九月二十七日

「どうぞ。こちらです」

 小柄な執事が目の前のごうしやな大扉を指し示した。先代なのか当代なのかは分からないが、ここまで装飾を施してしまうと逆に趣味が悪い。扉の横に付いていた小姓がどうにかこうにか開けたのを見計らい、俺は執事に会釈をして大広間に足を踏み入れた。


 昨日大公からの言伝を受け取った時は少し驚いた。で、「明日正午に謁見するように」という内容を知り更に驚いた。

「代理」決闘士と呼ばれはするが、それは名ばかりの側面が強く、これまで雇い主との面会はおろか、素顔さえ知らぬまま「仕事」を終えることが多かった。まあ、あちらからすれば、かく決闘に勝ってくれさえすればいいわけで、こちらとしてもいちれんたくしようとなった雇い主のしけた面など、大して見る気にもならない。

 普通はそうだ。が、今回の雇い主は少々酔狂なようだ。      


 大広間には衛兵が俺を挟み込む様に向かい合わせで二列に並んでいた。こちらに目を向けることはないが、赤の他人に背中を預ける特有の居心地の悪さがある。

 威圧感を放つ列の先に、二人の人影が見えた。

 一人は豪華絢けんらんな椅子に腰掛けている。少年だ。年の頃十を若干過ぎた辺りだろうか。幼いたいをこれまたきらびやかな正装で飾り付けている。

 もう一人は椅子のすぐ脇に立っている。二〇半ばといった感じの女で、こちらも正装であろうドレスに身を包み、整った顔を真っ直ぐこちらに向けている。

 というか俺を見ている。冷徹な視線が左右対称のそうぼうから真っ直ぐに飛び出して、俺を捉えている。感情は読み取れそうにない。

 椅子に座った少年は俺の姿を認めると、横に立つ女に何かを呟いた。女は俺を見据えたまま、左手を軽く左右に振った。

 合図と同時に衛兵達が大広間から退出を始めた。規則正しい足音が背後へ流れていき、大扉の閉まる音が響いた。人払いだ。

 さてさて、と俺は内心で溜息を吐いた。ここまであからさまな人払いは中々お目にかかれない。要するに、ここで起こること話すこと一切の他言無用を意味している訳だが、こんな回りくどい真似をしなくても、金を積むなり脅すなりすれば俺達は喜んで口を閉ざす。やはり貴族の考えることは分からん。

「もう少しこちらに寄れ」

 少年が口を開いた。言われるがままに俺は二三歩前に出る。

 近くで見ると、少年は横の女に負けず劣らずの美丈夫であることが分かった。こんな見てくれは、流れの吟遊詩人どもの歌の中にしかないと思っていたが、中々どうして、かのランスロットに迫る美貌だ。

「お前が大陸一の決闘士か」

 後に続く言葉はない。なるほど納得だ、なのか、大したことないな拍子抜けだ、なのか。

 黙っているわけにもいかないので、俺は片膝をつき、お決まりの名乗りを上げた。

 俺が名乗り終えると、少年は背もたれに預けていた体を起こした。

「私は王国よりこのヴェルダンを預かりし大公、セルジュだ。そして」

 少年は顎で横の女を示した。

「これが摂政のベアトリスだ。私の母でもある」

 話に聞いていた通りだ。先代の大公は昨年、遠征の内に病に倒れ、逝去した。その後を継いだのが年端もいかない一人息子で、正妻でもあったその実母が摂政として政を補佐している。

 補佐と言いつつも摂政が実権を握っており、幼い大公はお飾りになっている、という話も聞いたが、そういう訳ではなさそうだ。

 端々から見て取れる尊大な態度は、俺が過去に何度も目の当たりにしてきた貴族階級のそれだった。少なくとも同年代の農家や商家の子息に見られる幼さはちりほどもない。帝王学の賜物と言ったところか。

