第36話 この子たちがいる
舞踏を申しこむと、娘は微笑んでうなずいた。
そのうなずき方さえ、テレーズとよく似ていた。
みればみるほどテレーズにそっくりだった。レオンの婚約者である彼女の妹、シャルロットよりもテレーズに似ていた。その
けれど、テレーズとしか思えない。
——テレーズ、どうしてこんなところにいるんだ。
耳もとでささやきたくても、ふんぎりがつかない。
娘は優しく微笑んだまま、自分の導くように踊るだけで、ひとことも何も言わない。
少しだけなら、と思って彼女の、真珠の耳飾りをつけた耳にささやいた。
「まさかいらっしゃると思ってはいなかった」
娘はその
娘はささやきかえす。
「まさか僕も、こんなところに連れてこられるとは思っていなかった」
テレーズとはまったく違う、やわらかなテノールの声だった。
音楽にあわせて、「娘」はレオンの腕の中でくるりと優雅に回転する。苦笑しながら。
「……どなたと勘違いされたんです? まあ、僕、似てる、ってよくいわれますけど」
「……」
「あの方は僕の父、あの方にとっての大叔父と似ているんだそうですよ。僕ぁ父似です」
誰だ、お前は、といいかけるも、テノールの声の「娘」は話を止めなかった。
「同い年だし、女装して影武者をやらないか、と兄になんどか打診されたことがありましたが、断りました。影武者なんて面倒くさいから」
「娘」は肩をすくめた。
「……お前は誰だ」
テレーズと同じ顔が、レオンに純粋なる敵意をむき出しにする。やわらかなテノールが冷たさを帯びる。
「貴様のせいで、我が兄上は自らを
「彼女」は懐から手紙をとりだしてレオンに渡すと、その場を去っていった。
そして、「彼女」の向かった先はスリゼー女公爵のところだった。「彼女」はレオンを指差し、母親に向かって「うわさにたがわぬ好色でしたよ! この僕さえ口説いて!!」とわめいていた。
女公爵はレオンをみて非礼を詫びるように上品に会釈をすると、——レオンの母であるマルグリットがいる場所を微笑んで見た。その微笑みに、どこか冷たい
場を離れ、静かな控え室へと赴いた。灯りをともさせて手紙を開く。
スリゼー女公爵の次男なのだろうあの青年がいった通り、テレーズの筆跡だった。まじめな性格がよくあらわれている端正な筆跡。
手紙の内容に、レオンは言葉を失う。
シャルロットとレオンの婚姻を待ち望んでいる、というものだった。
——ひどくぐあいが悪くて、結婚式に参加することはできません。
——ですから、妹とあなたの晴れ姿を見られません。でも、あなたたち二人であれば、幸福にやっていかれるでしょう。早くお子様ができるのを楽しみにしています。
隅に小さく、走り書きがしてあった。
——二度と
テレーズはときどき、ひどく残酷なことをいう。
***
「ねえさま!?」
エリザベートの声が聞こえる。
「ぶくぶくしてるー」
アンリの声も聞こえる。
ふいに、さかまく水の流れから手を伸ばすと、四つの小さな手がテレーズの手をつかんだ。
——いけない。いけない……! この子たちが!
いそいで泉の淵に手をかけて、あがる。びしょ濡れのテレーズは、泉の淵の芝生に倒れこんで、ひどくむせた。
テレーズをひきあげたつもりの小さなふたりが得意顔になって、テレーズに抱きついてくる。
アンリの、兄にそっくりな蒼の瞳が、テレーズの顔をのぞきこんでくる。
「びっしょり! みずあそび?」
少しは物の道理を理解するようになってきたエリザベートが泣く。
「ねえさま、春のみずあそびはだめ。風邪ひいちゃう。ねえさまが死んじゃったら、わたくし泣いちゃう」
すると、アンリも泣きだした。
テレーズは「だいじょうぶ」といいながら、はっとした。そうだ、この子たちをおいてはいけない。
——そう、わたくしにはこの子たちがいる。
エリザベートのふんわりとした肌ざわりのいい白金の髪と、アンリのしっかりとした白金の巻き髪を
——この子たちがいる。
テレーズの蒼の瞳が怒りとも恨みともつかぬ色をおびる。
彼女は小さな子どもたちをきつく抱きかえす。
——伯母さまはこの子たちを王家の闇だとおっしゃった。こんな愛らしい子たちにそうおっしゃってしまえる伯母さまは非情なお方。わたしは、そんなひどいお方に振り回されることはないの。
伯母は息子を国王にしようとしている。たしかに、ヴィニュロー公爵家は国王の世継ぎが不在のおり、王位を継ぐことになっている。だが、王の子はいる。アンリだ。
国王の子であるアンリは、父親に愛されなくとも、王太子になるべきなのだ。それが慣例だ。
——もし、アンリがお兄様のお子様でなくとも。
スリゼー公爵の子でも、たいして問題ではない。なぜなら、やはりスリゼー公爵家は国王の世継ぎが不在のおり、王位を継ぐことになっている。そして、意外にも、不思議なことに、ヴィニュロー公爵家は国王を輩出したことがないのに、やや格下のスリゼー公爵家からは国王が輩出されている例がいくどかある。
——エリザベートだって。
今年十歳になる。まだ歳に比べたら幼く、頭も弱いところはあるが、きちんと姫君としての教育をしなければならない。
——わたくしはほんとうに愚かで阿呆。
ふたりの子どもたちを置いて死んでしまうわけにはいかない。
侍女や使用人たちが「みなさまがた、こちらに!!」とわらわらと集まってきた。
とくに、びしょぬれのテレーズに、侍女たちはおどろき、すぐに水滴を拭きとる布を用意した。
王女は、「ありがとう」と侍女たちに微笑む。
——そう。いいじゃない。シャルロットの結婚。シャーリーに伯母さまを監視してもらうの。
伯母は、なにはなくともテレーズがいなくなったら必ずアンリに危害を及ぼす。エリザベートも無事ではいられないだろう。
——わたしは彼を愛したことなどない。そう。ない。小さいころはお優しいお
自分の感情を埋めた。
そして、彼女の瞳は、カトライアの雪の日の窓のように凍てついていく。
飛んできた家令に王女は告げた。
「あのねえ、わたくし、遺言状を準備しようと思うの」
ここにおいて、テレーズはひたすらに
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