第18話 家族との再会

 ***


 ——お手すきの時なんかないよ。


 そう答えるレオンの顔はどこか疲れていた。

 確かに、自分がこんなになってからずっとつきっきりだ。疲労しているだろう。

 気づけば季節は鮮やかな夏を迎えていた。窓から見えるキャメリアの街のパステル調の鮮やかさが、テレーズを楽しませる。


 グレイユルでもそうだったが、キャメリアでも渓流の脇に館を借りるあたり、レオンは川が好きなのかもしれない。


 ——少しでも、彼を楽にしてあげないと。


 王や王族の世話はヴィニュロー公爵家の人間に課された義務だ。難しい事態なので嫡子であるレオンが駆り出されただけで、テレーズの世話は本来はレオンの二人いる姉たちのどちらかが担うはず。

 本当はテレーズの面倒など見たくなかったろうに。


 ——そうだね。君の面倒なんて見たいと思う人間はいないと思うよ。


 耳が想起したのはすぐに忘れてしまいたい「夫」の甘く柔らかい囁き声だった。急いで耳を覆う。

 寝台から起き上がり、その声から逃げるように歩く練習を一人でした。

 ひとりで部屋のなかを随分と歩けるようになった、と満足していると、突然、身体の力が抜けた。


「あ」 


 貧血だろうか。ひどくめまいがした。気づけば床に倒れ伏していた。


「テレーズ様!」


 扉が開かれ、レオンが入ってくる。いつも通り抱き上げてきた。


「離して。歩けるから」

「いけません。すぐにお運びします」

「ごめんなさい。迷惑ばかりかけて」

「迷惑などではありません」


 その時の彼の笑みが、かげりを帯びていた。テレーズは、やはり迷惑なのだと思った。


「テレーズ様は私がおまもり致します。お嘆きにならないでください」


 無理に言わせているような気がした。なので、話題を逸らす。


「そういえば、お兄様たちやエリザベートとはいつ会えるのかしら」


 レオンは何故かじっくりとテレーズを見たが、すぐに笑顔になった。


「……もうすぐ」

「早く元気にならないと」


 早く元気になってレオンを解放しなければいけない。彼は自分の看病ではなく、淑女と派手に踊るのがお似合いだ。



 かなり長い間立っていられて、氷菓子も食べられるようになってきた頃、兄王夫妻とエリザベートが来た。

 馬車から降りてきた王妃は、テレーズを涙ながらに抱きしめた。エリザベートがそれにやきもちを焼き、間に割りこんできた。


 王妃は化粧が華やかになっていた。少しだけテレーズは驚いた。以前の素朴で健康的な印象がなくなり、その化粧は下品なほど派手だったのだ。豊満な肉体と合わせると、まるで——、春をひさぐ女のようだった。

 王妃さま、お化粧が、と言おうとして口をつぐむ。化粧係がきっと口紅や頬紅の種類を間違えたに違いない。王妃の趣味ではないことをした化粧係に対して、王妃が腹に据えかねている可能性もある。あえてそれを口にしないのが吉というものだ。


 王妃は吉報を持っていた。


「ねえ、聞いて。テレーズ。わたくしね、お腹に陛下のお子様がいるの」

「まあ、おめでとうございます……!」


 素直な気持ちを舌に乗せてことほぐと、国王が「伯母上が作れと急かすから」と顔を背ける。

 その言葉で、マルグリットはまだ猛烈に元気でやっているらしい、と少しだけ伯母に呆れた。


 エリザベートは六歳になるはずだが、その様子を姉の緩やかなドレスの裳裾を掴んでじれったく見ていた末、突然暴れだして騒ぎ出した。まるで赤ん坊のように。


「ねえさま! いじわる!」


 テレーズはその物言いに笑った。エリザベートのほうに身をかがめて彼女の頭を撫でる。


「意地悪って言葉を覚えたのね」


 末妹は機嫌を直し、得意げな顔をした。


「いっぱいおぼえた。いじわる、ばか、とんま、まぬけ」

「リジーねえ、その言葉は他の人に使っては駄目よ」


 ケラケラ笑いながら罵倒の言葉を披露する妹を、姉はたしなめる。

 テレーズにとっては王妃が懐妊したことも、エリザベートが語彙を増やしたこともめでたいこと以外の何物でもない。

 だが、レオンにとっては。

 テレーズが何とは無しに振り向くと、側に控えていたレオンが顔をひどく青褪めさせていた。自分の看病の疲れがどっと出たのだとテレーズはとっさに考えた。


「大丈夫?」

「はい」

「大丈夫な顔をしてないわ」


 申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、レオンに部屋へ退がるよう命じた。

 兄夫妻や妹も旅装を解くので休憩すると聞き、テレーズも自室に戻った。

 少し立ちっぱなしだっただけでもう足が痺れてしまっている、と安楽椅子にようやっと座っていると、レオンが顔を見せた。


「大丈夫なの?」


 他人から見れば、テレーズのほうが満身創痍にみえただろうが、テレーズにはレオンのほうが心配な様子に見えた。

 彼は彼女のほうを向いた。なんと言っていいかわからないように少しだけ唇を開き、息を整えた。

 テレーズにとっては青天の霹靂へきれきのようなことを言った。


「テレーズ様、お伺いしたいことが。——母はエリザベート殿下に何をしたのですか?」

 

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