第57話 翠星の歌

 

 ずっと違和感があった。けど、その違和感が何を意味しているのかわからなかった。きっと何かを伝えようとしている、ううん、何かを望んでいるんだ。

 直観的だけど、なんとなく何かを願われている気がした。それはとても大切なもの。眼を逸らしてはいけないもの。きっと私じゃないといけないこと。

 だから、彼が私を助けてくれた時に、ようやく私に何を求められているのかわかった。

 私がすべきこと。私にしかできないこと。

 それは誰かにとっては理解不能なことで、誰かにとっては偽善で、誰かにとっては忌避する行いで、けれど彼らにとってはきっと救いになる。

 私は思う。

 —―誰も死んでほしくない。

 けれど、それが夢物語なことくらいわかっていた。それでもやっぱり思ってしまうから、私は私に誓いを立てる。

 その誓いに従って、私の胸は馳せた。あなたちに温かさを覚えた。

 だから——私は決意した。



「アディルさん! 私をクルールさんの近くまで運んでください!」

「は?」


 ルナの唐突なお願いにアディルは唖然と口を開く。「は?」に続く言葉がすっぽり抜けたみたいに。背中に突き刺さる様々な感情はどれも賛同できないと言っていた。冷静な頭が確かにと苦笑してしまう。

 それでもルナは言葉をつぐまず真摯な声音ではっきりと告げた。


「私ならクルールさんを救えます!」

「っ…………」


 その背は語っている。大丈夫と。

 その力は光っている。救ってみせると。

 まるで別人のように、ルナの背中は頼もしく見えた。

 だから、一蹴しようとした言葉を呑み込んだ。不覚にも、いや嬉しくも頼もしく思えたからだ。

 絶望的な死地から何度も抗って突破してきた。ギルタブリルとの戦いも、冒険を決意した時も、ならず者たちに襲われそうになった時も。仲間の助けがあったとは言え、ルナは一人で立ち上がり記憶がないなりに今を懸命に生きていた。

 その輝きをアディルはずっと近くで見て来た。だからこそ、アディルはルナを信じることができた。


「どこまで近づけばいい?」

「できる限り近くまで」

「クソが。やるからには、俺を助けた意味を無駄にしやがんなよ」

「はい! 絶対に救ってみせるから!」


 揺るぎない決意にアディルも覚悟を決める。


 現状、クルールの水砲撃はリヴの遊撃ゆうげきによって力が弱まっている。ルナの樹根だけでは食い止めるので精一杯だが、アディルの雷力を使えば離脱は可能だろう。だが、アディルは瀕死の状態だ。ルナの不思議な力で強化された治癒魔術でアディルの一命を取り留めることには成功したが、身体はまったく万全ではない。それを二人とも理解した上で、ルナはアディルに頼み、アディルはルナの頼みを承諾した。

 決死行、まさに最後の一撃を放ちにいく。


 振り返ったルナと視線を合わせてアディルが動き出した。前方へ伸ばするルナの腕を掴み、瞬間、アディルの迅雷で押し寄せる水砲撃をギリギリにその場を離脱した。大きく跳躍し大気を駆ける。リヴが引き付けてくれたお陰で半減した水砲を相手に回避しながらクルールへと距離を詰める。


