法にしてくれなかったのか、どうして回復魔法を止めて、近づいてしまったのか。
何故マイマー領の方が裕福で時代を先どっているのか、それは後程知ることになるが、流行先取りの高価なドレスに、汚物を撒き散らしてしまい、フライング土下座を決めた。
「ひ…。と、とにかく私から離れて頂戴。さっきから臭かったけど、今は鼻がねじ曲がりそうだわ」
異世界に来て初めての、いやいや十七年間で初めての本気の土下座。
しかも吐瀉物塗れ、家族はこっちの世界にはいない。いたとしても、お貴族様のドレスの弁償なんて出来るわけがない。
全てが…終わった…
「ずびばぜ…」
「でも、ふーん。そういうこと。貴方はアレに毒が含まれていないと知っていたのですね?」
「だっで…、あがだだばずぎずじゃだいででゅか…」
「何言ってるのか分からないですわ。これで色んなものを拭きなさい。あぁ、返さなくて結構ですから」
高そうなハンカチが四つん這いの青年の顔の近くに落とされた。
汚物の上に落とされても…、なんて文句はいえない。ユウがそれを拾い上げると彼女は言った。
「少しの間、こちらを見ないで頂けます?…見たら殺しますけどね」
弁償してくれそうな人、一番に頭に浮かぶのは一緒にこちらに来た友。
還すあてのない借金…。借金は友人関係を崩壊させると言うが…
「ウォッシュマジック、ウォームエア」
魔法の光、名前から何がおきたが推測できる。
服と体を水で洗って乾かした。桃色髪の美少女が!!
どうせ死ぬなら、振り返っても良かったかもしれない。
ただ、彼は別の光に目を奪われて、それをどうにかしようとワタワタとしていた。
成程、こっちの世界の人間が使う魔法の名前が単純な訳だ。余りにも自然にやってくれているから忘れがちだが、話している言語は互いに違う。きっと複雑な魔法名を言っているのだろうが、理解できるように訳されているのだ。いつもはポケットに仕舞っているから気付かなかったけど、喋るたびにスマホがピコピコ光っている。あぁ、電波は?電源は?なんてのは無粋だ。だって悪魔の力が働いている。悪魔の力で完全なワイヤレスを実現した夢のスマホ──
…なんて、感心している場合ではない。
「しまっ…」
「それ、魔法硝板ですわね?どうして貴方が…」
フライング土下座の勢いで内ポケットから飛び出てしまったのか。
それとも今、偶然?
「ち、ち、違うんですか。俺、勇者様の付き人なので…」
自分の存在が帝国にバレたら…、人質に使われたら…。そんな自分をパーティから外すような友ではない。生身のまま、酷いことをされるかもしれない。
「…そうでしょうね。貴方、ちっとも強くないもの。なるほど、付き人。それで勇者様が血相変えて飛び出してきたの。随分気に入られているのね」
「血相変えて…?」
「だから、こうなっているのでしょう?私、無罪を証明するために、貴方の飲みかけのワインを皆の前で飲み干したんですよ?それだけでは駄目だと、もう一本…。緑くんが、貴方が酔い潰れただけと言ってくれなければ、私も潰れておりましたわ」
やっぱり、ナオキが飛んできてくれた。
それに何が起きたのか、やっと理解が追い付いた。
裏切り者候補のマイマー公、彼が持参したワインを飲んで、ぶっ倒れてしまった。
毒見役が倒れた、即ち毒が入っていたと騒然としたに違いない。
そんなことあり得ない、って誰でも気付くのに。
「そか。俺のせい…。スミマセンでした」
「侍従が逆らえるわけないでしょう?…だから、あれだけ土産は持って行くなって、言ったのに」
本当に帝国と繋がっているかもしれない。
であれば、あからさまな行動には出ない。わざわざワインを持参したなんて言わない。
何にしても、あの時点でスパイは動かない。
因みに彼が直接瓶に口をつけたのも、ナオキの回復魔法に期待したのも、身内が毒を盛ったかもしれなかったからだ。
ワイングラスも目に入ったが、そちらの方がよほど怖かった。
ワインの度数がこんなにも高く、そしてお酒に強くなかったのは誤算だったけれど。
「お父様もお父様よ。酔い潰れた貴方の介抱は私がすべきって。折角のパーティが台無しじゃない。…って、今更戻ってもねぇ」
「えっと、すみません…」
生返事で応える。まだスマホに目を奪われたまま。
『ユウ君、大丈夫?』
『ユウ、こっちが落ち着いたら直ぐに行くね』
『未成年が酒飲んじゃ駄目だぞー』
『ロザリーさんによろしくな。あと、俺の武勇伝を話すことを許す』
久しぶりに画面を付けてみると、グループチャットに四人からのメッセージが届いていた。
こんな機能もついていたらしい。いや、元々ついていた機能だけれど。
「レ…じゃなくて。勇者様が心配…してくれてる。それにしても…」
四人の勇者にはマイマーの噂が教えられていない。こんなメッセージを残すくらいだ。噂を知ってたら、別の方法をとっただろう。少なくとも彼女と二人きりにはさせない。
「あぁあ。折角、おしゃれして出てきたのに、メイクだけは魔法で出来ないしー。大体、毒見なら最初から私がやれば良かったのよ。なんで、この芋少年なわけ?」
背筋が凍り付く。
ただ、噂が先走っただけ?
