第34話 生暖かな夜始め

 

 約束通りアディルたち三人が訪れたのは『ギルド』が運営する食事処『満月』だ。

 冒険者には一つ職業がある。それが任務というお使いだ。『公益序ギルド』と呼ばれる仲介業が管轄をする職場であり、軍や商人から【エリア】内で物資や素材を採取してきてほしいといった依頼が受付、それを冒険者に発注する職場が『公益序ギルド』だ。その『ギルド』に専用冒険者として所属することで依頼を受け達成すると報酬をもらえるといった仕組みだ。これは天場てんじょうの人間と冒険者が円滑えんかつに市場を回すために採用されたシステムであり、ここフリーダムに存在する『ギルド』を取り締まっているのがアディルたちを呼び出した人物。


「約束通りィ来たみてェーだなァ」


 隅の席で先に酒とつまみを突いていた大男、アンギア・セブンその人だ。冒険装備から着替えた彼の身体は防具を脱いだことで首元や腕に痛々しい傷痕が眼に入る。鋭利な眼は相も変わらず人殺しのようで歓迎されているのいないのかわからない。


「今日ってアンギアさんのおごり?」

「ハァ? テメェーざけてんのかァ?」

「そんなこと言ってもおごってくれるんでしょ」

「…………」


 どこか含みのあるリヴの言い方に睨みつけたアンギアは溜め息を吐いた。それがどうやら了承の意らしい。


「やっりー!」


 ルナは終始、現在進行形でルナの発言に心臓がバクバクで死んでしまそうだった。

 ギロリと睨まれキュっと、袋を縛られたみたいにピーンと佇まいを正すルナ。


「さっさと座れェ。適当に頼めェ」

「は、はい……」

「もっと優しくできないの? ほら、ルナこんなに怖がっちゃって」

「り、リヴっ!」

「知るか。酒追加で」

「はーい!」


 怯えていることをバラされて恥ずかしいルナはおずおずとリヴの隣に腰を下ろした。対面にアディルが腰を下ろす。


「どれにしようかなー。ルナはどうする?」

「わ、私は……まだよくわからないからリヴが選んだのでいい?」

「おっけー」

「…………」

「…………」


 空気がすごく変だ! そうルナは心の中で叫んだ。


 リヴのお気楽浄土はいつも通りだが、対極のアディルとアンギアが酷い。アディルは黙々とお品が書かれた木板を見つめ、アンギアはバリバリとつまみの豆を食べてはお酒を煽る。リヴ一人が「これにしよかなー。でもこっちもすてがいたなー」と楽しそうなのが意味不明に思えるほどに空気がヤバいである。

 空気が重い。重いのに陽気なオーラがあって、前方からは負のオーラ。バリバリと豆は噛み砕かれていき、店員のお姉さんが「生酒エール一丁!」と我関せずに置いていく。


 ルナは生きた心地がしないままずっとひざ下を見つめていた。逃げたい帰りたい怖いである。

 そんなルナを気にせずリヴが「アナスルのロースト。ムールバターパスタ。ハムのスモーブロー。それから――」と淡々と注文していく。聞き齧ってルナにわかるのはパスタやハムといったごく一部で、素材の名前は一切検討けんとうがつかない。


「了解しやしたー」と陽気な店員さんが厨房へと下がっていく。


「あたし今すっごくお腹空いてるんだけど」

「知るか」

「ルナもお腹空いてるよね?」

「う、うん。お腹空いてるよ」

「だよねー。はぁーやっとそれなりの料理が食べられるやー」


 ルナは先ほどから緊張で食欲がしぼんでいくばかり。むしろ、なんの時間なの? 拷問?と思うほど淡々に沈黙が時間を流していく。


(誰か喋ってよぉおおおおお!)