 それとも、ただの虚勢なのか。

「突然の召喚に、よく応えてくれた」

 よく言うよ、と小さくぼやく。断ったところで、大公の威信に掛けて、縛り上げてでも謁見させられていただろう。

「お前を召喚したのには訳があってな。是非聞いておきたいことがあるのだ」

「何でしょうか」

 大公セルジュは軽く笑った。

「そう急くな、まずは話しておきたいこともある。それに」

 大公は顔を動かさず、目線だけを俺に移した。

「代理決闘士、というモノに会ってみたかった、というのもある」

 どうせ後者が本音だ。まあ分からなくもない。貴族、特に最上位である大公の家に生まれた者からすれば、身分制度そのものから外れた存在である俺達代理決闘士を、直接眺められる数少ない機会だろう。

 悪意はないはずだ。見世物小屋に憎悪をたぎらせる者がいないのと同じだ。純粋な好奇心や興味が視線の中に見え隠れしている。

 それにしたって肝が太い。眼前の決闘士が己の命運を握っているというのに、それを見世物扱いするというのは。俺は腹立たしいと言うより、少し感心してしまう。

「兎に角、お前には此度の裁判に至るまでの経緯を説明しよう」


 ことの発端は半年ほど前の先代大公クロードの病死だった。突然死と言えば言い過ぎになるが、流行病というわけでもなく、発症から僅か数週間でせいきよした。

 貴族の死とは、常にそれ以上の意味を持つ。要するに継承問題である。特に今回は、大公位の継承と言うこともあり、その行く末が注目されていた。

 大きな懸念点として多くの貴族達が抱いていたのは、継承権第一位である故大公クロードの一人息子であるセルジュの年齢だった。よわい十一の男子がヴェルダンの舵取りをしていくことへの反発が起きることは必至かと思われていた。

 しかし、多くの不穏な予想を裏切り、平穏なまま大公位はセルジュへと継承された。これについては俺も良く分かっていない。実母であるベアトリスが摂政として息子を支えている、という点が認められた可能性もあるが、肉親や親戚が後見人となるのは別に珍しい話ではない。そもそも大した後ろ盾のないベアトリスに、後見人としての価値がどれほどあるのかはなはだ疑問だ。

 兎にも角にも、穏便に新大公がその座に落ち着いたかと思われた数ヶ月後、唐突に問題が持ち上がった。

 煙の出所は、先代大公の実弟であるロレーヌ辺境伯アルドリアンだった。ロレーヌ辺境伯は、新大公の若年による大公位の不適格、それに伴う継承位の繰り上げを主張し、王国に対して決闘裁判の開廷を要求し、受理された。

 恐らく多くの者が、何故今なのか、と思ったことだろう。横槍を入れる時間なぞいくらでもあった。何か考えがあってあえて時期をずらしたのか、はたまたぐずぐずしている内に時が過ぎてしまっただけなのか。

 くして、くすぶっていた火種は火を吹き始め、決闘裁判が執り行われることになった、という訳だ。


「ここまでに何か質問はあるか。遠慮なく申せ」

「では、一つお伺いしても宜しいでしょうか」

「なんだ」

「何故私にこの裁判の経緯をお教えになったのですか」

 幼い大公はこの時初めて年相応の素振りを見せた。目を丸くして小首をかしげる。

「何故も何も、お前は私の正式な代理としてこの決闘裁判に参加するのだろう。つまりお前は私の分身だ。私が経緯を知っているのならば、お前もそれを知るべきであるし、同時にお前には知る権利がある。それが道理というものだ」

 なるほど、筋は通っている。恐ろしく独りがりではあるが。少なくとも、教えてくれと言った覚えはない。

「だからな、お前には私の胸の内も明かそうと思っているのだ」

 大公は椅子に深く腰掛け、溜息を吐いた。

「私はこの決闘裁判に反対なのだ」

 女摂政が不本意を表明するように目を閉じる。

 正直驚いた。そもそも世界に冠するフランク王国の大公が、一介の代理決闘士に面会するだけでも異例だ。その上国王お墨付きの決闘裁判に堂々と異議を唱えるとは、いささか酔狂が過ぎる。

「先程お前に話したのは、あくまで私と叔父上の関係の一部分でしかない。父上がまだ存命であった頃、叔父上は私をとても可愛がってくれていたのだ。叔父上は大変武芸に優れていてな、私が居城に遊びに行けば必ず稽古を手伝ってくれたものだった。叔父上はとても強かったが、それを上回るほど優しかった。私にとっての真の武人とは叔父上だったのだ」

