第42話 水面に映る道化
『竜』という種族について語ろう。
『竜』とは古代より君臨している食物連鎖の頂点。他の生物を『獣』や『動物』、『パンテオン』と括るが『竜』はそのどのカテゴリーにも属さない。
『竜』とはそれだけで成り立つ最も『神』と『人』に近しい生命体だ。
『人』は『神』が作った模造品と文献に記載されているが、その実、『神』の性質を持てど『神』に近しくはない。『神』が与えた権能は『知性』『感性』『理性』の三つであり、『人』はその範囲外を出ることはできないのだ。つまる所、『人』は『パンテオン』のようになれないということだ。
しかし、『竜』は違う。『竜』は独自の進化を遂げ『知性』『感性』『理性』を手に入れた『新生の獣』だ。『獣』という分類でありながら『人』の世に近づき今なお進化を続ける。『人』以上に進化のできない『人』と違い、進化し続ける『竜』は最も『神』に近しいと言えるだろう。
『人間』という種族が環境に応じて進化してきたように、『竜』もまた環境に応じて進化をした。個体差はあれ、『パンテオン』が現れる前の自然界で頂点を語られるのは間違いなく『竜種』である。
本来であれば、そして伝承によれば『人』と『竜』は手を取り合える関係性であった。しかし、『竜』の存在は『獣』の侵略と『パンテオン』の君臨によって捻じ曲げられた。『人』は『獣』に怯え『パンテオン』に恐れ、そして『竜』をそれらと同じ凶悪な生物とカテゴライズしたのだ。一方的な『人』からの拒絶は『竜』を激怒させ、繋いでいたその手は払われた。以降、『竜』は天場から姿を消し【エリア】に生息するようになり、今なお『人』を嫌い続けている。
己らを裏切った蛮族どもを憎み続けている。
故にその黄金の瞳はこの地に『人』の立ち入りを許さない。
『愚か者どもよ。今すぐにここを去れ。さもなくばワタシの
雲海が立ち込める霊峰。霧雲に覆われた足場は途切れ雲海に大地は満ち底は人の目では見通せない。塔のように立つ岩の尖塔のいくつかは頭上を覆う雲々を貫くものもある。足場、頭上ともに雲に覆われた霊峰、されどそれ以上の立ち入りは許さない存在がいた。
立ち阻むのは全長百メルは越えるであろう白き竜。竜はその吐息で霧を払いのける。蛇型の胴体は白金の珊瑚のような鱗で覆われ、四足の脚と白い髭が揺蕩い、全身に奔る蒼い雷が竜の巨大さと強大さを物語る。
順調に鉱石や薬草を採取しながら進んで来た矢先、アディルたちを待ち受けたのは正しく神の試練であった。
その竜の名を呟く。
「雷竜ドゥグローム」
『いかにも。ワタシの名はドゥグローム。さあ蛮族の子らよ。決めよ。立ち去るか焼かれるか。二つに一つだ』
有無は言わせてもらえぬ。その黄金の瞳に介入の余地がないのは見てわかる。ここ『
北東域の天候のすべてをドゥグロームが操っており、その怒りの雷一つで山が割れ森が焼き払われるほどだ。東部奥に位置する『瞋恚の炎獄』はかの竜と『十一の獣』の一匹、【炎軍の獣】ウガルルムが戦ったことによって生態系と環境を破壊し出来上がったと言われているほどだ。まず、間違いなくアディルたちに勝ち目はない。
常に軽口を叩くリヴですら下手なことを言わずに息を呑む。振り返るアディルに皆がこくりと頷き、アディルが一歩下がった。
『…………貴様らの知恵は回るようだな。命拾いしたと思え』
「ああ。悪かったな」
『二度と近づくでない。さらばだ』
そう言い残して雷竜ドゥグロームは天高く去って行った。
そうそう思わぬ出逢いに幸福ととらえるべきか、命拾いしたと安堵すべきか。ただ一つ、やはり『竜種』の中でも自我を確立している『
例えば、あの雷竜の
「…………」
「おい」
逸早く、もはやテンプレと言わんばかりにアディルがリヴの肩を掴む。
「どうしたのアディル。あ、いくらあたしが可愛いからって手を出すのはノーなんで。アディルのお嫁さんはあたしが厳しく検定して認めた人だけだから」
「黙れ恋愛脳。オマエの考えてることなんざわかってんだよ」
「なんのことかなー? 兄だからって
などと
「まさか、リヴ……素材がほしいなんて言わないよね?」
恐る恐ると言った風だが、既に十五日共に過ごしたルナでさえその考えに到る分、リヴの思考は読みやすい。ギクリと肩が上下したリヴに呆れたとアディルは溜め息を吐く。
「オマエの考えてることなんざわかりやすいんだよ。大抵、錬金術かクソ恋愛脳かバカなことだ。総じてめんたいこだ」
「あー! 盗った! あたしの名台詞盗った! 重罪なアディルの方がめんたいこだよ! ってあたしはめんたいこじゃないから! あとそんなことばっかりじゃないんだけど!」
「怒るポイントがどこなんだよ……はぁー。なら他に何を考えてやがる?」
