2、王妃と妹
第3話 兄の新妻
母の死とともに生まれ落ちた末妹のエリザベートはもう三歳になっていた。
身体が弱い末の妹は、常に女官の誰かが付き添っていなければならなかった。だが、一番妹がおとなしくなるのは、テレーズがそばにいるときだった。
だから、女官たちは、十三歳にしかならないテレーズにエリザベートの面倒を押しつけがちだった。
今日も、エリザベートの面倒を見ている。
ガラスのはめ込まれた窓から、春の穏やかな日の光が差し込んでくる。
ようやくつたいつたいに歩き出し、言葉のようなものを話すようになったエリザベートを、テレーズはあやしていた。
優しい伯母のマルグリットが言うには、エリザベートは人より育ちが遅いのだという。
——レオン殿には近づけないでね。
困る、とテレーズは途方に暮れていた。どうして近づけてはいけないのだろう。
女官にエリサベートを預けて、十六歳になった婚約者に会いに行っても、どうにも落ち着かない。気づけば一週間も彼に会っていなかった。
しかも、とテレーズはエリザベートを背負って、ラ・メール宮殿の北の部屋へと赴いた。
いとも麗しい女性が、念入りに化粧をしていた。
「王妃さま」
金髪の豊満な肉体を持つ女は急いで振り向いた。ぽってりとした唇に燃えるような赤の口紅をさして。
「まあ、おちびさんたち。いらしたの?」
兄に妻がやってきたのだ。兄より三歳年上で、かなり北のマルグレーテ王国から遠路はるばる来たらしい。
王妃は王宮に不慣れで、案内しなければいけなかった。女官は、エリザベートに対する態度もひどいが、王妃のベアトリクスに対する態度には、眉をひそめたくなるものがあった。
ベアトリクスにとっては、義妹のテレーズとエリザベートだけが頼りだった。
義理の姉は自然な仕草でエリザベートをテレーズの背から離す。
「あ」
テレーズが驚くと、ベアトリクスは微笑んだ。
「子供が子供の世話を見てちゃあいけないわ」
「……ありがとうございます」
「この王宮がどうしようもないってことはわかるのにね。国王陛下が、テール宮殿でお待ちしていますっていうのだけれど……」
新しい王妃は
「えっと、テール宮殿はこちらです」
テレーズは回廊を歩きながら、ベアトリクスたちを案内した。彼女たちはテレーズに従い、戸惑いながらも進んでいく。
だが、案内に夢中になりすぎて、テレーズは気づかなかった。
ころりと、王妃の足元めがけて石が飛ばされた。王妃に反感を持つ女官がしたものだ、と後でわかったのだが、テレーズは全く何もわからないまま、その石に、王妃の代わりにつまずいた。
「……!」
しかも、つまずき方が悪く、膝だけではなく、額からも出血した。
「テレーズ!? テレーズったら! 誰か、テレーズに、医者を——」
王妃が訴えても、誰も動きはしない。王妃は外国人、しかも辺境の「文明がない」とこの国の人間が思い込んでいる国から来た人間。誰も相手になどしない。
ふと、身体が抱き上げられた。額にハンカチが当てられた。王妃と女官たちが茫然としているのを見た。
「——王妃陛下。言葉は通じるでしょう? 自分のお住まいなのですから、自力で覚えられたら。私の婚約者を勝手に使われるのは腹が立ちます」
声変わりを完全に終えた美声が降ってくる。テレーズは「違うの」と訴えたが、彼は承服しなかった。しっかりと抱きかかえられ、ラ・メール宮殿に彼女を戻した。
「王妃さまはおひとりでご苦労されておいでなのよ! 道を聞いても、わたし以外誰も教えてくれないの!!」
テレーズはレオンに頬を膨らませた。レオンは顔を背ける。
「でも、そのせいでテレーズさまがこき使われることないだろう」
「エリザベートの面倒も! ああ! エリザベートを置いてきてしまった」
「王妃が連れてくるだろう。ああ、王妃にも面倒を見させたら」
「強引な意見!」
「頭を派手に打って、気持ち悪くないか?」
「ないわ。わたしの頭は頑丈なの」
「なるほど、十三歳にして石頭」
「うるさい!」
テレーズは部屋のソファに座らされた。血に染まった額を濡れた布で拭われた。レオンの長い指が、テレーズの傷口に薬を塗る。
「あなた、怪我の応急処置ができたのね?」
「僕を役立たずの坊ちゃんのようにいうな。剣術の時間に教わるんだ」
母親の強い希望で、勉学と剣術に
だから、優しいマルグリットは、レオンが配慮が必要なエリザベートを変に傷つけないために「会わせないでね」といったのだろうか。テレーズはそうやって心を納得させていた。
包帯がきつく締められた。
「次は膝だ」とレオンがテレーズの裳裾をめくった。陶器のようなテレーズの白い足が少年の目の前にむき出しになる。その途端、少年は顔を茹でた蛸のように真っ赤にして背けた。
「……すまない。膝の応急処置はできない」
「……?」
テレーズは首を傾げ、自分で膝の血をぬぐい、薬を受け取って自ら膝に塗ったあと、包帯を巻いた。裳裾を下げるまで、レオンはずっと顔を背けたままだった。
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