第46話 その名は嫉妬(2)

 その演奏の間も、視線に強烈に冷たいものを感じ、そして、情念をも感じた。クラヴサン演奏を職とする人間が考えてもいけないが、その視線のせいで、あまり上手くは弾けなかった。

 演奏を終えると、ヴィニュロー公爵は拍手はしたが、貼り付けたような笑顔でプレヴェールの顔を覗きこんだ。


「いつもの調子が出ないようだな。いや、いつもと打って変わって粗雑な演奏だ」


 ヴィニュロー公爵は耳ざとい。


「申し訳ございません。お耳汚しを」

「一対一だから緊張したのかな」


 くつくつ、と彼はあざ笑う。そして、打って変わって上品にため息をついた。


「産後ゆえ、妻と息子は静かな別邸へと送った。さて——。父から聞いている。テレーズ殿下のクラヴサンの指導をしているとか。大変ありがたい」


 両手を包みこまれるように握られた。男性すらもはっとなる美貌の公爵は、さらにひとを魅惑するような笑みを浮かべてくる。


「テレーズ殿下に最初にクラヴサンの手ほどきをしたのは私だ」

「……」


 そうだったのか、とずっと笑顔を浮かべている美貌の公爵を見た。だが、慎ましやかに過ごすテレーズと、どこからどう見ても華麗な彼が、結びつかなかった。


「どうして、という顔をしているな。あの殿下と私は従兄妹いとこどうしゆえ。クラヴサンが弾きたい——とご希望があってお教えした。そんなご縁もあったし、従兄として私は心配なのだ。殿下が明日をも知れぬ命だと」


 プレヴェールはうなずいた。


「先日は肺炎で苦しまれておりました」

「……肺炎!」

「ええ」


 心底痛ましげに顔を歪める貴公子に、プレヴェールは同情してしまっていた。しかも彼は、テレーズとヴィニュロー公爵の関係を知らなかった。なので、自分を陥れる罠に、すっかりはまってしまった。


「……お見舞いに、いかれては?」


 痛ましげに額を押さえるヴィニュロー公爵の翡翠ひすいの瞳に、薄暗い光が宿ったのを、プレヴェールは気づかなかった。


「そうだな。贈り物を持って参じよう。姫さまの御在所の、ああ、その……、うっかりど忘れを」

「フルール宮殿です」


 貴公子は「そうだったそうだった」と笑んだ後、ふと「いや」と震え上がった。


「よくない、よくないぞプレヴェール。やはり見舞いはやめよう」

「は、はあ」

「おまえも注意したほうがいい。テレーズ殿下は穏やかで柔和そうに見えて、気性が激しい。クラヴサンをお教えするときも、私は純粋な気持ちでお教えしていたのだが、私に婚約者がいると知って、婚約者と別れろと激しく迫ってきた」

「……あの、殿下は勘違いされておいででは」

「おまえにテレーズのなにがわかる?」


 ヴィニュロー公爵は薄暗い、怨みをこめた声を出す。


「も、申し訳ございません、殿下のお言葉を否定するつもりは……」


 そういうふうには一切みえなかったが、とプレヴェールは思った。だが、清純そうに見えてプレヴェールに関係を迫ってきた夫ある女性はいた。ヴィニュロー公爵はささやいた。


「そう。妹より自分のほうが魅惑的だろうとひどくお怒りになられ——」


 手を取られた。指を口に含まれ、舌でねぶられ、噛み切るように歯が立てられた。クラヴサン奏者の商売道具を失う恐怖に、指を形の良い男性の唇から離そうとプレヴェールは動いた。そして貴公子は妖艶に笑う。


「……ふふ。こんなことをしてくる姫君だから。おまえも貴婦人に嫌な目にあわされているだろう? ほどよいところで、殿下のクラヴサン教師を辞することだな。忠告しておく」

「は、はい」


 プレヴェールはうなずいた。テレーズは決してそういう姫君には見えなかった。だけれど、もしかしたら、と疑いが渦を巻く。

 散歩にたびたび連れ出しているのも。

 そう考えると、テレーズのところへいくのが、ひどく気が重くなってしまっていた。


 ***


 ——プレヴェールはじきにテレーズのクラヴサン教師をやめるだろう。


 ふらふらとして外へ出て行く優美な容姿のクラヴサン教師を窓から見送ったレオンは、静かに笑んで茶を飲んだ。


 ——テレーズのそばに男など必要ないのだ。


 そんなことはあってほしくないが、プレヴェールごときの腕のなかで、テレーズがあの柔らかい胸を突き出してのけぞり、悦楽の声をあげているかもしれないと考えると、気が狂いそうだった。


 下賤げせんなクラヴサン奏者ごときと関係を持たれるのは嫌だった。

 では、ずっと疑っているように、父や死んだスリゼー公爵とならばよいのかと考えると、それもひどく嫌だ。


 もうシャルロットに子は産ませた。王女に子を産んでもらった以上、もうシャルロットに用はない。もう子孫を残すという義務は果たした以上、好きにしていいだろう。シャルロットも、自分を熱愛するようなしぐさを見せてきながら、別の男を目で追っているときがある。相変わらず女というものは訳がわからない。もう彼女と別れ、テレーズを妻に迎えてもいいのではないか。でなければラヴェンデルにいたときのように、ありとあらゆる女を遠ざけたい。


 玉座を手に入れるのは、自分のためやテレーズのため、この国のためだ。このまま母の道具にはなりたくない。


 そんなことを考えていると、なによりうとましい母がやってきた。

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