第42話 その日

 しばらく、テレーズは身体の許すかぎりグランシーニュ侯爵夫人やスリゼー女公爵のところへの「散歩」をつづけた。カトリーヌやエリザベートをいっしょに連れていくこともあったし、ひとりで行くこともあった。もちろん、プレヴェールや社交界にくわしい女官はかならずいっしょに連れて行った。


 それを見送るフレデリックは、どう判断していいかわからなかった。


 グランシーニュやスリゼーは、ヴィニュローと対立している。だが、深窓の、身体の弱い姫君がそれを知っているとはとうてい思えない。


 姫君はただ静かに、アンリやエリザベートと過ごし、話す内容は庭に咲いた花のことだったり、読んだ本の内容だったり、最近はクラヴサンや音楽のことだったりする。それ以外は、こういっては非常に失礼だが、この国に存在する宮廷闘争も、レオンが次期国王になるということも、なにも知らないようにみえる。


 よほどシャルロットと話していたほうが、打てば響くような反応があり、面白い。息子がテレーズを忘れて、シャルロットにのめりこむ理由がわかる。


 だから、無害な姫君がどこにいこうと、たいして止める理由にはならない。むしろ止めて身体を動かさなくなり、体調を悪くされるほうが問題だ。


 同行するプレヴェールや女官に聞いてみても、グランシーニュ侯爵夫人やスリゼー女公爵と話している内容はたいしたことではないという。

 だが、みなが口をそろえていうのは、テレーズが自分の亡きあとをみすえて、残った妹たちの嫁ぎ先をさがしているらしいということだった。グランシーニュ侯爵夫人やスリゼー女公爵に、妹を頼んでいるのだという。


 これも、長女姫としては不審な行動とは言えない。


 だが。


 ――そういうことであれば、じいに相談してくだされればいいものを。


 そういうふうに探りを入れてみようとした矢先のことだった。


 もう春が盛りを終え、夏が来ようとしていたとき。テレーズは庭師に庭に咲いた薔薇ばらんでもらい、大喜びしながら花瓶にいけていた。

 フレデリックがご機嫌うかがいにやってくると、花瓶の色とりどりの薔薇をながめながら、テレーズは言った。


「来年も薔薇をみられるかしら」

「見られましょうとも」

「そうかしら。最近、どうにも身体が前より重いの」


 テレーズは笑う。その笑みが不吉なほど澄んでいたので、フレデリックは言葉をなくした。彼女の父親をなくしてたった十年ほどで、彼女をも失ってしまうのか。


 姫君は薔薇を見ながら言う。


「わたくしがこの世からいなくなってしまったら、カトリーヌとエリザベートが心配なの。はやく嫁ぎ先を決めたいから、アニェスのおばさまやグランシーニュ侯爵夫人にご相談しているのだけれど……。じいも協力してくれない?」

「そういうことでしたら、喜んで」

「ありがとう」


 テレーズはほんとうに清らかに微笑んだ。


「ですが、姫様、来年も薔薇をご覧になってください」

「わかってるわ。だからお散歩しているんでしょう?」


 姫君は軽く唇をとがらせ、そのあと、柔らかく笑ってみせた。なんという恥ずかしい疑念を抱いてしまったのだろう、とフレデリックは反省した。どこまでもテレーズは純真な姫君だった。



 テレーズはフレデリックの言葉の端々から感じとった彼の疑いを解いてしまうと、しずかにその日を待った。


 なにも様子を変えないまま。いつもと同じように、幼い妹と甥の世話に余念がなく、庭師には注文の多い主人で、優美な容姿のクラヴサン教師に夢中なふりをして。それ以外はなににも関心のないふりをして。ときたま肺炎になって苦しみ、だが、「散歩」は続け、プレヴェールや女官たちから社交界の情報を集め続け。


 夏が来て、シャルロットがそろそろ出産する秋が少しずつやってきた。


 