 内心、涙目に叫ぶルナだった。


 胃が痛くなる時間は数時間のように感じられ、「へいお待ち」という元気な店員さんにどれだけ救われたことか。

 テーブルには五種類の料理が並び、どれもこれも想定していたものよりずっと量が多く香ばしいにおいに鳴りを潜めていたルナの胃袋がぐぅ~と眼を覚ました。


「っ⁉」


 ばっとお腹を押さえるルナをまるで幼子を見るような眼差しで見つめられ羞恥。


「それじゃあ食べよっか。ルナも我慢できないみたいだし」

「こ、これはたまたまだからね!」

「はいはい」

「私、食いしん坊じゃないから!」

「そこなの?」


 乙女反抗である。


 とにもかくにも生命に感謝を祈り食事を始める。黒麦の薄パンに食材を乗せてサンドイッチのようにして食べるスモーブロー。食材はハムに肉質な赤と白の果実とキューリー。ハムの塩味と果実のほのかな甘みが不思議と舌を躍らせる。アナスルのローストはどうやら鴨肉かもにくらしく辛味のスパイスが効いていてルナとリヴは少し涙目になりながら食べた。他にも揚げたジャガイモを使ったサラダ、魚を使ったパイにムールという貝がふんだんに入っているバターの効いたパスタ。すべてが大皿に乗っており、小皿へと四人で分けて食べる。

 ここに来てからルナにとっての食事はどれも初めてのものばかりだ。リヴが家で振舞ってくれたシチューもそうだし、冒険で食べたお肉や薬草、野菜などもそう。味の想像がつきそうなものもあれば、まったくわからないものもあった。それでも一口食べてはルナは幸福に満たされる。


「どの料理もおいしい」


 それがルナの一番の感想であり、この世界の料理や食材の基準を的確に表していた。


「でしょ! ここの料理はどれも絶品なんだよねー。あとで甘いものも食べよっか」

「うん! 食べたい!」


 食事に舌鼓したつづみを打つ瞬間は、まるで記憶を失う前のルナ、誰よりも無垢なものであった。そう、アディルが見つめてしまうほどその笑みは周囲の空気に伝染して穏やかにしてしまう。


「どうしたの?」


 見つめられていることに気づいて問うルナ。アディルは「いや」と視線を逸らして食事に戻る。アンギアはそんな若者どもを見つめながらちびちびと酒を飲んでいた。





「ふぅー満腹だー」

「私もお腹いっぱい」


 甘味のライチを使ったババロアは頬をとろけさせるほどに最高だった。ミルクを使ったソースとライチの酸味が相性抜群でこれを考えた人に「ババロア職人」の称号を与えたいほどだ。


「テメェーら容赦ねェーなァ」

「懐の大きさで我慢してよ」

「オレのなァ。テメェーの懐はァクソみてぇーなもんだろォ」

「はあ? あたしの懐はトイレって言いたいわけ」

「ここでんな話しすんじゃねー。リヴ、オマエは黙ってろ」

「むー」


 不貞腐ふてくされるリヴに嘆息し、ここでようやくアディルはアンギアに視線を寄越した。

 まるで腹の内を明かせと言わんばかりに、アディルはただの会食などではないと理解している。ただ、食事の間でさえ一言も喋らなかった慎重さに危機感を持って挑んだに過ぎない。されど見る者によっては、くだらなければ切り捨てられるような威圧があり、そしてその解釈はあながち間違いではない。もしも、軍のようにアディルの目的を阻むようであれば実力行使も否めないという現れだ。


 人というものはなんにでも使える。優劣関係なく人というだけで一種の娯楽や金、それこそ食料にさえなりえる。そこに能力が加われば選択の幅が広がりより良い利益を生み出せる。女を攫うように、男を裏で操って悪事をするように。髪をむしればそれを売り、女も男も性欲のめにされ、悪食や雑食ならば人の肉すら喰らう。洗脳し従えて支配して操り人形として弄ぶ。

 才能がものを言う時代、力あるものが弱者を従えるのは仕方のないことなのだ。それも、ここ無法都市となれば黙認されてしまう。その悪辣あくらつさと恐慌手前の暗黒は自由主義フリーダムというベールで隠しすべてが容認される。