「例えば献立とか、講義をサボる方法でしょ。値切り手段の模索とどうやったら胸が大きくなるのかとか、あとはあ……世界平和! ほら! 色々考えてる! あたしえらいし」
「しぼりカスがそれかよ。はあー…………」
それは何とも言えなくて、というかツッコムのもめんどくさく感じアディルは大きなため息を吐いて背を向け。ツッコミは入れているが。
「帰るぞ」
「無視⁉ あんたが聞いたのに無視! なんか反応してよ!」
それにすら無視するアディル。縋るようにルナを見つめ。
「あたし渾身の貧乳ギャグだよ! 笑ってよ! 身を痛めた意味ないじゃん! 笑ったら許さないけど」
「理不尽⁉ えっと、あの……」
眼を彷徨わせたルナは覚悟を決め、じっと見つめてくるリヴから視線を逸らして。
「アディルさん! 今日の夕ご飯はどうしますか?」
「あ、逃げた」
よほど血走ったリヴの眼が怖かったのだろう。貧乳と肯定した挙句のルナに逃げられる攻撃でリヴへのダメージは致命傷となる。血反吐する一歩手前であった。
さて、そんなリヴが最後に目を付けたのはのうのうとリヴの隣で立ち尽くすアイレ。
彼は笑って言ったのだ。
「僕好きな人いるから」
「惚気られた!」
ぐはっと血を吐いて倒れるリヴだった。
と、言う茶番は置いておいて、リヴは改めて告げる。
「雷竜ドゥグロームの鱗が欲しい」
先と打って変わって真剣な声音にアディルが耳を傾ける。妹ではなく錬金術師の顔でそう告げたのだ。そこには錬金術師としての理由があるに違いない。そして、アディルは己の力を過信するほど傲慢ではなく、リヴの錬金術が命を守ってくれていることを理解している。故に耳を傾けない理由はない。
「『クルル海湖』の依頼だけど、あたしは相当危険と見てるわけ。恐らく対水属性装備で立ち向かわないと勝ち目はないと思ってる」
「その心は?」
一度言葉を区切り思考を走らせ内容をまとめる。五秒ほどの時間、訪れた静寂がやけに緊張感があったのは気がしたではなく、リヴの立ち姿が緊張感を与えているのだ。それは一種の場の支配。錬金術師として戦場予測をして、どんな場合状況でも対応できる柔和で緻密な戦略頭脳。その戦場の監督が放った責任の在り方だった。アイレの頬がピクリと引き
「『クルル海湖』は水辺だから水属性のパンテオンが多いでしょ。だから、
「でも、その強敵が水属性の可能性が高い理由にはならないと思うけど」
アイレの意見はもっともだ。
その上でイレギュラーが水属性と仮定した理由。
「
「――っ⁉」
依頼人のアンギアは言っていた。最初の行方不明者は
『クルル海湖』の中心に湖が存在し、それを中心として東部から北東部にかけて、つまり『ラウムの胃腸』を無法都市から見て南と定めた場合の西側、距離として『クルル海湖』全体の中で一番近い位置に『青鈴の蘭草原』が広がっている。
捜索隊が動いて帰ってこなかったことを踏まえて『青鈴の蘭草原』でイレギュラーが起こったと考えてまず間違いはない。そして、その湿地は『聖域』、特殊な加護や恩恵を受けている精霊の墓地に値する。
「クソ厄介な加護がありやがるのに、他属性のパンテオンが上級冒険者どもを
「でしょ」
「『聖域』?」と首を傾げるルナ。
「精霊の加護や恩恵がもたらす絶対領域。『青鈴の蘭草原』の『聖域』は水属性の能力の超強化と補正、他属性の能力の著しい減少」とリヴが簡単に説明する。
かの『聖域』は定める属性に多大なる加護を与える半面、他属性の能力を著しく低下させる。たとえ『十一の獣』であっても効果の範囲外に逃れることは不可能であり、低化率は本来の半分かそれ以下になるとされる。むろん、
低レベルのパンテオンを魔術一つで殺すことができたとして、『聖域』の加護により戦況は正しく反転する。殺していた者が殺される側に回る。『聖域』の構図は冒険者への洗礼と試練を意味するのだ。
「加護がある限りイレギュラーの正体は水属性と考えていいはず。その場合だけどあたしの
「
「ありがとうアディル。だから勝つための策を練らないとダメなんだよ。この中で水属性の適正があるのはあたしだけ。あたしのしょぼい魔術じゃ同じ土俵だとまず勝てない。だから、水属性に有利な雷属性が勝利条件になってくると思うの」
「……なるほどね。雷属性なら他の属性より多少は攻撃が通る。今から冒険者を追加依頼するのも難しそうだし、現実的だと僕は賛成するよ」
「そもそも、集まらなかったから俺らに回ってきたわけだろうがな」
