第24話 王妃の絶叫

 シャンデリアに照らされてきらめきを帯びる王妃は、テレーズにとっては救いの天使そのものだった。白い絹地に金糸で刺繍がほどこされた、ゆったりしたドレスの衣擦れの音が心地よかった。

 レオンの手を振り払って、王妃の腕のなかに倒れこんだ。


「どうしたの、テレーズ。まあ、こんなに顔が真っ青になっちゃって」


 王妃こそ顔色が悪かったが、テレーズは床に座りこんだ。先ほどの淑女たちの半数は心配そうな目つきで見ていたが、もう半分はなんの演劇かと失笑している。


「申し訳ございません」

「テレーズ、どうしたの」

「許して」

「……テレーズ?」


 美貌だが、二年前に異国で暴行と凌辱を繰り返された王女は、我を忘れたように涙を流した。


「お願いですから、ごめんなさい……!」


 王女はうずくまって涙を流す。事情を知る誰しもが、彼女の、過去の口にするもおぞましい記憶がよみがえっているのだと理解できた。


 レオンが眉根を寄せて、主君たる王女に近寄る。


「申し訳ございませんでした。テレーズ様、帰りましょう」


 意外なことに、王妃が首を横に振った。


「ヴィニュロー公。まず、この子を寝かせることが先決よ」


 シャルロットは訳がわからないとでもいう風にその場を去ろうとする。すると、王妃が呼び止めた。


「シャルロット! あなたの姉を別の部屋に運ぶの。手伝いなさい」


 だが、愛らしい王女は肩をすくめ、蠱惑的こわくてきな笑みで毒を吐いた。


「スリゼー公爵と密通していまお腹に赤ちゃんがいるような女を義理の姉だと思えない。そんな人の言うことなんか聞けない」


 場が騒然とする。テレーズ自身も、薄い意識の下、妹が信じられないことを言ったのを聞いた。

 テレーズは、王妃とスリゼー公爵が極めて親しいことは知っていたが、二人の性格からして子供を作るようなへまはしないと考えている。


 なので、自分が何を口走ってしまうかわからないなか、必死に、意識を保ちながら、場をとりなす。


「王妃様、お兄様とのお子様をご懐妊されたようで、……おめでとうございます。妹はひどい勘違いをしてるみたいです。わたくし、クラヴサンの演奏が聴きたい……」


 大丈夫です、というと、場は収まった。第二王女の信じられない妄言より、第一王女の言葉のほうが一応は重んじられた。

 王妃は自分も矢を浴びせられたのに、義妹の震える肩を撫でた。


「ありがとう。テレーズ、落ち着いて。……さあ」


 王妃付きの女官がテレーズを別室へ連れて行く。レオンもそちらへ向かおうと足を進めたが、王妃に止められた。


「ヴィニュロー公は。男性ですので、王女殿下の御寝所には」

「ですが」


 王妃は声を低くした。


「お怨み申します。シャルロットとの縁談のお話は聞いています。お断りになるのはお好きに。わたくしはテレーズとあなたのほうが向いていると思いますから。しかし、テレーズを連れてシャルロットのいる場所へいらしたら、どちらも傷ついてしまいましょう」


 王妃はそのまま席に着き、レオンは一人でクラヴサンの演奏を聞く羽目になった。シャルロットが笑みを浮かべてレオンの隣に座った。



 ようやく意識がはっきりしてくると、テレーズは今が真夜中だということに気づいた。

 闇は消えていた。恥ずかしいことをしたと、身を起こす。すでにモスリンの寝間着に着替えさせられていた。どうやら真紅のベルベットの布が張られているソファに寝かされていたようだ。

 王妃に礼を言って帰らないと、とソファから出て、近くにあった自分のドレスを急いで着る。一人で着付けできるような代物ではない。近くに控えていた女官の助けを借りて、少し不格好ながらも、それなりに着付けた。手燭を片手に廊下に出る。


 テレーズは、女性の声を聞いた。


 不審に思わずそのまま帰ってしまえば、彼女はその日を大失敗しただけの日として記憶しておくことができた。

 だが、彼女は思わず、その声に疑問を抱いてしまった。廊下を進んでいくと、王妃にあてがわれた部屋のあたりから、声が聞こえる。


 喘ぎ声が。甘ったるい嬌声が。


 ——え?


 扉の隙間から、中をのぞいた。

 王妃が、豊かな身体をさらけ出してベッドに仰向けになっていた。男が、王妃の服を脱がせている。


「ああ……、ねえ、その小瓶、取って」


 王妃は恍惚の表情を浮かべ、寝台の脇机においてある小瓶を指差した。


「はい」


 男が躊躇ためらいがちに小瓶を渡す。


「うふ、今日はいっぱい壊して」


 王妃の白いむっちりとした足が、男の肩に触れた。王妃は男から小瓶をすっと奪い取り、愉しげに飲んだ。


「もう、昼間からあなたが欲しくて欲しくてたまらなかった。演奏会をすっぽかしちゃおうかと思ったわ」


 王妃は起き上がり、男を抱きしめた。そして、彼女は男の耳に囁いた。


「あなたがいうからしてるけど、ロベールの相手は本当につまらない。芸がないのだもの。禁欲生活のがまし。あなたの身体が恋しくてたまらなかったわ」


 そして、妖艶な顔をして、女は舌なめずりをして、男を逆に組み敷いた。


「今日は頑張ってね。先週みたいに体調がわるいって途中でやめないで。妊娠しちゃったから、しばらくあなたを味わえない——」

「……」


 男は王妃に口づけられた。王妃は口を離して、男の鼻を指で突く。


「なんでそんな顔するの。ほんと、わたくしでもアンリの父親がわからなかったんだもの。あなたをとロベールに交互に抱かれてた時期だもの。でも、今回は確実にあなたの子。うふふ」

「テレーズ殿下が絶叫してお倒れになったと聴きました」

「ええ。あの子はカトライアに行ってから壊れてるわ。あなたのせいよ。いい義妹だったのに。物分かりもいい、素直、堅苦しいところはあるけど、とっても使いやすいのよ。ちょっと同情したそぶりを見せてあげるだけで、面倒なアンリも育ててくれるし、とんまのエリザベートの面倒も見てくれる。ほんと使い勝手がいい子」

「ベアトリクス、あの方にその物言いはやめてください」

「あら、事実じゃない。まあ、わたくしも義理の姉ですから? 今のヴィニュロー公と再婚するのを応援してるのよ。でもなーんか子育てに夢中で結婚しないままで、使い勝手がいいままだし。便利。……あらまあ。うふ、本当にいやらしい身体してるわ。あなた」


 テレーズは震えて、えづきを覚えて手を口で覆った。しばらく話し声が止んだが、ぎしりと何かが軋む音がして、王妃のなまめいた声が聞こえた。


「……ああ、ああ、オーギュスト、最高!」


 直後、王妃の絶叫が繰り返し何度も聞こえた。


 ——嘘。


 全身が氷に浸かったように冷えた。

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