第36話 辿り着いた風の行方
「依頼だ?」
「最近、冒険者どものォ行方不明がァ多発してやがるゥ」
「そんなの今に限った話しじゃないじゃん」
冒険者の死亡率は九割。何十年も生き残っている者など片手で足りるほどだ。死なないと思っていた強者でも、帰ってこなかったことはある。もちろん、仲間は遺骨や遺品を持って帰ってくることもあるが、多くは大自然に還る。昨日ご飯を一緒にした冒険者が次の日から見かけなくなったなどありふれた話しだ。
それを最も知っているであろうアンギアの口から出たバカげた言葉にリヴは皮肉交じりに笑う。ギロリと睨みつけたアンギアは相手にするのも馬鹿らしいと話しを続けた。
「最初はァ下級冒険者だァ。六人部隊の奴らがァ帰ってこなかったァ。それを心配した仲間たちも同じだァ。決してそこいらの化け物にィ殺されるようなたまじゃねェー。なのに誰一人として帰ってはァ来ねェーんだァ」
「それだけか?」
「…………病気持ちの家族がァ捜索の依頼を出しやがったァ。遺品の回収のわりにはァ報酬がすこぶるよかったからなァ。貪欲な奴らはァ依頼を受けやがったよォ」
「そいつらも帰らなかったと」
「ああ。五日前に出発したァ腕利きの奴らもだァ。どいつもこいつも帰って来ねェー」
たった一部隊の消息不明から始まった連鎖的消息不明。たった一つの依頼から既に両手では数えられないほどの冒険者が帰ってこなかったと言う。こんな不自然なことは今までなかったとアンギアは密に疑念を抱いているのだ。他の者が【
だからこそ、アディルたちにこの話しを持ちかけている。
「場所はどこだ?」
「ここから西北西にィ向かった『クルル海湖』だァ。最初の奴らの依頼は
「『クルル海湖』……水辺か」
なにやら思案顔をするアディルにリヴは声をあげた。
「まさか、依頼を受ける気? 言っちゃあれだけど生き残ってるとは思えないよ」
一番後の冒険者でさえ五日前に出発している。『クルル海湖』まで十五時間もかからない。つまり、生きているなら『クルル海湖』で四日も探しまわっていることになる。果たしてそれはあり得るのかと言えば否だ。
「『クルル海湖』は積乱雲が三日事に発生するってわかってるよね? あの大嵐の中残るなんてそれこそ死にに行くようなものだよ」
「…………」
そう、『クルル海湖』は森林の中に水辺を敷いた湿地帯だ。キュムロニンバスという雨雲のパンテオンが大気の水のエレメントを多く吸収し雨を降らせる。ただ、エレメントの貯蔵が限界を超えると嵐を引き起こしてしまう。キュムロニンバスの豪雨は鉄に穴をあけるほどの威力。あれを集中的にくらえば骨など砕かれ内臓が破裂し最終的に命は水に沈む。四日、その長い時間を『クルル海湖』で過ごすのは錬金術師の恩恵を得ていない人類には不可能だ。
それをアディルがわかっていないはずがない。なのにどうしてだろうか。その男は拒否するわけではなく、反対に耳を傾けているのは。
「…………アディル」
リヴは疑った。今目の前にいるのは本当に自分の兄なのかと。物心つく前から一緒にいる、見間違うはずのない家族をリヴは今初めて正体に疑いをかけた。
兄の眼が妹に告げているのだ。
「悪いが俺は行く」
「なんで?」
「…………理由は特にねーよ」
「うそだ。あたしがあんたの嘘、見抜けないとでも思ってるの? バカにしないで」
「…………」
「アディルが言わない時って、言えない時でしょ。知ってるんだから。でも、言ってくれないとわからないから」
「リヴ……」
それは妹としての悲しみと矜持だった。家族としての疎外感なのかもしれない。ただ一つ、リヴは寂しいと顔を歪ませる。信じたいのに、一緒に生きたいのに信じられないことがとても悲しいと悔しいと、どうしてと泣きそうに瞳の奥が潤む。
それでも、アディルは言わない。大事なことはいつだって言わない。兄だから言わない。妹だから守られてばかり。いつだってそうだ。
「お兄ちゃんは、シスコンすぎるよ」
「…………」
否定しない。それが解だった。ならば今回もリヴが折れるしかない。リヴが折れなければアディルに付いて行けないから。アディルを一人にしてしまって、アディルにばかり重責を押し付けることになってしまうから。それは嫌だ。嫌だからリヴが折れるしかないのだ。
「理由……言えないんだね?」
「理由なんざねーよ。気になるから行くだけだ」
「……わかった。もう仕方ないなー。シスコンのアディルが寂しがっちゃうから付いて行ってあげる」
「黙れ。……兄離れしやがれ」
「のんのん。あたしブラコンだから」
「胸を張って言う度胸すげぇーな」
「えっへん」
