第22話 夜会(1)

 頬をしゅに染めて素直に頭を下げてくるテレーズを、レオンは我をどこかへやったかのように見ていた。咳払いをし、少し彼女から視線を外した。


 彼の完璧に整った長い睫毛が窓からの光を受けて乱反射しているのが、まるで宝石箱を眺めているかのようだった。テレーズは、「友人」にそんなことを思ってはいけない、とやはり視線を逸らす。


 税の徴収の文書に視線を落としていると、レオンが少しだけ躊躇ためらいがちに聞いてきた。


「テレーズ様、少し、夜会にお顔を出しませんか」

「どうしたの、いきなり」

「子育てに政務、大変ご立派ですが、息が詰まることもありましょう。お供いたしますから、たまには盛装なさってお外に出られては?」


 テレーズはきょとんとした。そして、少しだけ考えこみ、微笑んだ。


「それもいいかもしれないわねえ。いつあるの?」


 その穏やかな言葉に、レオンは顔をぎょっとさせた。


「……二週間後。陛下はご病気で主催なさらないので、王妃殿下が主催なされるそうですが。その、クラヴサンの演奏会を」

「早く言ってちょうだいよ。ひと月後だと思った。お支度があるのに」

「差し上げます」

「は?」

「下の……アンリエット姉上が先日出来上がったのをお召しになって、『あと五歳若ければ色味が似合ったのに』と涙ながらに封印した衣装三着、その他諸々を一式何故か譲り受けたので、差し上げます」

「……え? よろしいのかしら」

「テレーズ殿下に差し上げてもいいか聞いたら、姉も、ちゃんと格式のあるものだから、恥ずかしくなくてむしろ光栄だと喜んでいました」


 レオンの姉二人はどちらも気性が穏やかだ。

 テレーズはその二人のから、「靴が片方なくなったのを片足裸足で探し回った」とか、「二人揃って音痴すぎて父上が音楽教師とのレッスンに乱入して騒音被害を申し立ててきた」とか「化粧がうまく行かないと人に当たる」「父上や私、夫たちとチェスの勝負をすると、負けそうになった時は必ず盤をひっくり返す」などという珍妙な話ばかり聴いている。が、ともかくおっとりとして穏やかな気性だ。

 あの母とこの弟を持つとは思えないほど。


「じゃあ、ありがたくいただくわね」


 そうやって微笑んだとき、レオンの翡翠色の瞳が煌々こうこうとした光を帯びて、次第にまなじりが赤くなった。

 彼は彼女から顔をそらし、目元を軽く押さえながら言った。


「数日中に持ってまいります」


 そうして数日後、持ってこられたドレスは、白磁色や金糸雀かなりあ色、撫子色のもので、まだ十八歳の少女であるテレーズは歓声をあげた。アクセサリーも金や銀、色とりどりの宝石、珊瑚でできていた。


 だが、大公領の政務をするうちに芽生えたテレーズのどこかが、ヴィニュロー公爵家は危ない、と告げていた。王の妹——この際、自分のものぐささはさておき——が整えられないような衣装を、当主の姉は整えることができる。


 ——お姉様の服でさえこんなに見事なのだもの、もし、あのお家が本気でお兄様に刃向かったら、お兄様は? そして、あの小さなアンリは?


 ひゅうっと、スリゼー公爵が、ヴィニュロー公爵を敵視している理由が鮮やかにわかってしまって、足元が震えそうになった。

 テレーズは、首をふるふると横に振った。本当にありがたい品々ばかりだ。レオンは国王になりたいと口にしたこともあったが、それはあのときのテレーズの惨状を見ての義憤だった。なにも反逆心を抱いてはいないだろう。


 女官に痣を化粧で隠してもらうと、類まれな宝石を思わす上品で艶麗な美貌に、隙が見えなくなった。さらに銀や金剛石ダイヤモンド、水晶の耳飾りやネックレスや指輪と、撫子色の衣装に身を包んだ第一王女は、付き添いの社交界の華の、華麗なる美貌に引けを取らなかった。


 二人で並んで歩いていると、絵画のようであった。それに淑女たちは溜息をつく。


 自分たちの貴公子は、二年前にカトライアへ嫁いだ第一王女を迎えに行った。それ以降、隠棲する姫君に忠誠を捧げ、何かと気を遣っていることは周知の事実だった。不遇な姫君に対する自分たちの貴公子の騎士道的愛、それは淑女たちを悶えさせた。

 関係をさらに深めようと淑女が一歩前に進んだとき、彼は魅惑的につれない。それは姫君への忠誠の故だろうと淑女たちは思っていた。当たらずとも遠からずではある。


 その忠誠の対象が、王妃主催の夜会に現れて、淑女たちは度肝を抜かれた。


 王女の慎ましやかな気品は、十分に貴公子の心を捉えるに値するものだった。

 貴公子は王女にやさしく話しかけ、それに王女ははにかみながら答えている。


 淑女の半数は、その姿を温かく見守り、あまつさえ感動するなどした。貴公子を追いかけはするが、彼の幸福な姿が一番だと割り切っている者たちである。だが、貴公子の寵愛を巡って熾烈な争いをし、相手を蹴落とそうとしている淑女のもう半数は、テレーズを忌々しいものとして見た。


「今までこんな場所にお顔を見せなかった高尚なお方なのにね」

「とんでもなく痣がひどいとお伺いしますよ」

「第一王女ではあらせられるけれど、ヴィニュロー公爵を気軽に付き添いにしていいのかしら?」


 テレーズはその声にうつむいた。だが、レオンがどんどんと引っ張っていってしまうので、声の源からは遠ざかっていった。


「人が多いわ」


 レオンに向かって言うと、彼から優雅に失笑された。


「これでも少ないほう。王妃殿下が主催ですからね」


 そういって耳打ちされる。

 王妃はスリゼー公爵とただならぬ関係にある、その末の子がアンリだ、そんな噂が駆け巡っていた。

 テレーズは王妃とスリゼー公爵が限りなく親しいことを知っているが、二人は子を作るというヘマはやらかさないだろうと考えている。アンリは笑ってしまうほど兄王に似ていた。だが、真相はわからない。

 とりあえず、アンリはまだ幼く、両親の愛情が必要で、だが、両親の愛情は得られそうもないことはわかっていた。だからテレーズが引き取った。彼自身はとても利発で愛らしく、健やかに育っている。


 だが、そのアンリにまつわる出生の噂を利用する人間はいる。目の前のレオンの母のマルグリットはその最たるものだ。


 そんな面倒を抱えた王妃主催の催しに、集まりたいと思う人間がいるわけはない。


「あなたは?」


 テレーズはレオンを真っ直ぐ見た。


「あなたは、王妃殿下のこと、どう思ってるの?」

「王妃主催の催しに、母は出禁になっているから、自由に動きやすい」

「わたくしを引っ張り出して連れてきたり?」 


 くすりと王女は肩を竦めて笑った。目の前の青年はその仕草に白い頬をほんのり朱に染めた。


 まるで破談にならずにいたようだ、とテレーズは幸福な錯覚をした。そうなのかもしれない。悪い夢を見ていて、自分はまだレオンの婚約者なのかもしれない。まだ子供が産める体で、結婚を目前に控えているのかもしれない。自分はレオンにまだ恋していて、彼もひょっとしたら自分を女性として愛してくれているのかもしれなかった。


 だが、そんな都合のいい錯覚は崩れ去る。


「まあ!」


 聞き覚えどころか、あなた、こんなところで何しているの、といいたくなる華やいだ声が響いた。


「お姉様!」


 何故かレオンが、酷く茫然としていた。

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