第27話 結婚約束

 女官がすぐにヴィニュロー公爵たる彼を客間に招き、茶を淹れ、テレーズがせっかく作った梨のケーキの一切れを添えた。

 テレーズは女官によって彼の向かいの椅子に座らされた。

 そして、誰もいなくなった。


 何を話していいのかわからず、ぼんやりと、レオンの目の前に置かれたティーセットに視線をやる。秋の花が絵付けされた、勿忘草色がアクセントになっているものだった。


 彼が少しだけ翡翠色の瞳でどこかを見ると、テレーズを見据えた。


「本当にモーテルピュイ大公領へお発ちになるおつもりですか?」

「ええ、あまり急いではいないのだけれど」

「……何故お発ちになられるのです?」


 え、とテレーズは少しだけ引き攣った笑いを漏らす。


「そ、それはお話ししたとおり、アンリ殿下とリジー……」

「ここでも十分静かです。何も喧噪は聞こえてこない。ここだけゆったりとした静謐な時間が流れているようで」

「そうかしら。……でも、いろんな噂話は聞こえてくるわ。ああ、召し上がって。ケーキとお茶」


 テレーズがすすめても、何故かどちらも彼は一口しか手を付けなかった。


「テレーズ様、少しお散歩しませんか」


 散歩という言葉に似つかわしくない真剣な表情で言われた。彼女は少しだけ生命の危機のようなものを覚えながら、頷く。


 女官に日傘を持たされ、社交界で不動の地位を築いている公爵と散歩をした。


「あ、ああ、あのね、一週間前、華やかな宴会だったわよね。船に音楽団を載せて、王宮の運河の水上で花火を打ち上げたとか――」

「ええ。あの御邸おやしきからでも見えましたか?」

「ちょっと」


 エリザベートが花火の音に耳をふさいで大泣きし、言葉をしゃべるようになったアンリが聞こえてくる音楽に「ヘタクソ」と舌足らずに暴言を吐いていたのは黙っておく。


 ――そう、そういう華やかな人にはやっぱりシャーリーがふさわしい。


 結婚すれば公爵夫人となって華やかな宴会を差配する。王妃ではあったが、永久に薄闇のなかにいたテレーズには、人並みならともかく、社交界の話題になるような宴会の差配などできようはずもない。そういうのはシャルロットが向いている。


 レオンが非常に真面目な表情をした。


「貴女もお招きしようかと――思っておりました。お伝えしたいことがあったから」

「どんなお話?」


 気づけば二人は秋の広葉樹林の奥深くに入っていた。

 白樺やブナの木がまるで絵具で描いたかのように紅色や朱色、黄金色に染まっている。鳥のさえずりが聞こえ、栗鼠りすが口いっぱいに木の実を溜めているのが見えた。


 彼の動きが止まった。手を静かに取られる。彼の唇が、テレーズの指先に触れた。


「……私と結婚して頂けないでしょうか」


 テレーズはあっけにとられた。その後、噴き出した。


「あなたって優しくて親切ねえ」

「……テレーズ様?」


 彼流の冗談だ、とテレーズはすぐに感じた。彼女があまりに気落ちすることが多いからか。面白い慰め方をしてくる。


「私は本気です。貴女を公爵夫人に迎えたい」


 本当にテレーズはコロコロと笑い転げた。


「わたくし、子供が出来ないのよ? あなたの子供が生めないと思う。産めても死ぬって」

「存じています。姉の所に子供がたくさんいますから、養子を迎えてもいいですし、考えようはたくさんあります」

「さっきお話ししたみたいな華やかな宴を企画するのは苦手。ヴィニュロー公爵家のお家芸……絵を描くのも音楽を奏でるのも詩を作るのもさっぱり」

「私は貴女と結婚したら慎ましやかに過ごします。絵画や音楽はこれからお教えいたしますし、別に『さっぱり』でもかまいません。貴女が来てくださるなら」


 大笑いしながら、夢でも見ているのだろうか、とテレーズは思った。

 こんなに自分に都合のいい言葉をレオンが吐いてたまるものだろうか。眼が覚めたら自分の館の客間で、彼は来ていない――単に陽気の良さに昼寝していただけなんていうことかもしれない。


 だから、夢かもしれないうちに、テレーズは日傘を地面に置き、両腕を大きく広げた。


「じゃ、抱きしめてキスして。そしたら結婚してあげる。今度は幸福な家庭を作るように努力くらいはしてあげてよ!」


 そうしたら、彼は笑って「ほら、元気になった」といってくれるはず、とテレーズは変な楽観をしていた。


 だが、彼はまるで幻惑されたようにテレーズを見た。彼女のほうへ、まるで蝶が花に吸い寄せられるようにふらふらと寄っていく。


「失礼致します」


 静かに、おずおずと抱きしめられた。社交界で浮名を流している貴公子の抱きしめ方とは思えないほど慎重だった。だが、彼の、腕の、胸のなかにすっぽり包まれ、閉じこめられていく。


「……あ」


 驚いている暇などなく、彼は彼女の柘榴のような色の唇を貪った。繰り返し。何度も。

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