第33話 すれちがう二人

 テレーズが王国の南、モーテルピュイ大公領に到着したころ、いれかわるようにマルグリットが王宮へと戻ってきた。

 王国一の保養地、プリムヴェールから、たくさんのみやげを手に帰ってきた彼女は、最愛の息子であるレオンがいないことに気づいた。


「どういうこと。レオン殿下は?」


 ヴィニュロー公爵家の館にめずらしくもいた夫に、声をするどくして尋ねると、彼は静かに答えた。


「殿下、レオンは勉学にやりました」

「……え?」


 マルグリットの切れ長のあおい瞳が、激しい揺らぎをしめす。それをみてとって、フレデリックはまばたきしながら、妻をなだめた。


「殿下、お喜びください。レオンは国事の代行をつつがなくやってのけました」

「では、――」

「ですが、あの子は国事を代行するにあたり、自分にはまだまだ勉強が必要だと思ったようです。ラヴェンデルできっちり勉強してくると……」


 いきなり、マルグリットは華やかな笑い声を立てた。


「フレデリック、あなた、うそをつくときはまばたきがひどくなるの」

「……」

「うそね。レオン殿下はあなたがラヴェンデルへやった。国事の代行はできなかった。そう。女に誘惑されて、その身体におぼれていたから」

「……ま、マルグリット殿下?」


 フレデリックの声が、困惑の響きを見せる。マルグリットの蒼の瞳は、嫉妬と情念にいろどられはじめた。


「テレーズね。あの子。カトライア王に日夜寵愛されていたから、ありとあらゆるねやでの技術を持っているらしいの。レオン殿下はもともと少し女性に弱いでしょう。あの娘に快楽の極致をあじわわされて、それから昼夜問わずあの娘に寝所に引き入れられて、まるっきり国事を放棄させられたに決まっている。……もともとまじめな子に、なんってこと!」

「殿下、そこまではレオンも国事は放棄しておりません。二十一の青年として人並みにはまじめにやっておりました。ただ夜、宴会を開いて遊びほうけ」

「テレーズとね!」


 妻の激昂げっこうに、フレデリックは辟易へきえきした。息子こそ、まじめな王女を誘惑したというのに。


 また、死の床でスリゼー公爵がテレーズから聞いたこととして明かしたことによれば、テレーズは、大公領の統治でレオンに頼りすぎてしまっただけで、レオンが泊まりこんだのもそれが原因、婚約うんぬんはテレーズが落ちこんでいたことによる狂言だったという。フレデリックたち老臣に混乱させて申し訳ない、とテレーズが謝っていたとも。


 うそに決まっていた。フレデリックは恋にはうといが、王女のあのときの告白をうそと思いこめるほど愚かではない。


 しかし、テレーズがそう表明することで、守られることは山ほどあった。


 ――姫様、そこまで我が国の安寧を。


 心優しい王女の配慮を思い出し、涙しそうになったフレデリックは、妻の言葉に少しだけ反応がおくれた。


「こうなれば、シャルロットをレオン殿下に早く嫁がせないと」

「……ええ、ああ」

「まじめなシャルロットなら、レオン殿下をわたくしから奪うことはしないわ」

「……え? あ、まじ、まじめ?」


 シャルロット王女は、フレデリックにとってみれば四人の王妹のなかでいちばん困った王女だった。

 テレーズのような聡明さもなく、カトリーヌのような芯の強さもなく、エリザベートのようなすなおさもない。

 芸術や音楽に興味をしめし、おしゃれ好きな美女であるいっぽうで、勝ち気にみえて意志が弱く、どこかうす暗い陰湿さがあり、金遣いが荒く、とんでもない額の邸宅や宝石をつぎつぎ購入し、男性との浮き名をつぎつぎ流す。


 ——いずれ他のかたに嫁がれて騒動を起こされるよりは、わが家でひきとったほうがまし。


 第二王女でなければ、絶対に息子の妻に迎えたいとは思わなかった。

 彼にも息子への愛情はまがりなりにもある。まじめなテレーズと享楽的なシャルロットをならべてみて、息子とどちらを結婚させたいかと、すべての前提をとっぱらって聞かれたら、テレーズと即答する。


 妻は誰かとシャルロットをとりちがえているのに違いない。そう思ったが、フレデリックとしても、シャルロットとレオンの婚姻は急がなければならないものだった。


「そうですね。シャルロット姫様は明るいお方。我が家を明るくしてくれましょう。レオンがラヴェンデルでまじめに勉学にはげんでいるあいだに、私たちで整えてしまいましょう」


 夫の言葉に、マルグリットは心底から微笑んだ。その微笑みは、大輪のゆりを思わせるほど美しかった。


「じゃ、わたくし、レオン殿下にお手紙を書くわ。シャルロットと結婚してって」

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