 俺は大公を真っ直ぐに見つめた。年若いとび色の目は懐かしさに浸って少年特有の優しい輝きを放っていた。

「私の初めての鹿狩りを見守ってくださったのも叔父上だ。私にとって叔父上はもう一人の父上だった。だが、父上が亡くなられた数ヶ月後、突然叔父上はこのヴェルダンの領有権と大公位の継承を主張なさったのだ」

 少年の口調から苦しさが徐々ににじみ出す。小さな頭は俯きながら言葉を繋げる。

「訳が分からなかった。父上の死後も私を励まそうと、何度もこの館まで会いに来てくださっていたのに、何の前触れもなく要求を伝える使者を寄越したのだ。当然私も承諾出来ないという旨の書簡を送ったが何の反応もなく、遂に叔父上は国王に権利令状を請求なさった。国王は週をまたがない内に請求を受理し、間もなく決闘裁判の開廷が決定した」

 少年は小さな口を真一文字に結んだ。


 なるほどね、と俺は心の中で呟いた。大体読めた。

 叔父上もといロレーヌ辺境伯は端から大公位と領地をさんだつするつもりだったのだろう。辺境伯の企ては実兄である前大公が病に倒れたことを聞きつけたところから像を結び始めていたのだ。

 そして、前大公が病没したところから辺境伯は企てを実行に移し出す。位を継いだまだ幼い大公に擦り寄り、補佐役と称しながら大公の権威を欲しいままにしようとした。そんなところだろう。

 しかし、気になる部分がいくつかある。

 一つはロレーヌ辺境伯が態度を急に硬化させ、決闘裁判に踏み切ったことだ。恐らくこの女摂政に腹の内を読まれ、懐柔する算段が上手く運ばず、強硬手段に打って出たのだろう。だが、それならば裁判などというまどろっこしいことをせずとも、裏から手を回し女摂政を追い出せば良いだけだ。曲がりなりにも辺境伯、難しい話ではないはずだ。

 もう一つは国王がこの裁判の実施をあっさりと許可していることだ。通例国王は決闘裁判の開廷にいい顔をしない。けいけん帝ルートヴィヒは一応決闘裁判を認可しているものの、国王の意向が反映されない決闘裁判はそもそも王国の統率に不向きで、諸侯が勝手に争い出す原因にもなる。にも拘わらず国王は快諾した。

 おかしい。怪しい。きな臭い。この一件は国王あたりが一枚噛んでいる。そんな気がする。

 が、どうでもいいとも感じていた。舞台裏で誰が暗躍していようと、俺はしがない三文役者に過ぎない。座長の指示通りに、客が喜ぶように、俺は剣を振るい、相手を殺せば良いだけだ。

 そう、それだけだ。


 少年は顔を上げた。

「そもそも私は決闘裁判自体の意義が理解出来ない。我々は獣ではないのだ。意見の相違があるのならば、神より賜りし理性でもって話し合えば良いではないか」

「お言葉ですが」

 女摂政が口を挟んだ。

「言葉だけでは解決出来ない事柄もこの世には存在します。此度の領土継承問題もその一つです。様々なしがらみにより事態が思わぬ方向に転がってしまう、そんな時だからこそ私たちは主たる神にすがるのです。正しき者に神は勝利を賜るはず、恐れることはないのです」

「恐れているわけではない。私が納得しがたいと言っているのは、双方直接意見を交わし合うことなく、白黒付けようとするこのやり方についてだ」

「ですから、決闘裁判に寄ればその必要すらなくなるのです。辺境伯はこのヴェルダンの継承権を主張しており、我々はそれに異を唱えている。そうですね?」

「そうだ」

「であれば、そのどちらが正当な主張をしているのか、裁判によって明確に示されれば良いわけです。辺境伯の思惑がどうであれ、そこに大した意味はないのです」

「ならば!」

 少年は声を荒らげる。

「何故、決闘裁判が正しいと言い切れるのだ。神が勝者を選定しているとどうして言える?」

 摂政の鉄仮面が初めて崩れた。整った眉が僅かに動く。

「神が正しき方へ勝利をもたらすのであれば、何故代理人を立てる必要がある? 私が如何にか弱く、幼いとしても、正しいのであれば、私は決闘に勝利出来るはずだろう!」

 さとい。この歳にして、ここまで物事の本質を突ける者はそういないはずだ。神を盲信する並の貴族どもに比べれば、遥かに優秀な部類だと言える。

「もし真に神がいるのならば、誰が代理決闘士など雇うだろうか。皆、分かっているはずだ!」

 今日俺とわざわざ面会したのもそうだ。大公という肩書きにぐらをかかず、己の信念に従って俺に会い、ことの経緯を説明した。貴族の規範からは大きく外れているが、成長すれば良き領主となるだろう。

