第35話 彼女と同じ優しい微笑み方
ふらふらと、テレーズはモーテルピュイ城の中庭の泉のふちを歩いていた。泉には自分の顔がゆらゆらと見えた。伯母に叩かれて、唇が切れた顔が。
手紙など自分が書いても無駄でしょう、と伯母に返すと、また頬を叩かれた。それからは、伯母により、テレーズの傷をすべてえぐられた。
――カトライア王のもとで、多くの民の虐殺を見たのに止めなかった。
――カトライア王に、
――その末にみごと懐妊。だけれど、流産しても何の後悔も自責もしていない。
――しかも、子供が生めない。女としては無用の存在。
――だというのに何も考えずに、妹の婚約者と一騒動を起こした。
「わたくし、宮廷の皆様にこれをお話ししたの。みんな信じてしまってよ。そうよねえ。カトライアが自分の国の王女に聞くもおぞましいことをするなんて信じたくないもの。でも、手紙を書けば、その噂を取り消してもいいわ。それに、あなた、あの『事件』はすべて狂言だった、って亡きスリゼー公に告白していたみたいじゃない。なら、本心では妹とレオン殿下が結ばれて幸福になることを祈ってるのよね? なら、手紙を書くくらいはしないと」
優しい口調でありながら、きつくペンを握らされた。伯母の言う通りに手紙を書いた。
「わたくし思うのだけれど、」と、伯母はその妖艶な美貌にゆりのような華麗にして清らかな笑みをのせた。手紙を書き終えて、過去を思い出し、息が出来なくなり、むせこんでいるテレーズを見下ろして。
「父親のわからないアンリとかいう男の子も、おつむの弱いエリザベートも、この王家の闇。出戻りのあなたもこの王家の闇。三人そろってお似合いだわ。――だから二度と、このねぐらから出てこないで、太陽の、レオン殿下のまえに現れないでちょうだい。あなた、いい? レオン殿下に近づいてみなさい。少しでも会ってみなさい。男の子とエリザベートは死ぬからね」
そう言い残し、伯母は、レオンとシャルロットとの婚姻をすすめ、ふたりが幸福に生きることを願うテレーズの手紙をひったくるように取って、去っていった。
泉のなかの自分の顔がゆがんだ。
伯母がばらまいた噂など取り消せるわけがない。自分が惨めな道化のようだった。
テレーズは激しく嗚咽をし、気づけば泉の中に身をおどらせていた。
***
ラヴェンデルでの一年間の勉学を終えて戻ってくると、レオンはシエル宮殿に居室を与えられた。
病弱な国王は『王宮』に帰還していたが、彼の世話をする人間などごくわずかだった。めぼしい人物といえば、国王の処遇をめぐって妻と派手に言い争い、その末に修道僧になったレオンの父くらいか。
すでにレオンは、二十三の誕生日を迎えたばかりにして国王をしのぐ権勢を手に入れようとしていた。ラヴェンデルでの勉学で得た知見がそれに力を与えている。
国王の「息子」は『王宮』どころか首都におらず、南のモーテルピュイで隠棲に近い生活を送っている。王妃が生んだ子は女だったが、スリゼー公爵家に引き取られた。不義の子を産んだ王妃はいま、詮議にかけられ離宮の一角からは出られない。
婚約者であるシャルロットが相続してくる領地は莫大だった。
もう彼は次期国王に確定したも同然で、逆らえるものなどいない。
その日の宴も、趣向をこらしたものであった。シャルロットと結婚したら死ぬ、と騒いだ彼のために、周囲が企画した宴だった。一部の有識者は、派手すぎる、と眉をひそめた。
古代の寝椅子を模した長椅子にけだるく寝そべり、憂鬱と不満をおりまぜたような表情で、果物を口にする、ずば抜けて美しいヴィニュロー公爵の姿は絵になるほど華麗であった。婚約者がいるというのに、さほど美しくはないが豊満な肉体の女に薄絹を着せ、その女を横に侍らせている。
だが、彼の翡翠色の瞳は、息子の死後に復位したスリゼー女公爵のとなりにいる娘に釘付けになった。
月の光をうつしたかのような金の髪をのぞけば、彼の求めてやまない女によく似ていた。宝石のような美しさも。色の抜けるように白い肌も。
彼女は、レオンの母のマルグリットと親しげに話していて、母から手紙を受け取っていた。
息を飲んだ。
――テレーズ?
いるわけがない。いかにテレーズが柔和でも、彼女に冷酷な扱いをする母とあんなに親しげに話せるものか。
テレーズはひどい不調に苦しみ、療養に療養を重ねているという。
見舞いに行こうにも、手紙を送ろうにも、いる場所がわからない。漠然と、王国の南部にいるらしいと風の噂に聞いた。彼女に近しい人間にそれとなく声をかけても、「何故、姫様のお話を、殿下に?」とひどく警戒されてしまう。自分は、テレーズ側の人間にとっては、ようやく心身の傷が癒えはじめてきた彼女をもてあそんだ存在となっているらしい。
そんな彼女が、髪を染めてまでこんなところに来るわけがない。
だが、テレーズにそっくりなその娘は、レオンの視線をみとめると、振り向いた。
そして、微笑んでこちらによってきた。
胸がしめつけられて苦しくなるほど、人目をはばからずに泣き叫んでしまいたくなるほど、彼女と同じ優しい微笑み方をして。
ふうわりと。
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