 その最中、ルナの瞳はとある人物を交差し、こくりと頷いた。

 すると、彼はほんの少し笑みを零し、その足で彼女の下へと歩いていった。






 音が聴こえる。激しい衝撃音だ。誰かと誰かが戦っている音。

 そんな爆音の中に、ああ、やっぱり聴こえる。何度でも何度でも。


 あの日、人間たちに追い詰められた君の泣き声が。

 あの日、君が僕に望んだ笑い声が。

 あの日、消えていく君を見て何度も悔やみ罪にさいまれた僕の後悔と怒りの嗚咽が。

 その日々は三百年経った今でもせることはなく鮮明に思い出せてしまう。

 僕がこの世界に落ちて、声だけの君と出逢った日から。

 僕の幸せを願って死ぬ運命に従った君の、そんな君の願いを叶えるなどという偽善で君を殺した、罪人となった日まで。

 そして――


「僕はっ……君を、助けるんだ……」


 今日この日まで。すべてを終わらせるその時まで。


 僕は歩いた。僕は向かった。君の隣へ。君の横へ。君の傍へ。

 伝えられていない言葉がたくさんあって。

 一緒にやりたかったことがあって。

 君にしてあげたかったことがあって。

 君に謝りたいことがあった。

 僕は間違えたから、それを正さないといけない。それがまた罪だとしても、僕の世界は君でできているから。僕の生きる意味も人生も在り方も死ぬ意味もすべては君だ。

 そう、だからこれは負債を片付けるだけだ。

 そして、正しい未来をやり直すだけだ。


 僕は歩いた。戦場の中、被弾が僕をよろめかせる。

 僕は歩いた。幾度の衝撃が僕の道を阻む。

 僕は歩いた。こちらを見た彼女にすべてを任せて。

 だから僕は――



「好きだった。ただそれだけだった」



 クルールの動きが止まった。否、止められた。その身体を無数に貫かれた少年によって抱き留められた。まるで一人の少女を抱きしめるように。


『ぅぅっ……』


「だから、君の願いを叶えてあげたかった」


 その悔恨にクルールが顔を歪める。拒絶するように細い腕がアイレの血だらけの背中を叩く。たとえ見た目が少女であれ、獣の力は容易くアイレの命を折る。

 激痛を感じながらもその顔はどこまでも穏やかな寂しさを宿して。


「でも、それが君を苦しめていた。僕の間違いが君に地獄を味合わせていた。それを知った時、ほんとうに僕は僕を呪ったよ」


『…………』


「僕はねクゥー。やっぱり一緒に生きてきたかったよ。どんな苦難が待ち受けていてもさ。……あの時、君を殺さなければよかったって、何度も思ったよ」


『…………』


「だからね、クゥー。これは僕の願いなんだ。願いで罪滅ぼしで告白なんだ」


『…………っ』


「僕はね。やっぱりクゥーが好きだよ……」


『――――』


「一人の女の子として大好きだっ」


『っ……ァ…………っぃ』


「ずっと夢を見てるんだ。君とあの場所で過ごしたささやかな幸せな夢を」


『ぃっ……あ、ぃ……ぇ』


「僕は思うんだ。きっとね、この次の人生でも僕は君に出逢えるって。今度こそクゥーを離さないから。君がどんな女の子でも、僕は好きになってみせるよ」


『あっいれぇ! あぁっい、れェ!』


「うん、僕はアイレだ。そして君はクゥーだ。だからね」


 だからね……そう、少年は言った。


「君を助けさせてくれないか」


 それがどんな意味だろうと、どういった結末をもたらそうと。そこには確かな愛があった。誰にも否定させない恋があった。嘘じゃない大好きがあった。

 だから思ったのだ。その愛と寂しげな顔と後悔に押しつぶされた痛みと。

 あなたがたまらなく愛おしいと。

 それでいいよ、とクルールは殴り続けていた腕を降ろした。そして、アイレの抱擁ほうように甘えるように『きゅぅぅ』と鳴いたのだ。

 三百年越しの再開に二人はようやく愛を確かめあった。もう、離さないと。

 そして、アイレはクゥーのために最後の罪を犯す。


「だからさ。……お願いしてもいいかな」


 それが誰に向けたものか、ただ一人だけは「わかってるよ」と歌が紡ぎ始めた。

 まるで彼と少女の旅路を歌う風の歌を。


「おい、ルナ」


 背後から呼び止められ、振り返ったルナは言霊を奏でながらコクリと頷き、そっとクルールに近づく。


「ルナ……?」


 遠くリヴは、アイレとクルールの下へと歩いていくルナを訝しみながら嫌な予感を覚えた。しかし、静謐な空気が部外者を阻み、尻ごんでしまい、ルナを引き留める瞬間を逃してしまった。