まったくだ。この妹と来れば精神の図太さが半端じゃない。本当は怖いくせに弱いくせにいつだってアディルから離れない。まるで一人にしないように離れない。
離れないから、アディルもまた離さない。離れない間は離さない。
「勝手にしやがれ」
「わかってまーす。勝手にしーまーすー」
アディルのぶきっつらをリヴは嬉しく思うのだ。
「あ、あの!」
そこで声を上げたのはリヴ以上に貧弱なルナだ。一人置いてけぼりにされて少し寂しかったルナは、仲間と言ってくれた二人に声を向けて。
「わ、私も! 一緒に行っていいですか!」
それは初めての自己表明ではないだろうか。ずっと二人の背中に隠れていたルナが理由なんて与えられずに自分から決断した第一歩。今までで一番大きな声に驚く二人は知る。ルナという少女はただ守られているだけの少女ではないことを。
「ルナ。嬉しいけどほんとに危険で」
「それでも行くよ。二人が大切だもん」
断固たる決意。揺らがないことを知る。それはいつ固まったか。きっとアディルに飛び出す理由を与えてもらった日だ。記憶を探す少女は今はもう『ルナ』という名前を誇って二人の後ろではなく横に並ぶ決心をしている。迷いはない。
リヴは苦笑して、アディルは溜め息を吐いて。
「オマエ……バカになってきたな」
「なんで⁉ ば、バカじゃないよ!」
「じゃあめんたいこだね」
「それって悪口なんだよね?」
いつも思うが、めんたいこという言葉自体はかわいく思うのだが、悪口とわかれば確かに多少はイラつくものがあった。みんなは言わないようにね。
さてはて、この三人の冒険者のバカ加減に
「テメェーら正気かァ? 今更何しにィ行きやがるつもりだァ?」
「オマエの望み通りにイレギュラーを排除してきてやるよ」
「ハッ! テメェーのォ思いやがりも
「あたしたちのお墓は最下層に作るって決めてるんだ」
「川に流せばァ充分だァ」
「それ捨ててると一緒じゃない?」
バカ話もそこらへんにここからは真剣な話しだ。
「他に情報はねーのか? 人為的な線とか」
「帰って来た奴がァいねェーから特にねーよォ。……気になると言えばァ一つだけェありやがるゥ」
「なんだ?」
「
「蘇生ってこと? そんな花、聞いたことない」
錬金術師のリヴが知らなければアディルもルナも知りようがない。そして、やっとアディルの中で一つの
「その話しってのは」
「あアァ。若い女と男がァ話してるのを聞いたァ奴の話しだァ」
「その女がネルファだとオマエは思ってるわけだ」
「「――っ⁉」」
驚愕を走らせる二人にアンギアは言う。
「アイツはァ……あの騎士の灰を取りに行くつッたからなァ」
「カインさんの……」
もしも、ネルファが蘇生話しを聞いていたとして、ネルファの騎士、カインの灰を取に行ったとして、ただ行って戻ってくるだけで終わるのだろうか。
アンギアは思ったのだ。この不可解な事件にネルファも巻き込まれているのではないかと。
「それがオマエが俺らにこの話しを持ち出した本当の理由だな」
「…………」
答えない。それは肯定だ。アンギアはそっと左胸の傷に触れ、
「俺にはァ妻と娘がいたァ」
「え?」
「んな人相、性格でって思うかァ。ハッ! アア、俺もそう思ってたんだがなァ……」
そう、言葉を一度止める。彼の瞳は誰かを思い浮かべているのだろうか。きっとその人しか知らない柔らかな雰囲気がアンギア・セブンにはあった。それを愛と呼び。
「どうも、妻はァ変な女だったぜェ」
今も愛していると、その口端が微かに伝える。
この食事処で過ごした過去の残滓のその人に向けて。
「娘は……妻にィ似やがって元気な奴だったァ。
よく、お父さんみたいな冒険者になるんだと木刀を振り回していたと言う。娘の名前はネルアで、妻とよく似た薄紅色の髪をしていたと。三人で過ごす日々は確かに幸せだったと。
しかし一転して彼に口調が一段下がった。
「だがなァ……世界はァ俺らの幸せを許してはくれなかったァ」
憤怒と悲壮が静かに殺気を
「五年前、娘がァ十二の年だァ。仲間の死体を持ち帰って来たァ新人がァいやがったァ。そいつはァにおい消しもォ
ああ、今思い出しても
ジェヴォーダン、人間のみを襲う生息地不明の狼のパンテオン。人間たちのように家族を持ち仲間意識が強く危険を判断した相手や、連れ去られた子どもを取り戻すために数十匹で一斉に襲い掛かる。
「想像通りだァ。『ジェヴォーダン』はフリーダムを蹂躙しやがったァ。……妻と娘はァ奴らに喰われて死んじまったよォ」