毒だったら良い、くらいの軽い気持ちだったかもしれない。
いや。それは在り得ない。どこかに本物の毒が仕掛けられていた筈だ。
グラス?瓶のふた?それとも…
どうしよう。なんて送れば角が立たない?犯人が分からない、狙いが分からない。
分からない以上、勘付かれるのは避けたい。単に失敗したと思わせるには…
「で、その芋少年君はさっきから何をやっているのかしら?」
「あ、いや…。これは…。…それよりロザリー様は解毒魔法を使えますか?」
「は?まだ、私たちを疑ってるの?貴方もやっぱり…」
「いや、そうじゃなくて…。だけど、ロザリー様もご自身に解毒魔法を念の為に使ってください。勇者様…から、念の為にと連絡が来たんです。ロザリー様のことを心配って書いてます。ほら、よろしくってレン様が…」
念の為、だけど魔法とはそれほど便利なものだろう。
毒ではないかもしれない。けれど、抑止には繋がる筈。
スマホの画面も言葉同様に、異世界語で伝わることは確認済み。
だから、レンのメッセージだけを大きく表示させて、ロザリーに見せた。
「ええ?勇者様が私の心配を…。…それなら仕方ありません。私も飲みすぎてしまいましたので、——デトキシン」
桃色の淡い光が彼女自身を包み込む。
やはり分かりやすい魔法名、スマホのお陰で口の動きまで違和感がない。
そして、先も感じたがナオキの回復魔法の凄さが改めて分かる。
それと同じくらい、他の三人もとんでもない力を身につけたのだろう。
「これでとりあえずは安心…、いや。今すぐ大広間に戻ってください。ナオキ…様が勇者の奇跡を披露されているとか」
「でも、お化粧が」
「ロザリー様はそのままでも美し…、じゃなくて。アモラットは遅れていますので、先ほどのお化粧は先取りしすぎているかと」
すると桃色髪の少女はクスリと笑った。
初めて少女のような顔を見た、だけどそれは一瞬で消えた。
「口説いてるつもりかしら?でも、残念ね。私、弱い男は好きではありませんのよ。ただ…」
たおやかな指先が青年の額に向けられる。そして、淡い光がユウの体を包み込む。
「デトキシン。私、貴方に解毒魔法を施しておりませんでしたので。それでは失礼しますね。勇者様にアピールしてこなくちゃ——」
そして、誰の部屋かも分からない部屋。
吐瀉物まみれの青年は、どうにか飛沫だけにとどまったベッドに倒れ込んだ。
「流石に疲れた。…てかさ。一体、何が起きてんだよ。無能力の俺を巻き込むんじゃない…。後は四人でどうにかしてくれよ」
酔いもロザリーの魔法で抜け落ちて、体の疲労と精神の疲労だけが残る。
流石に17歳の若者も限界を迎え、手にしたスマホを壁に向かってぶん投げた。
言ってみれば、物にあたっただけ。
だが…、そこで奇妙な現象が起きた。
「…は?なんだ、それ。っていうか、それってヤバいんじゃあないか?」
とは言うものの、疲労にも負けて青年はそのまま眠りに就いた。
——そして、空中で止まった魔法硝板はゆっくりと浮遊して、彼の懐に納まった。
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