 ルナはアイレたちを見上げるように丘の手前で立ち止まる。

 クルールを背に振り返るアイレは微笑んだ。


「その様子じゃ気づいてたのかな?」


 瞬間、そこは夢境だった。ルナとアイレとクルールだけの三人の意識が辿り着いた夢境。彼と少女にとっては懐かしい翠星の秘境。

 自分の歌が響く世界で、自由なルナは小さく頷いた。


「……そんな気がしてました。ううん、ずっと何かを訴えてるような気がしていて」


 そう、ルナにはずっと違和感があったのだ。

 死んだ人を蘇らせる。最初のアイレの目的は大切な人を助けにいくためとはっきり言っていた。その後、ネルファを誘導してその身体を依り代に死者を蘇らせた。それ自体を本当の目的だったと彼は言ったが……


「アイレさんはいつも、生き返らせるより前に解放すると言ってました」

「…………」

「他にも最初の攻撃の時、わざと当たらないようにしてたんだと思います。死にかけた一撃も、ぜんぶ直撃はしてませんでした」


 逃げるしかできなかった初戦。ルナは呆気なくクルールの実力に死にひんした。けれどそれは複数回の攻防を得てだ。

 水鏡がその時の映像を映し出す。クルールが放った六つの砲撃は、見事にルナを囲い込むように、直撃しないように避けて着弾していた。


「私はまだ弱くて……その気になればきっとすぐに殺されてたと思う。あの時は奇跡だって思ったけど、やっぱり違和感があって」


 あのアディルを死の間際まで追い込んだ敵だ。覚醒していなかったとは言え、リヴより弱いルナなど一瞬で殺せるだろう。それこそならず者を瞬殺したように。

 緑の苔がとある記憶を思い出す——クゥーがクゥーじゃなくなっちゃったら、アイレがクゥーを殺してね。

 きっと、一度は拒絶したその約束が今も続いていたのだ。

 ルナを顔を俯かせない、目を逸らさないと両の足で踏ん張って向き合う。


「それにアイレさんが教えてくれました」

「…………」


 ネルファがクルールへと蘇生の材料にされ怪物が誕生した。裏切り者のアイレがルナを瀕死に追い込み、これで終わりだと死を宣告したその言葉――


『もう終わりにしよう。君の歌は危険だからね。し、一思いにやってあげる』


 心歌術エルリートはパンテオンの肉体と魂を解離する現象だ。『十一の獣』の一体であるクルールも例外ではない。

 ルナは敢えて言葉にはしなかった。きっとアイレを配慮して噤んだのだ。全部、今から行動の意味もすべて自分だけの胸の中にしまうために。


「君は本当に優しいね」


 本当にルナは優しい。自分たちを死に追い詰めた裏切り者の恋心をこの場でさえ尊重しようとするのだから。

 その優しさに漬け込み罪を犯させようとしているというのに。

 彼女はアイレが自分に何をさせたいのいのかわかってるはずなのに。

 ルナは一度息を吐いて。


「二人は最後まで私たちを殺す気なんてなかったんだよね」


 クルールがアイレの胸からそっと顔を上げてアイレを覗き込み。そんな彼女に柔和な笑みを浮かべたアイレは「どうしてそう思うんだい?」と。


「だって、私を助けてくれたから」


 ならず者たちに襲われそうになった時、アイレは身を呈して守ってくれた。

 落ちる水滴に彼の言葉が映る。


 —―彼女には生きて成し遂げてほしいことがある。


「それはこのためで、君だけだよ」

「ううん。きっとアイレさんは二人を殺す気もなかったんじゃないかな」


 だって――その力で彼を助けてあげな。


 そう、言ってくれたから。

 クルールがアイレの弱弱しい心拍に額を当てて。


『クゥーね、がんばったよ』


 ――ずっとクルールが暴れないように抑えていてくれたから。


 水滴がぽつんと落ちて反響した。苔に宿った記憶が蘇り、彼は泣きそうに。


「…………だったらいいね」……と。


 アイレはどこかスッキリとした表情で空を仰いだ。翠星の眩さが目に沁みて心を潤しいつかの日の愛を紡ぐ。


「君の言う通り。僕の望みはクゥーの解放なんだ」


 アイレは足下を刺す。水たまりが複数ある地面にぼろぼろの緑の細根が地面を覆い尽くし、それらは彼の足元へと繋がっていた。細根の先で咲き誇る七色の花はこの翠星で産まれた花のように馴染んでいた。