「私は叔父上の優しさを知っている。だからこそ、このやり方が間違っている気がしてならないのだ。やはり我々は、今一度、話し合うべきなのだ」

 が、それを上回るほど、幼い。少年は何も知らない。辺境伯の真意、母の思惑、王国の黒い影、そのどれか一つさえも気付いていないだろう。

 この少年の心にあるのは、かつての強くたくましい叔父だけだ。二度と見ることはないであろうその姿を、ただただ必死に追い求めている。

「私ならば、私ならばな、こんな茶番に頼らずとも解決出来るはずなのだ!」

「大公!」

 冷たい女摂政ではなく、母親が発した声が、少年の耳朶じだを打った。はっとした様に少年は体を震わせる。

「これ以上は、なりません」

「すまない」

 少年は小さな両手で顔を覆い、溜息を吐いた。

「すまない」

「大公、宜しいですか」

 母親は柔和な声色で諭す。

「寛容さとは光です。我々を繋ぎ、行く先を照らす、暖かな光です」

 少年が顔を上げた。

「しかし、それは人の目に余りにも眩しい。だから我々は時に目をつむる必要があるのです」

「それが、今か」

「そうです」

「そうか」

 小さく呟くと、顔を変えた。余りにも重すぎる荷物を背負い込み苦悩する少年の顔から、冷徹で完璧で優秀な大公の顔へと。

 大公は俺に向き直った。

「取り乱してしまい、すまなかった。内心呆れていただろう」

「いえ、滅相もございません」

「良いのだ。私は幼い。この広大なヴェルダンとそこに帰属する強大な権力を一手にするには、あらゆるものが足りていない。知識も、経験も、大公としての資質さえもだ」

 大公は俺ではない、何処かに眼差しを向けた。

「さて、覚えているか。お前を召喚した理由を」

 正直忘れていた。俺に、聞きたいことがある。大公は、初めそう言っていた。

「お前は、どう思う」

「何をでしょうか」

「私の考えは、やはり間違っているのだろうか」

 大公は俺を見ていない。俺は今になって分かった気がした。今日ここへ呼び出された理由とか、俺の目の前で大公という仮面をかなぐり捨てた理由とか、諸々を。

 この問いに答えるのは、俺じゃない。

 ここにいるはずなのは、俺じゃない。

「俺の様な下賤げせんの意見は、くだらないごととしてお聞きしていただきたいのですが」

「なんだ」

「俺は、大公様のお考えには、反対です」

 予想に反して、大公は表情を変えなかった。俺を見つめ続け、一言発した。

「何故だ」

「知るべきではないことが、この世にはあると考えております。特に大公様ともなれば、多くの責任が伴うことかと存じます。知ってしまえば、行動に移してしまいたくなるのは人の性です。それが責任に縛られ、出来ないのであれば、端から知らないでおくのがより良いかと」

「……」

「分かったような口を利きましたが、元より俺は決闘裁判に賛成なのです」

「ほう」

「何より、俺の生業がなくなってしまいますので」

 大公は口の端を持ち上げて笑った。

「そうであったな。お前は、決闘士だった」

 大公はやっと俺を見た。家畜をあやすような微笑をそのままに口を開く。

「此度はご苦労だった。中々に楽しかったぞ」

「ありがとうございます」

 大公は俺を見据えた。一蓮托生いちれんたくしようとなった、遙か下位身分の俺を見た。

 俺も大公を見た。己の夢と理想を捨てきれない、中途半端なその姿は、家畜小屋でくすぶっていたかつての俺にそっくりだった。

「明日後の決闘、良い結果を期待しているぞ。大陸一の決闘士、オルレアンのダミアンよ」

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