第19話 テレーズ、俺は怒っているんだ

「え?」


 テレーズは、柘榴ざくろ色の唇を少し薄く開いた。


「何を言ってるの」


 レオンはその翡翠ひすい色の瞳で、主君を真っ直ぐに見、そのあと溜息をついて肩を竦めた。


「少し疑問がありました。私は何故かエリザベート王女殿下と会うことは出来なかった。母が『風邪だ』『用事がある』などと理由をつけて。貴女を含めた他の王女殿下には自由に会うことができた。ま、とはいえ、貴女以外の方とは会う機会などもそうそうなかったわけですが――」


 テレーズは白い頬を薄い朱に染めて、顔をそむけた。


「でも、エリザベート殿下とだけは、望んでもお目通りかなわなかった。ご病弱なお方なのかと思っておりました。テレーズ様もエリザベート殿下の面倒を親身になって見ておられたから。しかし、いくつか不思議な点もありました。父は私にエリザベート殿下について『大変にお元気で、大変にお可愛らしい』と言いました。そして、今日、お姿を拝見して思いました――」

「……やめて、レオン」

「エリザベート殿下はご病弱ではない。ご成長が、人より遅れている」

「やめてよ! あの子はあの子なりに成長してる!!」


 テレーズは涙ながらに叫んだ。レオンもそうなのか、と。マルグリットと一緒なのか、と。


「そうではありません。そういう者はよくいると、聞き及んでおります。私の父の末妹もそうでした。私は会ったことがないけれど」

「え?」


 殻に閉じこもりかけた姫君は少しだけ殻から出る。美貌の若き忠臣は失笑する。


「エリザベート殿下と違って病弱で、早くに亡くなったそうです。ま、問題は私の母です。昔、貴女が雪の日に、酷い風邪をひいてしまわれたことがありましたね。私はあの雪の日、母と共に貴女とエリザベート殿下と会いました。けれど、あの時について気になることがありました。母がエリザベート殿下を雪に埋もれさせたように見えたのです。自分の錯覚だと思っていました。誰でも自分の母が王女殿下に不埒を働いていると思いたくないでしょう? あのとき、何があったのですか」


 それを聞いてどうする気、とテレーズは問いたかった。

 だが、レオンが肩を掴み、揺らしてきた。


「テレーズ!」


 気圧けおされ、唇から真実が零れ落ちる。


「……マルグリット伯母さまは、リジーとあなたを会わせるなと頼んできたの。育ちの遅れたリジーは王家の闇だからと。伯母さまのなかで次期国王であるあなたには見せたくなかったのですって……」


 レオンが翡翠の瞳を大きく見開いた。そして、どこか遠くを見た。


「それで、あの日?」

「そのお言いつけを破って、リジーを連れた状態であなたと伯母さまに声をかけてしまった。伯母さまはひどく怒って、……で、」

「で?」

「エリザベートを突き飛ばして雪に埋もれさせた……」

「それで王女二人が病気になったのですね」


 テレーズが頷かずにいると、レオンがひどく近くにいた。耳朶に唇を寄せてくる。


「テレーズ、俺は怒っているんだ。我が国の第一王女を侮辱したカトライアに。第一王女の縁組だというのに碌に相手の性格を調べなかった国王とスリゼーに。この機に乗じて暗躍する母に。不敬の母を幽閉し、狡猾なスリゼーをも退け、今の優柔不断なロベール陛下を廃して玉座に座ろうと思う。そしてカトライアを灰燼に帰す。でなければこの国はどうにもならない。……よろしいか?」


 鼓膜をかすめる静かな囁きに、テレーズは目を丸くした。周囲を見回し、レオンの唇を細い指でふさいだ。


「何を言っているの? 正気!?」


 声を低くして目の前の男をたしなめた。その骨ばった手を握り、額に当てた。


「やめて。危ないことはしないで。お兄さまと仲良くして」


 彼は手を握り返して、テレーズの華奢な手の甲に口づけた。

 


 お互い囁きあい、手を握る姿は、他人――たまたま通りかかった王妃――には、二人が恋人関係にあるようにしか見えなかった。

 二人の来し方を知る王妃はその関係を当然と憐れんだ。だから。


「テレーズ。あの子は回復したら、宮殿から出して、お屋敷と所領を持たせてやりません?」


 国王にそう進言した。ソファで本を読んでいた王は、隣に腰掛けた王妃に目を向けた。


「そういえばそうだね」

「たぶん、そのほうがヴィニュロー公子と会いやすいだろうし……。無事カトライア王とテレーズが離婚出来たら、ヴィニュロー公子に嫁がせましょうよ」


 国王は笑顔でそれに応じた。


「それはいいね」


 王妃は溜息をつき、さらに付け加えた。


「ねえ、テレーズに懐いているのだから、もテレーズのところへ送っていいかしら?」

「あの子? エリザベートのこと?」

「……もう無理。もういや。あの子があんなに鹿だったなんて」


 国王は頭を抱えている王妃を不審の目で見た。その不審は、いずれ、王妃との関係を破綻に導くごく小さな端緒となる。


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