 アイレは忌々しさと、だけど少しの感謝を込めて。


夢想花レヴァリアはね、魂を封じ込める花なんだよ」

「魂を封じ込める?」

「そう、三百年前。クゥーの魂は不運にも夢想花レヴァリアに捕縛されてしまった。夢想花レヴァリアは大地にある大量の死骸から微かな生命力を吸い取り数百、あるいは数千年かけて新種のパンテオンに進化するそういうパンテオンなんだ」


 そのお陰でクゥーと再開できたんだけどね、と苦笑する。


 アイレはぎゅっとクルールを抱き寄せ翠星に焦がれる白い空を見つめる。この遠く一瞬だった三百年を思い返しながら、今腕の中にいる大切な温もりを感じながら。

 それでもやっぱり憎ましい。夢想花レヴァリアも自分自身も、と。


「……数千年だよ。輪廻にも帰れず新しい人生も歩めない。ずっと蕾の中に閉じ込められる。それはきっと死ぬよりも辛い地獄だ」

「…………」

「だから僕は決めたんだ。クゥーを解放して一緒に死ぬって」


 それがアイレの動機だった。もう一度一緒に生きるわけではなく、クルールの魂を夢牢獄から開放するため。そのために三百年かけて密に事を進めやり遂げたのだ。これを純愛と言わずしてなんというか。偏愛などとはもう呼べない。


「後はどうやって死ぬかだった。けど、この時代には歌姫うたひめ……特殊な君たちがいたから死ぬ方法はすぐに決まったよ」


 歌姫ディーヴァによる心歌術エルリート、それは魂と肉体を解離する。

 そこでふと疑問に思ってルナは訊ねた。


「どうして私だったの?」

「簡単だよ。クゥーに挑む覚悟。戦える人間じゃないとただの蹂躙で終わってしまう。それに、ルナさんは少し特別みたいだからね」

「特別? 私が、ですか?」


 特別からまず浮かぶのはアディルやセルリアであり、ルナを表すのは特殊が正しい。記憶喪失を差した言葉とは思えないが、とにかく。


「げほげほ……あはは。僕には、もう時間がないんだ。君には悪いけど、どうか僕らの最後の願いを叶えてほしい」


「――――」


 すべては現実へと戻る。ルナは歌を歌うのを止めた。そして改めてアイレとクルールの瞳と混じり合わせる。


 それは残酷な願いだった。ルナの歌はパンテオンの精神を肉体から解離させること。完全に解離すれば魂が宿る器を失い輪廻へと還ることになる。それ即ち死だ。

 彼は言うのだ。僕らを殺してくれと。誰も死んでほしくないと願った少女にそれを託すのだ。あまりにも酷く理不尽なことか。


「ルナっダメ! 絶対にダメだから! あたしが代わりに」


 リヴが縋るようにお願いだからと子どものように声を荒げた。一瞬だけ、戸惑いが生じたルナに変わって。


「悪いけど、歌じゃないとクゥーが死ねない。クゥーが救われないんだ。僕だけが死んだって意味がないよ」

「そ、それは……」


 言い返せない。『十一の獣』の一体をみすみす見逃すなど言語道断。それでも純粋無垢なルナに人殺しをさせることは間違いだと思った。

 多くの引き留める声が背中を引っ張る。それはルナを強く迷わせた。


 誰も死んでほしくなかった。敵であっても、殺そうとする人たちでも死んでほしくない、ただそれだけだった。けれど、二人は救いを求めている。ネルファが今も囚われている。みんなを解放するには、殺さないといけない。

 その二律反意が強く強くルナを圧迫し苦悩させ葛藤させた。

 どうすることが正しいか。

 どうすることがいいことか。

 私はどうしてあげたいか。


「…………」


 たくさんの出来事を経った十数日で体験してきた。知らない世界に右往左往しては冒険に挑み、ギルタブリルとの死闘で死にかけた。【エリア】の残酷を目にして人の死を始めてみた。都市アカリブで少しだけどアディルとリヴとは違う人たちと交流して、ルナと変わらないような平和主義者もいた。みんなで食べた夜ご飯がおいしくて、それから軍を脱走した。セルリア、ノアル、ヘリオ、マリネットに手伝ってもらって脱出。そして、ネルファを貶めカインを間接的に殺した人と対峙して倒した。無法都市では人の恐ろしさを知り、一人の少女を愛し続け、好きな人のために罪を犯し悪になろうとする彼を見た。