 その日、テレーズはひどく体調を崩していた。季節の変わり目のせいか、咳きこみが止まらず、熱も出ていた。肺炎がぶり返している。


 ――それでも大丈夫。


 シャルロットに陣痛がきたという。


 ぶあついカーテンを開けて外を見れば、シャルロットが神や幸運といったものに愛されているのを証明するかのような晴れ空だった。これで、みなシャルロットに注目するだろう。


 その日、シャルロットの出産に社交界のみなが注目しようとしている最中、ふたつの婚約が発表された。


 ひとつはグランシーニュ侯爵夫人が発表した、テレーズの三妹にしてシャルロットのすぐ下の妹、カトリーヌと新しくグランシーニュ侯爵になったヴィクトルとの婚約。

 もうひとつはスリゼー女公爵が表明した、テレーズとシャルロットの末妹であるエリザベートと、スリゼー女公爵の次男で嫡子と定められたアレクサンドルとの婚約。


 国王の妹は早世しそうなテレーズを除けばみな「三家」に嫁ぐことになる。これにより、ヴィニュロー公爵一強、とはいえなくなる。



 そして、テレーズの一通の遺言状の一通目が公開された。


 テレーズの所有しているモーテルピュイの領地を、妹三人が分割して相続するというものだった。だが、その領地の大きさが問題だった。もっとも大きな領地を相続するのはグランシーニュ侯爵と婚約したカトリーヌ。次に大きな領地を相続するのは、次期スリゼー公爵に嫁ぐエリザベート。もっとも小さい領地を相続するのはヴィニュロー公爵夫人であるシャルロットであった。「妻の権利ユレ・ウクソリス」により、妻の領地を夫が実質的に支配することになるので、「三家」にテレーズの遺領が分割相続されたも同然であった。


 だが。


 これでは、ヴィニュロー公爵がまるで末席におかれたようなもの。「三家」の筆頭であるという前提を崩すものであった。

 宮廷に激震が走った。


 シャルロットの出産どころの騒ぎではなくなった。朝はシャルロットの出産を見に集まっていた連中が、午後は情報を収集すべく、グランシーニュ侯爵夫人邸や、スリゼー公爵邸に集合した。

 シャルロットの子の父、ヴィニュロー公爵さえ、それを聞くと同時に産婦の褥からいそいで離れ、家令を大声で呼びつけて両家に問い合わせ、情報を収集させた。


 テレーズの目論見どおりだった。

 

 スリゼー女公爵は息子を殺されたのでヴィニュローを憎んでいた。グランシーニュ侯爵夫人は以前、亡き豪放磊落な夫が謀反の疑いをかけられたので、ヴィニュローに強い嫌悪感を抱いていた。

 両者はすでに結びつきたいと願っており、テレーズは両者の連絡役を引き受けた。

 しかも、無知な姫君を装い、手紙やことづけを伝えるだけで、両者がなにをやりとりしているかそしらぬ顔をしていた。そのかわり、ふたりに妹たちの縁談を持ちかけ、シャルロットの出産と同時に妹たちの婚約を発表したいと話していただけ。


 双方は、妹思いの穏やかな深窓の姫君の可愛らしい提案に、ある思惑を持って加担した。


 すなわち。


 シャルロットの「出産」からさせること。ヴィニュロー公爵家から人々の注目を逸らすこと。注目されなくなればそのぶん影響力は減る。

 このままシャルロットとヴィニュロー公爵が注目されすぎてはならない、と。


 これはテレーズも同じ考えだった。だから、女官やプレヴェールを使ってさまざまな貴族たちの情報をあつめ、妹たちの婚約話と遺言状公開がどの程度の効果をもたらすか、計算していた。

 生まれた子供がまるで王太子のような丁重な扱いを受けてはならないし、注目を集めてはならない。

 アンリの王太子位のために。


 でも、テレーズがしたことだと、誰も気づかない。それで今は良かった。

 

 テレーズはすべて成し遂げられた、とわかったとき、がくりと気絶し、そのまま二日ほど眠り続けた。

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