 無法都市フリーダムのルールの一つ。


 ――自分の身は自分で守れ。


 悪意も理不尽も運命も悪運もすべては自分の責任として圧し掛かる。

 聴こえのいい冒険者の都市は、その実、欲望の傀儡都市であるのだ。

 そんな都市の最低限の秩序を敷くギルドの取締役を担うのがこの男アンギア・セブン。

 故に気をつけなければいけないのはその二面性にある。


 アディルは疑ったままに訊ねる。


「ただ祝いってわけじゃねーだろ。ギルドのトップがクソガキに構う理由はなんだ?」

「よくゥわかってるじゃねェーかァ。だがよォクソガキィ。テメェーの眼はァなんだァ? テメェーの残念な頭ここじゃ、敬うってのはァわかんねェーかァ?」


 嫌味たらしく自分の頭を差すアンギアに、されど短気でもバカでもないアディルは顔色一つ変えない。くだらないと目を伏せるのみ。


「はぁああああ? 誰がクソガキだって! あたしの頭はピカイチ天才だから!」

「…………ルナ、クソ妹を黙らせとけ」

「ご、ごめんなさい! リヴ! 静かに!」

「もごもごもごもごもご!」


 物理的にルナがリヴの口を両手で押さえた。短気でバカな妹は無視してアディルは続ける。


「オマエだろ。軍と手を組んで俺らを金にしたのは」

「…………」


 沈黙。それは肯定だ。

 ネルファをここへと運んだ日、無法都市には既に軍の憲兵けんぺいが待ちかまえていた。アディルたちが無法都市へ行くように仕向けたのはアルザーノ家を略奪をしようとした例の上級貴族。それは【エリア】へ逃亡するアディルらを阻んだ将官の男ギウン・フォルス・サリファードの差し金であった。長らく将官として軍に所属していたギウンであれば、アディルたちがどうすれば無法都市に向かうか検討がついたことだろう。だから、攫猿かくえんなんていうパンテオンを使ったのだ。奴らは女を殺さず孕み袋とする。死なない、助けられる、その条件が攫猿かくえんにはあった。


「天場の人間は冒険者を嫌ってやがる。ましてや前線で戦う軍が冒険者をどう見てるかなんざ考えなくてもわかる。――【死に逝く屑モータル】だ。そして、それはオマエら冒険者も同じだろ。冒険者おれらを見下し嘲笑い貶す偽善の猿どもを嫌ってやがる。だから、ここは無法だし依頼という仲介所があるわけだ。最低限の体裁としてな」

「…………」

「軍がこの都市にいやがんのはおかしいんだよ。オマエらが軍を通すはずねーんだよ。何かねー限り絶対にだ」

「…………」


 あの日、アディルたちが都市内に入った時には既に多くの憲兵が待ち伏せていた。無法都市に軍はいるというのはありえない話なのだ。嫌厭けんえんの仲だ。仲介所ギルドなんてものがなければ交流しない者同士だ。

 ならばあの状況にどう説明をつけるか。至極簡単なこと。


「オマエらの誰かが軍と手を組まねー以外にあの状況は作れねー。そして、その決定権を持ち、なお他の冒険者どもを黙らせることができる奴ってなれば一人しか思い当たらねー。ギルドの取締役と冒険者どものかしらだったよな、アンギア」


 睨みつけるアディルにアンギアは表情こそ変えなかったが、僅かばかりに眉や瞳孔を動かしていた。洞察力が鋭いアディルにすべて見透かされていると理解し、アンギアは鼻で笑ってみせる。


