第34話 疑問と来訪

 やわらかい日の光が、書斎につみあがった書類をやさしく照らしていた。


 その書斎の主の、玲瓏れいろうたる美貌の王女は、静かにつみあがった紙を一枚取ると、黙ってじっくりと読み、署名をした。それを銀盤ぎんばんにつみあげていく。その銀盤を家令が受け取り、書斎のそとに控えていた領内の各地の代官たちに渡していった。


 モーテルピュイ大公領の要であるモーテルピュイ城は星型要塞稜堡式城郭だった。空から見ると星の輪郭によく似た堀にぐるりとかこまれた、五角形の城は、南の隣国アマポラからの防衛の要となるらしい。

 テレーズは、五角形の城の東側にアンリやエリザベートとともに住んだ。ふたりから目を離さないために、五角形の城の西側にある執務室へはおもむかず、自分たちの居住空間と同じ東側にある書斎で執務をすませた。


 実際に執務をする中で、テレーズは多くのことを知ったが、そのひとつに、結婚した王女は筆頭王女を返上することと、国事を代行するのは必ず王族であることがあった。

 王が病などで執務できないばあい、王妃が代行する。ただ、テレーズがここに来た一年と少し前、王妃は懐妊中でじゅうぶん国事が代行できるとはいえなかった。そういうときは、もっとも地位高い王族が代行する。あのときほんらい代行すべきだったのは筆頭王女マルグリットだった。


 では、筆頭王女たるマルグリットは責務をおこたって、ヴィニュロー新公爵にすべてまかせるはめになったのか、と調べてさせてみると違った。

 書類上ではマルグリットは国事を代行していた。ありとあらゆる当時の行政文書の署名欄に、マルグリットの名前が記されているのを見たとき、テレーズはめまいがした。

 つまり、ヴィニュロー新公爵は母親の名前を使用して、国事を代行していたのだ。

 しかし、マルグリットは結婚して王室をはなれ、ヴィニュロー公爵夫人となっている。筆頭王女号は返上しなければならない。


 となると、あのとき国事を代行すべきはテレーズだった。


 どういうことかと『王宮』に意見を求めてみても、いっこうに返事が返ってこない。


 その問いが返ってこないまま、モーテルピュイ大公領に到着してから、冬がひとめぐりし、春が来た。テレーズはヴィニュロー新公爵――レオンが、どこでなにをしているのかまったく情報を与えられなかった。


 その日は、午前中に政務を終えると、午後はゆっくりと過ごせるはずであった。三カ月後に開かれる、ささやかな舞踏会の計画でも練ろうかと考えたそのとき。


 ふいに客が訪ねてきた、と侍女が伝えてきた。


 侍女いわく、筆頭王女殿下です、すぐお目通りを願っています、という。

 テレーズは、子供たちの世話があるし、いろいろとしなければならないこともあるから、いますぐは、と断ろうとした。


 ——だが、ここで断ったら。


 礼儀知らずとマルグリットにあちらこちらで言いふらされるだろう。そういう伯母だ。


 テレーズは無礼にならない程度に質素な服に身をあらため、上品にあつらえさせた客間のひとつで伯母を出迎えた。

 しずかに礼をしたままでいると、しゃらり、という金属と宝石のこすれる宝飾品の音がして、伯母が入ってきた。


「顔をあげなさい、テレーズ」


 すなおに顔をあげると、伯母は美しい宝石と金や銀で出来た髪飾りや耳飾り、首飾り、腕輪、指輪で身を飾った、白い裾の長いドレスをまとっていた。まるで、年齢などわからない妖艶な美貌が、そこにあった。


「すこやかに過ごしていますか、テレーズ?」

「……はい」

「そうね、わたくしの息子と別れたから、かしらね」

「……」


 テレーズは顔をそむけた。一年半ほどまえのことだ。その話は思いだしたくなかった。愚かで未熟だった。そっとしておいてほしかった。


 伯母は慈悲深い親族の顔をして、姪の青ざめた顔を優しく両手ではさんで、自分のほうへ向かせる。


「テレーズ、よろこんでちょうだい。わたくしの息子はあなたから解放されて、結婚するの。あなたと正反対の、ちゃんと子供が生めるシャルロットと。式は歴史に残るほどに華やかに開くつもりよ。なにせ次の太陽なのだから」


 テレーズはすこしだけ視線を床に落とした。


「でもねえ」


 伯母は、長く整った珊瑚さんご色の爪を、姪の頬にするどくあてた。その場にひかえていた女官たちが、血相を変えて顔を見合わせた。


「息子が、もう婚約もなにもかもすませたのに、結婚は嫌だとずっとさわいでいるの。結婚するくらいなら死ぬのですって。わたくしを悲しませることを、いうのよ」

「……彼はいまどこに……」


 愚かな質問をした、とテレーズはひどく後悔した。叩き潰したはずの感情なのに。

 叩き潰したはずの感情を見せると、伯母が、ひどく瞳を嵐のようにゆらした。

 ぴしゃり、と張り手をされる。頬というよりも頭が痛くなり、ふらつきそうになった。

 ひかえていた女官たちが「マルグリット殿下!?」とふたりのあいだに割って入ろうとするが、マルグリットは何も気にしなかった。


「あなた、どういうつもりでその質問を?」

「……も、申し訳ございません。古くからの知人と妹の幸福な門出を祝いたいためです」


 唇から血をたらし、声をかすれさせながら弁明すると、伯母は血紅色けっこうしょくに輝く唇を微笑ませた。テレーズには恐怖でしかない。


「そう、そうなのよ。レオン殿下とあなたは古くからの知人。そして、シャルロットはあなたの妹。妹と古くからの知人の幸せを願ってちょうだい」

「……いくらでも、お祈りしております」


 テレーズはなんども頭を下げる。

 マルグリットは慈悲深く、まるで聖母のようなおだやかな笑みを浮かべた。


「祈るだけじゃあ、だめなのよ。テレーズ。ねえ、わたくしのかわいい姪、レオン殿下に手紙を書いてくれない? そうすればレオン殿下も改心するかもしれないから」


 ぱらりと、白い便箋がてわたされた。

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