第30話 忠臣の諫言

 その日の昼に突然、王の五つの宮殿のうちの、フルール宮殿に呼ばれた。国名の由来となった最も古いその宮殿は、文字通り、庭にも室内にも花が咲き乱れる宮殿だ。

 大した用ではないとのことで、テレーズは略礼装に身を包み、フルール宮殿へと赴いた。


 初代国王が愛した宮殿なので、畏れ多く、第一王女とはいえめったに入ることはない。

 宮殿の玄関と接する大広間には初代国王の大理石の彫像が飾ってあった。その白亜の瞳に、何かを見据えられているような気がした。

 大広間を去り、行くべきところ、応接の間へと向かう。


 応接の間の前には、表情のない女官が二名立っていた。テレーズを中へと案内する。何か痛ましいものでも見るかのように。


 ——何かしら。


 何か大公領の差配で間違ったことをやってしまったか。やっぱり王妃が生む子供の面倒を押し付けられるか。


 手紙の出し主は宰相であった。宰相は王国の諸事を話し合う評議会の議長でもあるから、やはり呼び出されたのは大公領のことであろうか。

 そんなことを思いながら、案内されたソファに座る。

 修道女姿の前のスリゼー女公爵と、兄の看病をしていた忠臣、前のヴィニュロー公爵、そして、グランシーニュ侯爵が跪いていた。


「どうしました? 楽になさってください。あの、わたくし、大公領の統治でよくないことでもしてしまったでしょうか」


 そう声をかけると、前のヴィニュロー公爵フレデリックが、「姫様、」となぜか声を震わせてテレーズに迫ろうとしていた。それを、前のスリゼー女公爵であるアニェスが制する。


「繊細なお話ですから、女同士のほうが」


 フレデリックは頷き、何故か何も言っていない豪放磊落ごうほうらいらくなグランシーニュ侯爵の口を塞いだ。

 アニェスがテレーズにいた。


「テレーズ姫様、内々にご婚約なされたとか」


 テレーズはうつむいて、顔を朱に染め、静かに頷いた。フレデリックは「姫様、息子に騙されてはなりません! あれはとんでもない男です!!」と叫んだが、逆にグランシーニュ侯爵に裾を踏んづけられて黙った。男どもふたりを蔑むような目つきで見て、アニェスはどこからか小さな宝石箱を取り出してきた。「失礼」、とテレーズの手に渡された。


 宝石箱を渡されたテレーズは、素直に開けた。ダイヤモンドと真珠でできた指輪が入っていた。


「あの、これは」

「ダイヤモンドは永遠、真珠は愛情という意味があるそうです。大変に素敵な婚約指輪かと。ヴィニュロー公爵邸に明日届く予定の荷物を盗賊に漁らせたらこんなものが見つかりましてね」

「何するんだこの女! 私の服や下着や靴などは無事だろうな!!」

 

 フレデリックが叫ぶ。


「知らないね。さて、姫様——」


 何を言いたいのだろう。嫌な予感がする、とテレーズは俯いた。


「姫様は彼を愛しておられる?」


 ぶわりと、テレーズは涙を流した。アニェスもフレデリックも、グランシーニュ侯爵も言葉を失った。


「……いけませんか?」

「いけないということはありません。しかし、姫様」


 アニェスは小さく溜息をついた。テレーズは止まらなかった。


「愛しています。たまにわけがわかりませんが、わたくしの看病を熱心にしてくれました。いつもわたくしを助けてくれます。でもそれよりも、愛しています。……一生一緒に過ごしたい」


 フレデリックはあっけにとられた。彼の知るなかで、この姫君が我を通したのは初めてだったからだ。柔和で真面目な姫君を、あの放蕩息子が誘惑して弄んでいるのだと思った。


 アニェスが続けた。


「姫様、では、もう少し、慎重に、ゆるりと考えませんか。姫様ご自身、ご体調が万全ではない」

「ええと、——」


 フレデリックは純情な姫君が騙されつづけるのには耐えきれず、頭を下げて口を開いた。


「——姫様! 申し訳ございません。このじいをいくらでも罰してください。あんな息子を育ててしまったじいを! 息子にご寵愛を賜り、幸甚の極みでございます。しかし、しかし……、息子は第二王女殿下と婚約しているのです」


「婚約!? いや、まだ婚約には——」とグランシーニュ侯爵がフレデリックのほうを見た。フレデリックはまた彼の口を手で塞いだ。


「だというのに逃げて、姫様を、慰み者にしていただけなのです」


 テレーズはその蒼い瞳を揺らした。

 アニェスが焦った顔をし、フレデリックの頭を無言で叩いた。


「……なにを、申しているの……?」


 柔和で穏やかな王女はアニェスの顔と、ついでグランシーニュ侯爵の顔を見た。皆、テレーズから顔を背けた。アニェスが、気まずそうに言う。


「そういう、お話は、ございます。シャルロット殿下と……姫様の愛されているお方には」


 テレーズは眩暈めまいがした。


 あの夜会の時、シャルロットが、「お姉様、本当に酷い人だわ。こんな姉を持ったのが間違いだった」と言っていた。それは、そうだ。婚約者が自分の姉を連れてきたのだから。姉が婚約者を誘惑したと考えておかしくないだろう。


 テレーズが、シャルロットとレオンの仲を疑ったのは誤りではなかった。  


 アニェスがすぐにテレーズにいう。


「姫様。行き違いがあっただけでございます。決して姫様が妹ぎみを裏切っていたわけではございませんし、姫様の愛するお方も、姫様を裏切っていたわけではございません。ですが姫様、姫様に残念なお知らせをしなくてはなりません」

「……?」

「わたくしどもも交渉いたしましたが、カトライアでは、姫様の離婚は認められず、まだ王妃のままでございます。もちろん我が国では姫様は独身となります。が、この度、結婚なされては、外交問題に発展しかねません」

「……嫌、嘘、……いや!」


 過去の傷の深い深窓の姫君はその場に泣きながら崩れ落ちた。絶叫して、倒れ伏した。

 

 倒れ伏し、意識をなくした王女を抱えてソファに横たえると、さらに目覚めぬよう睡眠薬を含ませた。フレデリックは控えていた侍従に言う。


「姫様のお邸にいた女官と、アンリ殿下とエリザベート殿下を。暖かいモーテルピュイ大公領でしばらくお心安らかに過ごしていただく。姫様のお慰めとなるよう、クラヴサンの——女の教師は見つけたか?」

「は。手配は済んでおります」


 侍従は頷いた。テレーズはすぐに馬車に乗せられ、自身の領地へと向かった。それはテレーズ自身が少し前に望んだことで、国王の許可を得ていたことであったから、すぐに事が運んだ。

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