Vallankumous1905 <革命>

林マサキ

第1話 同盟

 1904(明治37)年2月8日。日露戦争勃発。

 それより先、2月6日。外務大臣の小村寿太郎は外務省にロシア帝国公使のローゼンを呼び出して国交断絶を通告。

 同日、モスクワでは駐露公使の栗野慎一郎が、ラムスドルフ外相に国交断絶を伝えた。

 2月8日、旅順港の東にある円島付近に進出していた日本連合艦隊は、旅順港、大連湾へ進撃。

 22 時 30 分頃、10隻の駆逐艦からなる駆逐艦隊は旅順攻撃を開始。

 港を守るロシア旅順艦隊に奇襲攻撃を開始する。

 駆逐艦隊と遭遇した哨戒中のロシア駆逐艦は、日本艦隊を攻撃しないよう命令を受けていたので、駆逐艦隊は先に魚雷攻撃を仕掛けることができた。

 この攻撃で2隻のロシア軍艦を戦闘不能にした。

 が、奇襲攻撃には成功したものの、駆逐艦隊が発射した魚雷16 本のうち、当たったのは3本だけ。

 その後は、ロシア旅順艦隊が港の外に出るのを阻むため、港の閉塞作戦を行った。

 商船21隻を港に沈める閉塞作戦。

 三度にわたって行われた閉塞作戦はことごとく失敗。

 にも関わらず、連合艦隊司令長官の東郷平八郎は、

「第三次閉塞作戦ハ概ネ成功セリ」と大本営に打電する始末。

 さらに悪いことに、機雷に当たって「初瀬」、「八島」を失う。

 2隻の軍艦を失って、暗い面持ちの連合艦隊司令部の幹部たち。

「陸海軍の戦闘のみでロシアに勝てるのであろうか……」

 日本は、なぜ北の大国と言われるロシアと戦争をすることになったのか。

 日本は満州の権益をめぐってロシアとの対立を深めて、国内では二つの主張がぶつかった。

 ロシアとの戦争は避けらない。なれば、戦争に備えるべきであるという主張。

 ロシアとの戦争を避けるためにあらゆる努力をすべきであるという主張。

 4度首相を務めた伊藤博文はロシアとの戦争回避の主張を良とした。

 ロシアに朝鮮半島における日本の権益を認めさせ、日本は満州におけるロシアの権益を認める「日露協定」の締結を模索した。

 しかし、「日露協定」締結案に、

「ロシアと妥協するなどありえない!」

 と強硬派は猛反対。あえなくボツになった。

 代わりに検討されたのが、ロシアに対抗するためイギリスと軍事同盟を締結するこ

とであった。

 イギリスとの同盟は、1895(明治28)年から計画されていたが、1901(明治34)年7月、駐英日本公使の林董と外務大臣のヘンリー・ペティ・フィッツモーリスの間で具体的な交渉が開始。

 途中、ロシアとの融和を図る伊藤博文が、

「ロシアを刺激する」

 と交渉中断を求めたが、1902(明治35) 年 1 月 30 日にロンドンで日英同盟締結と相成った。

 イギリスがヨーロッパ以外の国家と軍事同盟を結んだことは、これまでの孤立政策を転換するものであった。

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