 多くを学び、多くを見て、多くを経験した。

 それ一つ一つがルナを形成していき、そうして今ここに立っている。

 ルナは思うのだ。そうやってできあがった自分に、それでも最初から変わらず持っているものは何かと。

 それはなんだったか考えてすぐに答えは見つけた。

 それが自分の芯なんだと知る。

 芯を知るともう心は揺らがなかった。

 本当の理由を二人に聞かせなかった理由がわかった。

 いつの間にか閉じてた目を開ける。待ち続ける彼と彼女に手を差し伸ばす。


「私は大切だと思った人を救いたい」


 だから、アディルに人殺しになってほしくない。

 だから、リヴにこれ以上、罪を背負ってほしくない。

 だから――


「あなたたちのことも救いたい」


「――――」


 それがルナとしての答えだった。この世界で生きていく『ルナ』としての在りたい在り方だった。

 迷いわない。間違いだとしても、罪だと断罪されても、きっと後悔はしない。

 だってこれは、ルナが救いたいから救うのだ。二人の願いを叶えるわけじゃない、すべてはルナの意志だ。


 だから、記憶喪失の少女は確かな意志を灯して歌を歌い始めた。



「――――――――――っ!」



「ルナァァ――――」


 ルナは心を鎮め意志を強く灯し願いを込めて歌を紡ぐ。

 綺麗で切ない歌声が響き渡り、二人の身体から力が抜けていく。

 肉体に定着した魂を引き離す歌は、残酷なことをしているはずなのにどこまでも人の肌に寄り添うような優しさがあった。寂しさもあった。切なくなって少し涙を滲ませる。


「……僕らのことまで大切だと思ってくれるなんて……ほんとうにうれしいばかりだ」


 そう、アイレはありがとうと届ける。


『――――』


 クルールはんのすこし少女のような淡いを笑みを浮かべたように感じた。

 夢想花レヴァリアから決して解放されないクルールの魂を解放する、これは鎮魂歌だ。

 少女を夢の楔から解き放つ、彼を過去の楔から解き放つ、そんな鎮魂歌だ。

 粒子となって淡く散っていくアイレが涙を流したのがわかった。

 彼は告げた。


「君が歌姫でよかったよ」


 嗚呼そうだ。歌おう。あなたたちが未練なくこの世界から去れるように。

 歌姫は今一度心を込めて歌を歌うのだ。


 精霊が魂の安らぎを祈り、七岐の竜が天へ咆哮する。獅子がその身体を起こし洞窟から出て空を見上げ、吹雪の化身は白い息を零した。欲深くも無欲な者はどうしてか身体を縮こまらせ、変わり果てた大蛇はそれでも天に祈りを捧げた。

 小人が踊り、妖精が慈しみ、花々が風に揺れ、猛る熱を必死に抱きしめ、凍える心に想いを馳せ、狼の遠吠えを耳にした旅人たちは唐突に輝きだす星空を見上げる。淡い朝の空に瞬いた星々が涙のように降り注ぐ。

 一つの旋律に、ただ少女の歌に、世界が嗚咽をもらす。

 怪物である少女が静かに目を閉じ、アイレもまた目を閉じた。

 そうして、静謐な戦地に願いの歌が響き渡り、


 ――〇〇、ありがとう。


 ……え?


 少女の囁く声が溶けていく。

 クルールとアイレが世界の光と交わっていく。

 ルナの歌に導かれるように天へ昇っていく。

 彼等は手を繋いで見上げていた。

 星の降る白く輝く魂の逝くつくその場所へ。


 そうして、二人の魂は楔から解き放たれ輪廻へと還って逝った。


 歌い終わったルナは一粒の涙を頬に伝わし。


「どうか、次の人生で二人がずっと一緒に幸せでいられますように」


 そっと、幸せを願うのだった。

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