第5話 忠誠と賢者(1)

 しばらくそうしていると、肩を叩かれた。


「いやああ!!」

「申し訳ございません」


 レオンだった。ひどく安心して、足から力が抜けてへたり込む。レオンは「どうしたんだ」とひどく焦った表情をした。



「その男はスリゼー公爵だ」


 王の五つの宮殿の間近にある、ヴィニュロー公爵邸に連れてこられ、客間でレオンにそう言われた。テレーズは温かいショコラを給仕された。


 スリゼー公爵。王家の三つの分家の一つ。ヴィニュロー公爵より一段階順位は劣るが、王位継承権を持つ。

 「王の忠誠」と言われているヴィニュロー公爵家、「王の剣」と呼ばれているもう一つの分家、グランシーニュ侯爵家と並ぶ名門で、「王の賢者」と呼ばれているのがスリゼー公爵家だ。非常に知恵者が多い家系であると聞く。


「す、スリゼー公がどうして王妃さまと……。王妃さまはお困り遊ばしてたから、それをお助けした親切なお方なのかしら?」


 レオンは腕を組み、皮肉気な表情を浮かべた。


「僕の知る限り、スリゼー公爵家で親切心から動く心の優しい奴なんていない」

「なんっていいっぷり!」

「スリゼー公爵。オーギュスト・ド・スリゼー、二十五歳。北のカトライアと我が国は緊張状態にあるため、カトライアを挟み撃ちにすべく、カトライアより北のマルグレーテ王国との外交交渉を成立させ、その証として王妃をこの国に連れてきた。王妃とはその縁で親密だ。道を聞きたければ、テレーズさまではなく、スリゼー公に聞けばいいのにな」


 テレーズは思い切ってレオンにすがりつき、小さい声で囁いた。


「……王妃さまは、お兄さまとより、スリゼー公爵と、仲がいいの?」


 レオンは一瞬だけ頬を染めた後、咳払いをし、真剣な表情になった。


「テレーズさま、ご自身が何をおっしゃっておいでかご承知で?」

「よ、よくわかんないけど、不安になっちゃって。お兄さまは王妃さまと仲がいいと思っていたけれど、さっきの王妃さまとスリゼー公の様子を見たら、……」

「そんなことがあったら、僕の父上が王妃とスリゼー公を処刑する」


 テレーズは白い頬をさらに青褪あおざめさせた。長いふさふさした睫毛をまたたかせ、柘榴ざくろのような色の唇をぽかんとあけた。レオンは妖艶にくすりと笑う。


「冗談だよ。冗談。スリゼー公はマルグレーテ王国から王妃陛下をお連れ申し上げた。だから、王妃陛下も頼りたいところはたくさんあるのだろう」

「そ、そうよね。ばかみたい。変なこと考えちゃって――」


 テレーズはショコラをゆっくりと飲んだ。



 ある冬の日のことだった。ちらちらと雪が舞う季節になった。


 エリザベートは最近、少しであれば一人で歩けるようになってきていた。

 外に出てみよう、とテレーズは思った。

 まだ細く羽毛のようにふわふわした髪のエリザベートの頭に毛糸の帽子をかぶせる。テレーズが気心の知れた女官と編んだものだ。

 毛織物を着せて思いっきり厚着をさせた。


 数名の女官たちと一緒に、エリザベートの手を引いて、雪の中を歩く。妹は大はしゃぎした。

 もっと喜ぶかもしれない、と雪だるまを作っていると、エリザベートは雪だるまに飛びついた。おかげでせっかく作った雪だるまに小さな人型が出来た。

 姉妹二人で雪まみれになり、けらけらと笑っていると、馬が二頭遠くから見えた。


 ――なんだろう。


 エリザベートの少し冷えた手を握り、ぼんやりとその馬を見守っていると、その馬に騎乗する男女が見えた。


 片方は厚着したレオンだった。

 もう片方は、伯母のマルグリットであった。非常に美しい白い毛織物を着ている姿は、まるで雪の女王のように優美であった。


 二人は談笑していた。こちらに気づかないようで、テレーズは少しだけじれったくなった。


 じれったくならなければよかったのかもしれない。

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