まさに【エリア】の自然界による理不尽であり、人間が招いた愚かな災害であった。忌々しくも奴らの牙を今も思い出せる。妻は娘を守ろうとして死に、娘を庇ったアンギアの左胸には抉り切られた傷痕が。だというのに、その傷は娘を守れなかった。
「俺の目の前でェ……二人とも喰われて死んだァ」
「…………」
「俺はただ、その獣を怒りのままにィ殴り続けることしかできなかったァ」
見下ろす拳はいつだって血塗れだ。あの狼たちの黒い血がべっとりとついている。罪と後悔の沁みとなり、永遠に己を嘲い失望を突き刺す。
「…………俺はァ、まだ忘れられねェーんだよォ」
「……それが、理由か」
静かに確認をとるアディルにアンギア「さーなァ」と酒で隠す。確かに傷つき苦悩と孤独と罪に苛まれ続けている彼に、これ以上の言葉は無粋だと席を立ちあがる。
アディルに続きリヴが腰を上げ、何も言えないルナが深い水に沈んでいく感覚でいたその時。
「――『
その声に顔をあげる。声の先にいた青年は柔和な笑みでこう言った。
「僕はその花のこと知ってるよ」
side『風』
そして、遂に彼は辿り着いた。
三年もかかった旅路の果てようやく少女の下へと約束を果たしに来たのだ。
静音な緑と芽ぐみの水に癒されたまるで秘境の神秘。人だろうと化け物だろうと等しく心を落ち着けてしまうような、そんな空気が満ちていた。翠星のように輝く緑の苔。うつし鏡のように透明な水たまり。ぽんちゃんと音を立てたのは花びらが触れた音。まるで翠の星のようなそこで、大樹に
宝箱のような瞼がそうっと開いていき、翠星の瞳に彼の姿が映り込んだ。淡い水色の髪がさらりと肩から流れ、吐息を零す唇が大気を震わし、声相応の幼い少女は儚くも嬉しそうに微笑みを浮かべた。
「――待ってたの」
「――ああ」
その一言だけですべては報われた気がした。この三年間のすべての努力が報われた気がした。生きて来てよかったって、涙が零れていく。
震える脚で覚束ない足取りで今にも崩れそうな歩みで。それでも一歩一歩と夢に触れるように少女へと近づき。少女を前にして脚は崩れた。
「ぁぁっやっと……あ、っあえたぁ」
「クゥーも! 逢えてうれしい! ありがとう! ありがとうアイレ!」
「――――うん! うん! 逢えたよ! 逢えたんだよ!」
「うん。逢えたの――」
ぎゅっと少女はアイレと呼んだ膝をつく彼を頭から抱擁する。その頭を自分の胸へと抱き寄せて今ここに生きている実感を与え合う。
始めて名前を呼ばれたことに、アイレの涙は止まらない。嬉しい。幸せ。愛おしい。
力の入らない腕で少女をぎゅっと抱きしめる。
「怖かったんだ、死んでしまうかもって……何度も思ったんだ」
「うん、うん。よく頑張ったの」
「そうなんだよ。僕は頑張って頑張って……辛かったけどやめたかったけど頑張ったんだっ」
「うん。知ってるよ。ずっとクゥーはアイレのこと見てたから」
「僕は……生きる意味をくれた君にずっと逢いたかった。それだけが僕の生きる輝きだった」
「うん。クゥーも逢いたかった。アイレに触れたかった。直接見たかった」
「クゥー。僕はやり遂げたのかな? 僕は今も生きてるのかな?」
「大丈夫。アイレは生きてる。ほら、こんなにも温かいもん」
「……ああ。温かい。君が温かい」
「アイレ……逢いに来てくれてありがとう。もう独りじゃないの!」
「うん……もう独りじゃないんだっ」
それから二人は抱きしめ続けた。言葉を交わし温もりを交わし命を交わし。
零れた涙は記憶としてこの地に吸い込まれ、交わした言葉は草木に宿り、与え合った温もりを大気が覚え、二人の姿を水面が残す。
翠の光が二人を祝福する。数多の絶望を乗り越えて出会うことのできた奇跡に、今ばかりは世界が二人に祝福を贈る。
やがて、身体を離した二人はお互いの顔を見て少し笑った。笑って、そしてようやく始まるのだ。
「クゥーはクゥー。クゥーだよ」
そう名乗った背丈の小さな少女に彼は笑みを浮かべてもう一度名乗るのだ。
「僕の名前はアイレ。これからよろしくねクゥー」
「うん! よろしくアイレ!」
その笑みをいつまでも咲かせよう。そしてずっと一緒に。二人はそんな夢を誓い合った。
……………………
その男はこう名乗った。
「僕の名前はアイレ。是非、僕もその任務に加えてもらえないいかな。どうしてもやり遂げないといけないことがあるんだ」
唐突に現れた青年アイレは柔和な笑みから打って変わって真剣な口調でそう告げた。
そして彼――アイレは
「好きな人を助けたいんだ」
と、命を賭けたのだった。
それが、彼の生きてる意味だと、
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