第23話 夜会(2)

 そこに、絢爛たる華やいだ美貌の持ち主がいた。第二王女、シャルロット。


 姉のテレーズが宝石であるならば、シャルロットは大輪の花。

 テレーズが細身なのに比べて、シャルロットは蠱惑的で豊満な肉体を持つ。

 色が抜けるほどの白い肌とプラチナの髪は同じだが、テレーズは凛々しさと上品さを感じさせる隙のない造形をしているのに対し、シャルロットは愛らしさと親しみやすさを感じさせるこなれた美貌を持つ。

 また、テレーズが人形めいた巻き髪なのに対し、シャルロットは癖が少しある真っ直ぐした髪を持つ。


 シャルロットは芸術への造詣が深く、おしゃれ好きで、社交界は彼女に釘付けだった。

 話題にも事欠かなかった。

 カトライアに嫁ぐのを嫌がって、姉が代わりに嫁いで行った後は、兄王が失神するほどの豪邸を建てさせたり、度重なる男性との浮名で社交界中を湧かせていた。


 小さい頃はしっかり者で冷静なテレーズ、楽天的でわが道を行くシャルロット、と二人で喧嘩しながらも楽しく過ごしていた。だが、過ごせなくなったのはいつからか。

 テレーズにとっては同じ世界に住むとは思えない、近くて遠い妹になってしまった。


「シャーリー」


 テレーズがそういうと、エリザベートとはまた違った意味で可愛らしい妹が寄ってくる。


「お姉様ぁ、どうなさったの? こんなところに、お顔をお見せになるなんて」 


 小首を傾げる様が愛らしかった。丸く大きな蒼の瞳に、薔薇の花びらを押し当てたようなぽってりした唇は、男性の心を奪うのも当然かと思われた。

 茫然としたままのレオンは、妹に視線を向けていた。

 心がピシリと痛んだのを感じて、テレーズは妹にわざとふくれっ面をした。


「いいじゃない」

「めずらしい」


 テレーズは素直に答えた。


「少し、気分転換」

「へぇぇ。 アンリ様やリジーの面倒、見るの飽きちゃった?」


 妹がくすりと笑った。テレーズは気だるそうに首を横に振る。


「何を言ってるの。シャーリーは一か十かで考える。飽きてもいないし、二人とは楽しくやってる」


 まったく、とテレーズは妹に頬を膨らませる。第二王女ともあろうものが、こんなに浅はかな考えでいいのだろうか。だいたい自分がシャルロットくらいの歳の頃は——。


 ——闇。


 突然、真っ直ぐした金髪の男になぶられる感覚を思い出して、ぞわりと悪寒が走った。呼吸の仕方がわからなくなる。身体が冷えていく。

 眩暈めまいが止まらない。シャンデリアの煌々とした光が脳髄を焼く。


 ——シャーリーの代わりにあの闇を経験したのに……。

 ——シャーリーは何でアンリやリジーの面倒を見るのに協力しないで、毎日遊んで暮らしているの。

 ——じゃあ、シャーリーがあの闇を経験すればよかったの……?

 ——何も考えない。何も思い出さない。


 様々に叫ぶ自分を懸命に叩き潰す。ひどく冷や汗が出る。


「テレーズ様?」


 レオンが異変を察知して、しっかりと彼女を受け止め、顔を覗きこんできた。

 わたしの顔を見ないで、とテレーズは震える。レオンと清らかに愛を語れる婚約者同士だったのは遠い過去のこと。自分の身体はあの男に壊されて穢され、玩具に成り果てた。おそらく数々の男性と浮き名を流すシャルロットより、卑猥な行為をいくつも知ってしまっている……。


「……なんでもない」


 闇を押しこめて、テレーズは首を横に振った。シャルロットは顔をそらしたまま、そのぽってりした唇に笑みを浮かべた。


「ふうん」


 妹の薔薇の唇が、歪むように弧を描いた。


「……ふうん」


 妹は姉にニコニコと笑顔を見せてきた。首を傾げながら。


「ふうん? 体調が悪いフリをして男性に媚を売ってる?」

「何が言いたいの? あなた」

「お姉様、本当に酷い人だわ。こんな姉を持ったのが間違いだった。まあいいわ。楽しんでらしたら」

「……?」


 花のごとく美しい妹姫は、姉を敵のような目線で見ながら、レオンのほうを見た。思いっきり親しげに。


「あなた、来たの? 来ると思ってなかったわ。このあいだ、こんな酷い演奏、って席を立って去っていったじゃない。そのクラヴサン奏者なのに」


 テレーズはレオンのほうへ目線を向けた。ひどいクラヴサン奏者の演奏会を聞かせにテレーズを呼ぶとは逆の意味であっぱれである。子育てに政務にと暇ではないというのに、からかいたいのだろうか。

 シャルロットの話に乗ろうとして、ええ、あなた、と反応しようとした時、妹はレオンの腕にねっとりと手を当てた。

 その仕草の馴れ馴れしさとなまめかしさに、ぞわりとした。

 妹は薔薇の唇を静かに尖らせ、レオンの耳に囁いた。


「お姉様まで連れ出して、こんなところまで、わたくし目当てでいらっしゃったの? なんってご執心なのかしら」


 テレーズにもそのささやきは聞こえた。いや、妹がわざわざそのくらいの声量で話した。先ほどの闇が心から抜けていないテレーズは、頭を打ち付けられるような感覚を覚えた。


 レオンは完璧な微笑を浮かべながら答えた。


「そう、あなたへの執心のあまり、あなたのお優しい姉君にお話を聞いて頂こうかと思いまして」


 つまりここに連れてこられたのは、シャルロットとの関係を仲立ちして欲しかったかららしい。そう考えると全てが納得いった。何故違う世界の住人であるレオンが頻繁にテレーズのところへ訪ねてきたか。何故夜会に連れていくなどと言い出したか。

 すべてはこのため。姉の機嫌を取り、社交界の華である妹との関係の仲立ちをしてもらうため。


 テレーズだけが、過去にしがみついている。「友人」も妹も、テレーズと婚約関係にあったことも、テレーズにカトライア行きを押し付けたこともすっかり忘れ、手に手を取って幸福になろうとしている。


 よろよろとその場を去ろうとした。足が震えて力が出ない。おまけに、レオンがひどく腕を掴んで離さない。その手が奇妙に冷たい。膝が折れて、うずくまりそうになる。


 王と先のヴィニュロー公爵の肝いりで、すぐ下の妹に水面下で縁談が来ていることを、テレーズは知らされていなかった。

 「友人」がその縁談を「そんな話があるくらいなら、俺を殺せ!」と叫ぶほど拒絶したため、話が立ち消えになりそうなことも。逆に妹が、さらに贅沢に暮らせるとその縁談に喜び、先に進めたがっていることも。

 その結果、すぐ下の妹から、女性として対抗心を向けられていることを、そして彼女自身そのくびきから逃れられないことを、自分に薄暗く芽生えている嫉妬心を、テレーズは認識できなかった。全て抑圧した。 

 感情に目を向ければ、自分の内的世界を探求すれば、必ずにぶつかるから。抑圧した。

 それゆえに、抑圧が、彼女の魂を蝕んでいくことになる。

 


 ひどくよろけた時、声が聞こえた。

「テレーズ?」

 王妃の優しい声だった。

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