第35話 風の旅路 side『風』
彼の冒険に待ち受けていたのは正しく理不尽の暴露だった。
迷路のような樹海を
――すごく慎重。こわいの?
頭に直接響いてくる少女に声。彼が冒険をする生きるきっかけになってくれた探している声が尋ねる。
「どんな獣かわからないからね。力があっても過信したらダメだって散々習ったしね」
彼が獣を真向から倒せるようになるまで六十日以上かかった。その期間に特別な力に魅入って根拠のない自信を手に何度死にかけたことか。いつだってそこには少女の声があったから四肢万全に今も生きられているだけで、決して彼があの災害に打ち勝った英雄たちのように強いわけではない。そこから積み重ねた観察や策略、訓練と経験が今こうして彼を慎重に生かしているのだ。
「それにしても最初の森より広いし生い
――がんばって。ふぁいとー。
「ふぁい? まーうん。がんばるよ」
そう意気込んだ束の間、突然樹海全体が震えだしたのだ。
「な、なんだ⁉ 地震⁉」
――何かに掴まって。
言うが遅し、その自然という理不尽は彼に構わずすべての生き物に牙を向けた。
唐突なことに頭が回らない。けれど、視界に映るのはクソ青い空。それが心無しかどんどん近づいているように感じてはっと気づく。
「――っなにが……おこって」
全身を押し潰すようにやってくる風圧になんとか抗いながら身体を翻しすべてを悟る。
彼は今空を飛んでいた。否、地面から吹き飛ばされたのだ。あらゆる生物や植物なども同じように宙を舞い、真下の理不尽に目を見張る。
「樹海そのものが獣なんて……」
ありえない……そう言い張れないのが真実だ。樹海に張り巡らされていた大木のような根が意志を持っては動いていた。空中から見渡して知る、無数に存在する樹海は一つ一つが獣であり、その獣が眼を覚ましたことに。
樹海の中心に聳え立つ超大木が産声に変わって風を吹き叫ぶ。
「規模が違いすぎる」
その超大木が根を張って作り上げた樹海。そのすべてを差して獣であったのだ。
――気を付けて! 攻撃してくるの!
少女の声に圧巻から我に戻りすぐさま風を纏い槍を構える。遥か上空を舞う彼へと迫ったのは無数の怪根だ。まるで触手のように空を登る怪根は無数の生命を絡め捕り、あるいは貫いてその生命力を吸い取り始める。例外はなく彼もまた標的になった。
「くっ!」
自由の効かない空中だが、風で身体を動かし伸びて来た怪根を
そこからは止まる暇のない空中戦だ。
二十を超える怪根の大群を跳躍して躱し、走り去っていく根を足場に風と槍を使いながら移動していく。だが、地上に降りたところで状況は変化しないだろう。
このまま躱し続けるのも、他の怪根の食事が終われば増える一方だ。
――あの! 遠くの白い木! あそこから下にいける!
「ほんと⁉」
――ホントホント。クゥーうそつかない。
「わかった。あそこまで行ってみるよ」
――うん! ふぁいとー!
頼もしい少女だ。少女の声に従って進路を変更。北東距離にして数キロル先に白く輝く一つの樹木を見つけ、そこへと駆けだす。
無数に迫る根を足場に空を走るように。避けきれず背を裂かれ、足を掠め、肩を抉られるが、構っている暇はない。複数存在する樹海が残る彼へと狙いを定めていく。追い縋ってくる根から全速力で逃げ続け。
――根本に扉があるの! そこに入って!
目先に見えた白い樹木へと膝を精一杯に曲げて飛び込んだ。
「あぁああああああああああああああ!」
そのまま突き破るように扉の先へと逃げたのであった。
例えばそれは二年と経つ頃のこと。
当時十五だった彼はすっかりと大人びた若い男の風格を宿し始め、獅子奮迅の勢いで奮闘してきた身体の逞しさは傷跡の痛々しさと比例するようになっていた。
様々な経験をして来た彼だが、それでも獣の世界には驚かされてばかりだと言う。
とにもかくにも目先だ。色とりどりの果実を投げつけて塗りたくったようなその世界には無数の『鬼』がいた。深紅の強靭な肉体を持つ鬼だ。
――悪い子供を攫っちゃうの。
そう、あれが鬼という獣だと教えてくれたのは少女だ。少女が鬼と言うのなら、殺しても殺しても無数に増え続ける目先の獣は鬼なのだろう。
いくら殺しても数を減らさないその世界を彼は七日七晩戦い続けた。
例えばそれは二年と半ばに差し掛かった頃。
雪国の大地でリシュヤシュリンガ族という鹿人たちと出逢った。その角で生物の心を読むことができるという特殊な力を持つ彼らの旅に同行した。
リシュヤシュリンガ族は集落を築かず放浪と旅をするらしく、色々な旅の話しを聞かせてくれた。業火の大地は人が住むには適していない。近頃、花の民が再び産まれた。妖精が一つの世界を統一し、神と争っていただとか。他にも獣の特性や見た目に反して危険な植物、美味な獣、決して近寄ってはいけない獣など。多くの知識を与えてくれた。
彼が返せるのは同じく旅の話ししかなく、経った二年の旅だがリシュヤシュリンガ族は楽しそうに耳を
「汝、『翠星』へ迎え。さすれば汝の望みは叶うであろう」
「翠星?」
「水霊が住まう夢想の秘境。そこに汝望む声の主在り」
「……そこに行けば……会えるんだ」
彼にとっての生きる目的。声の少女に会いに行くこと。手がかりは一切なく、この危険な世界を冒険していた日々の中、ようやく手に入れた少女の手がかり。闇雲だった旅にようやく道標となる光が差し込んだ。
本当かどうかは彼にとってはどうでもよかった。果てのなかった旅に一つの終点を今見つけ、衰弱するように弱っていた精神が力を入れ直した。
やはり、生きる目的があっても、死にたくないと思っていても、それでも戦い彷徨い続けることは疲れるものだ。少女の声は唯一の救いで、けどやっぱりそれは声でしかなく実態はここにはいない。ふと思ってしまう。
やはり孤独だと。それは酷く寂しくもう死んでしまいたいほどのだと。それでもめげずに歩けたのは少女がいたから。声だけでも少女が励ましてくれかたら。理由をくれかたら。案じてくれかたら。笑いかけてくれかたら。孤独だけど独りじゃなかったから。諦めてしまいたかったけど、諦めたくなかったから。死んでしまいたかったけど、生きたかったから。
だから、彼はリシュヤシュリンガ族に感謝した。
「これでまだ僕はがんばれる。待っててね。直ぐに行くから」
――うん。待ってる。クゥーはずっと待ってる!
彼は旅を続けた。焼野原を越え、海を渡り、神秘に抗い、死を跳ねのけ、月を見上げ、星を目指し、語らいながら翠星へ歩みを続けた。
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