冒険者が『聖域』として有名な『青鈴の蘭草原』の加護を知らないとはまず思えない。その上で捜索部隊が組まれ向かい帰って来なかった。リヴと同じだ。同じ土俵に上がった所でイレギュラーを対処することができなかった。その堂々巡りの果てにリヴたちに依頼が回ってきた。そして、行方不明者がどこでどのように帰れなくなったのか、その一切の判断材料がなかったわけで。それが連続する悲劇を生み出した。その原因が『聖域』であり、そしてイレギュラーにある。
これをどう見るか。
「間違いなく災害級だとあたしは思う」
「…………」
否定は起きない。希望的観測になんら意味はなく、むしろ常に最低最悪を考えておくに越したことはない。これにはおおよその部分でついてこれているルナも異存がないと頷く。ギルタブリルが正しくその例だ。
ともすれば覚悟はしておかないといけない。あの死ぬ一歩手前の恐怖に飛び込む覚悟を。正しく死ぬ覚悟を。
故に死を
リヴはその紙一重に挑む覚悟で語る。
「みんな生き延びてイレギュラーを倒すためにも生半可な対策じゃ絶対に負ける。不利を覆す秘策が必要になる。そのためにも『雷竜ドゥグロームの鱗』だけでも素材としてほしいってわけ」
確かに奴の素材となれば一級品も一級品。エネルギー量に応じて死を与える『ギルタブリルの灰』という規格外なものに相当するだろう。仙境の天空を支配、炎獄を築くほどの
「確認だが。雷竜の鱗だけでどうにかできると思ってるわけじゃねーだろうな?」
「バカ言わないで。あたしを誰だと思ってるの」
そう、リヴは胸に手を置く。誰もが緊張と不安、想像を掻き立てるイレギュラーを前に、それでもリヴだけはこの場で気負いなく堂々と根拠に満ちた道化を演じる。その自信に満ち溢れた
「天才美少女錬金術師リヴ様なんだから!」
「ちゃんじゃねーのかよ」
「様の気分なんで」
ふふん、と英雄気取りであるが、そのいつもの姿に
先のリヴも頼りになってかっこよく思うが、お茶目なリヴの方が好きだなーとルナは思った。
とにもかくにも方針は定まり、ため息を吐くアディルがルナに視線を寄越す。
「クソ難易度のたけー依頼をされたが、どうする?」
アディルの声音でわかる。彼はもう覚悟を固めたのだと。真っすぐな信頼関係を羨ましく思いながら「私も頑張るよ」と決意するルナ。
「ま、雷竜は厳密にパンテオンじゃねーから
「そうなの?」
「というわけで、あんたはどうするわけ?」
そう、リヴは見透かす眼で問うのだ。
「――――」
アイレは気づく。これが最終試練だと。この素材集めにアイレが同行した理由が今ここではっきりとなった。人格審査と戦場に立つ覚悟の審査、どこまで彼が異端児たちの奇行に裏切らないでいられるか。
最終試練は死ぬかもしれない命懸けに対してどうでるか。それはそのままイレギュラーとの対決に直結する。力の優劣や有無に関係なく、最後まで共に戦う、その一点に注がれた。つまり、人格も覚悟もアディルとリヴの中では合格判定になっているというわけだ。それを嬉しく思うべきか、試練に対しては過酷すぎないかと文句を言うべきか。
兎にも角にも、アイレは苦笑を浮かべなんら
「もちろん僕も参加するよ。君たちがイレギュラーを倒せるかもしれないなら手を貸さない理由はないね」
嘘はない。表情が引き締まるなんて表面にはでないが、言葉に嘘がないことは明白だ。
「そっか……ま、嫌って言っても放り込むつもりだったけど」
「悪魔みたいなこと言ってる自覚ある?」
「? アイレくんはあたしの下僕でしょ」
「素じゃないよね? 僕は君の下僕じゃないからね」
「というわけで男二人仲良くよろしくー!」
「気持ちわりーこと言うな」
「やっぱり人選間違えたかも……」
張り切るリヴと打って変わって男性二人は
「ま、なるようになるだろ」
「そうだね」
その呑気な姿勢だと言うのに、後ろ姿は頼もしく感じるのだから男の背というのは反則だ。
「やっぱり肩甲骨かな? 背中は均等のとれた筋肉が一番だね」
「しっかりとしてるところだと私は思うよ」
「なるほどなるほど。それがルナの好みなんだー」
「お、好み⁉ そ、そうなのかな……うん、逞しくは思うと、思う」
「なるなる。というわけで、アディルもっと鍛えて身長も伸ばさないとだねー」
「黙れ」
「あ、アディルさんはしっかりしてると思うよ! あ、そっ変な意味じゃなくて! 仲間としてね!」
「ふぅ~~ん。ま、いいやー。アディル~~照れてるルナも可愛いよー」
「テメェー殺すぞ。めんたいこにするぞ」
「あー照れてるんじゃないの~?」
刹那、リヴの頬の横を鋭い風が吹き抜け、数本の髪の毛を攫っていった。
心底イラついている表情で。
「……殺すぞ」
「はい、すみませんでした!」
リヴは全力で謝るのだった。
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