4、華麗と絢爛の結婚(上)
第21話 人生で最も幸福な時間
夏が終わりかけていた。
テレーズは兄から賜った小さな館の窓辺で、子供服を手直ししていた。
丁寧に手入れさせている庭には、アカンサスやグラジオラスが華やかに咲き乱れている。そろそろ壁伝いに広がっている秋薔薇も咲きそうであった。
彼女は庭を整えるのに凝っていた。自分の庭を、雑草まみれの空間から、青々とした芝生が広がり、ところどころで季節の花が交互に咲く美しい庭に変えてしまった。館の後ろに、林が広がっているのも庭を引き立てる良い効果となっていた。
その庭には、もう一人の女官が見守るなか、二人の子供が花を摘んで遊んでいた。一人は妹のエリザベート、今年八歳となる。もう一人は甥のアンリ、ようやく一歳となった。
テレーズはその様子を窓から見て、微笑んだ。
王の住まいの五つの宮殿からほど近い反面、閑静なこの館で、三人ともに住まうようになって、テレーズは過去の傷を忘れ、心底穏やかな暮らしをしていた。
あるいは、テレーズにとってこの時期こそが、もっとも幸せな時期だったかもしれない。
兄と王妃がつけてくれた数名の女官たちも、この時期は穏やかで明朗で働き者の気性の持ち主だった。テレーズを悩ませた痣もほとんど消え、元の宝石のような美しさに、上品な艶麗さが加わっていた。
惜しむらくは、医師の診断の結果、「夫」からの度重なる暴行や流産などにより、子供が出来ない、出来たとしても母体の安全は保障しかねる身体になっていることだった。
だが、いまのテレーズにとってはその話は必要なかった。妹と、兄が実子だと認めずにスリゼー公爵の子だと言い張る子を育てていくので精一杯で、なおかつそれで満たされていたから。
テレーズが微笑みながら窓の向こうを見ていると、銀の盆に菓子を目いっぱい載せた笑顔の女官が声をかけてきた。
「まあ!」
離婚を経験したとはいえ、まだ十八歳のテレーズは、盆の中身を見て歓声を上げた。
すぐに窓を開け、エリザベートとアンリに「午後のお茶の時間ですよ!」と声をかける。
子供たちは女官に連れられ、すぐにやってきた。
それで満たされていた。それでよかった。
この暮らしが壊れることを彼女は望んでいなかった。
お茶の時間のあと、子供部屋に子供たちを昼寝させる。その隙に、テレーズは賜った大公領から来る訴状や報告などを読み進めた。難しいことも多く、最近病気がちになったスリゼー公爵も含め、周囲の助言をもらいながら決済していた。
頃合いを見計らったように、するりと「友人」が入ってきた。その「友人」をもてなしはしない。勝手に女官を使い、勝手にテレーズの作ったレモンのはちみつ漬けの蓋を開けさせ、自分の喉を潤すような人間だから。そして勝手にテレーズの書斎に入ってきて、テレーズの机にもレモンのはちみつ漬けを炭酸水で割ったグラスを置いた。
テレーズは執務机から顔を上げ、「ありがと」とそのグラスを手に取った。
二十一になる「友人」は、美の極致だった。どこを切り取っても絵になる絶世の美貌、均整の完全に取れた体つき、――この国の名だたる芸術家が、彼を作品のモデルにしたいと願っているのもよくわかる。
「友人」は自分の美を謳歌しつくしていた。相変わらず最新のファッションに身を包み、様々な淑女と浮名を流し――その話に心がささくれ立たなかったといえばうそになる――、ついには絵画や音楽のパトロンとなり、社交界の華として不動の地位を手に入れていた。
テレーズは絵画や音楽に造詣を持たない。子供たちを育てているため、社交界に顔を出すことはめったにない。痣が消えつつあるといっても、やはり完全になくなったわけではない。
かつて縁談があっただけなのに――破談となった際、赤面するような浅はかなこともやってしまった――、テレーズとは真逆を行く彼が、何故テレーズの所に時折出入りするのかはわからない。
だが、嫌ではなかった。むしろ、いてくれると安心する。
彼はテレーズの読み進めている書類を横からさらって手に取ると、まるで苦労していた彼女が馬鹿だったかのように
「あのねえ、モーテルピュイ大公領はあなたの所領じゃあないのよ、レオン」
「臣下として、テレーズ様をお助け申し上げているだけの事」
「社交界で遊び惚けているあなたに書類の決裁でも劣るなんて、わたくしが無能みたいじゃない」
「私は別に遊び惚けているわけではないし、貴女は無能ではなさそうだが、石頭でしょうね」
「石頭って!」
彼女は大声を出した。
「わたくしの頭は最近柔らかくなってきたのよ!!」
「では、時間を割いて人の領の決裁を手伝っている私にお礼を言われてもよいのでは」
「……それは、その、ありがとうございます……」
女官たちがこっそりと笑みを交わす。皆、主君の幸せな再婚を待っていた。
特に、先月父が隠居してヴィニュロー公爵となったばかりのレオンは、お互い打ち解けていて、本当に良い相手のように思われた。
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