第47話 従順な息子のふりをして

 かったるい、めんどうくさい、口もききたくない。

 そんな気分を母に見せぬよう、レオンは茶をもうひとくち喫し、優雅な笑みの仮面をつけた。

 母はそんな彼を見て、花がほころぶように笑う。


「殿下、ご機嫌がよろしい様子。いかがなされました?」


 母に興奮した様子で伝える。上品と優雅を織りまぜたような顔をして。


「あのクラヴサン奏者のプレヴェールの演奏を、一対一で聞くことができたのです。実によい時間でございました」

「それはよろしゅうございましたな」


 だが、母はどこかあせっているような顔をしていた。


「母上、どうなさいました? 母上こそなにかあったご様子」


「あ、ああ」母は微笑んだ。「レオン殿下はまこと慧眼けいがんでらっしゃる。実は、かわいそうなテレーズが遺言状を出したでしょう?」


 母からテレーズの名前を出されて、緊張の糸がはりつめた。母とテレーズの話をするとき、「正解」を探さなくてはいけない気がしていた。母が嵐を起こさない「正解」を。


「ええ。――王女殿下は少々、書き間違いをなさったのかもしれない、と私は内々に考えておりますが」


 母はくすくすと笑う。どうやら「正解」だったらしい。


「わたくしもそう思い、先日、テレーズに事情を聴いたのですが。書き間違いではなかったのですよ」

「……なんと」

「でしょう? テレーズはわざとヴィニュローをこけにするようなことをしたのです」

「柔和な王女殿下に限ってそんなことは」


 母は眉をひそめた。これは「不正解」であったらしい。


「……レオン殿下、ご忠告申し上げますが、少々ひとを侮りすぎておいででは」

「はあ」

「あの姫は油断ならぬ。か弱いふりをしてとんでもない女です。注意なされよ」

「ずいぶんと、――お褒めになられますね」


 皮肉をいうと、母は息子の表情をうかがってきた。その表情に恋慕の残滓ざんしがないかどうか。


 母は理解できないが、こればかりはわかる。妻ある息子がたいしたことのない女と関係を持つのはかまわない。だが、第一王女にだけは手を出してくれるな――、という心理だろうか。国王となるにあたり、妻の姉と通じているなどという醜聞をだされてはよくない。


「しかし、気になりますね」


 テレーズが遺言状でヴィニュローをおとしめる理由がわからない。少し探りをいれさせたら、妹たちの婚約と、シャルロットの出産が重なったのは、テレーズの提案だったという。これは善意で、妹の出産と同時に、ほかの妹たちの婚約が発表されればすてきだ、というものだったという。

 レオンの知るテレーズはもう少しまじめで、シャルロットの出産と妹たちの婚約が重なり、みなが混乱しないよう気配りするような性格だった。だが、これはどうとでも説明がつく。モーテルピュイ大公領は暖かいところ。暖かいところにいるうちに、まるでほころぶ前のつぼみのように堅かった気質がほぐれている、とか。考えたくもないが、余命を感じて、妹たちの晴れ舞台をできるだけ目に収めておきたい、とか。


 だが、遺言状でヴィニュローを末席においたことは、書き間違いではないかというほどテレーズらしくなかった。彼女はあまり型破りなことはしない。


 それに。


 脳裏に肌のぬくみがよみがえってくる。秘められた夜。

 寝台のうえで仰向けになった彼女の、ほとんど脱げかけている白い寝間着ネグリジェ。あらわになった、ひどいあざの残る白く細い腰を、申し訳ございません、とくりかえしながら抱き寄せた自分。「いいの。来て」と、笑って優しく自分の頭を柔らかい胸のなかへと閉じ込めた彼女。前の夫のせいで男性に恐怖していた彼女の傷を癒そうとした、静かで温かい、満たされた時間。

 つややかになった彼女の肌に寝間着を着せているとき、彼女はヴィニュローのお家芸をなにか覚えたいと、微笑んだ。


 そんな彼女が、自分を捨てるなどということがあり得るだろうか。


 姫君がしたのだといまだ悟らないレオンの頭は、一つの仮説を思いつく。


「ひょっとしたら、王女殿下には、スリゼーかグランシーニュが、悪知恵をふきこんだのかもしれませんね」


 母は「ま、」とため息をつく。


「その可能性が一番高い。世間知らずのテレーズのこと。女狐や女豹のいい餌食になったのやも。殿下、殿下は慈悲深いお方。しかし、だからといってテレーズの食われかけの死体を探しに行ってはなりませんよ。ご自身が女狐や女豹に食われる可能性もある」

「はい」


 母の言葉に、従順な息子のふりをしてうなずく。であれば、テレーズを女狐や女豹からまもらなくてはならない、と思いながら。


 だが、レオンはしばらくして、テレーズに思わぬ場所で再会した。

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