「でだァ。それが仮にィ真実だとしてェ。それがァなんだってんだァ?」


 決して男は間違わない。アディルの誘導になど乗るほどやわではない。


「テメェーこそ罪悪感でも煽るつもりかァ? んなもんは無法都市ここにはねェーよォ」


 そう、ここは無法都市。私欲に渾沌とした本質的な闇の城塞都市。かの城塞が守るのは都市であり、正義ではない。

 その背景には恐らくこの男以上に多くの者が絡んでいる。そう読んだアディルは一つ訊ねた。


「……あの女はどうした?」

「――――」


 どの女だ?なんて茶番はしない。アンギアの微小な変化が大気を伝ってアディルの肌を突く。


「…………あの子はどうした?」


 再び問うとアンギアは眼を伏せ、そっと胸の傷口に触れ。


「旅に出たぜェ。屑な父親を自分の手で殺してェ、好いた男の灰を探しにいくってよォ」


 ガタンッーー! アディルは椅子を蹴るように立ち上がり、アンギアの胸倉を掴み寄せた。


「オマエ……逝かせたのか?」

「…………ああ。引き留める理由なんざァねェーよォ」

「――ッッッ!」

「アディルさんっ!」


 刹那、怒りのままに風を纏った拳でアンギアを殴りつけようとしたアディルだが、その拳はアンギアのゴツゴツとした手に受け止められた。


「ふざけてんのか……っ本気でそう思ってんのかァ!」


 憤慨するアディルに、しかしアンギアは冷えた目で見返す。心が動かない。動かせられない。そのことが堪らなく不愉快だった。


「なんでだよォ! わかるだろ! そんな無責任あるかよ‼」

「責任はテメェーのもんだァ。俺がとやかく言う意味がァねェー」

「ふざけんのも大概にしろよッと! その手で触れてる傷はなんなんだよッ……」

「…………」


 左胸下に深々と抉られたような傷痕。背中にも身体中にある傷跡の中でそこだけは今だ痛みが消えないと、その手は傷痕をなぞる。その意味を一番わかっているのはアンギアのはずだ。けれど、当の本人は答えない。まるですべてを忘れたいと言わんばかりに。


「――っ‼」

「アディルさん! やめてっ! アディルさんっ!」


 再び殴り掛からんとするアディルにルナは身を乗り出してしがみつく。


「んで止めやがる?」

「ダメだよ!」

「ダメじゃねーッ! こいつは殴らねーとわかんねーんだよっ!」


 邪魔だとその怜悧な眼が言っている。その拳はルナを目掛けるかもしれない。まるで獣を相手しているような恐怖が喉を押し潰す。それでも、ルナはアディルを見つめ返して。押しつぶされた言葉を投げつけた。


「アディルさんに誰かを傷つけてほしくないから!」

「――――」

「あなたは、獣じゃないもん」

「…………」


 その言葉がどれだけ意味を為したかはわからない。ただ、彼は静かに力を抜いて拳を収めた。静かに見守るアンギアが鼻で笑う。


「テメェーのォオンナの頭がァ花畑のお陰でェ命拾いしたなァ」


 煽る文句に再び沸き上がる怒り。言い返そうとするアディルを庇うようにルナは告げた。


「誠実で何が悪いんですか。あなたの悪意よりずっと誰かのためって私は思うから」


 だからと、少女はあの戦場で歌ったように。


「精一杯生きている人をけなさないでください! 私たちの命は一つしかないんです。正しく生きてる人の命を奪う権利なんて、誰にもない!」


 その純白が突き刺さる。人としての本懐ほんかいが理解を得る。本質が眼を覚まして光を見上げるように、どこかその言葉は眩しくて焦がれていて。アンギアは言葉を奪われた。

 会話を聞いていた者たちも少女の言の葉に心を奪われる。まるですべての上辺や偽善、仮面を通り越して真っ白な布の向こう側に連れ出されたような。

 感じるのは眩しさで。押し寄せるのは罪悪感で。止めどないのは後悔で。それでも口にするのは否定する言葉。


「…………知るかァ。俺らの命も一つだァ。どう使おうがァ俺らの勝手だァ。テメェーなんざァの正義で飯がァ食えるかァ」

「食べれるでしょ、だって冒険者なんだからね」


 そう割り込んだのはリヴだ。ルナの背を見守っていた妹はどこか見透かす眼差しでアンギアたちをとがめる。


「それとも、正真正銘の『命を無駄にする者モータル』なの?」


 それこそ最大級の冒険者への侮辱ぶじょくである。それには周囲の冒険者たちも「好き勝手言いやがって!」「誰がクソ野郎だってっ!」「殺すぞ!」と殺気を飛ばしてきた。

 だが、リヴの態度は変わらずその口端が吊り上がるように弧を描いて。


「じゃあ――人を殺さなくても食べていけるよね」


 有無言わせないその事実に誰もが言葉に詰まる。


 皆、一度は冒険に憧れこの地獄へとやって来た者たち。やがて、自分では御伽噺おとぎばなしのような冒険者にはなれないと悟り、生きることに虚無を覚える。その虚無を潤すために渇望が沸き上がり、生きていることの喜びを求めだす。そうして辿り着いたのが獣と同じ欲の押し付けだ。

 誰もルナのように清くはいられない。記憶を失ったとして、もう一度やり直したとして、じゃあ違う人生を歩めるかと言われれば認めないだろう。

 人とは弱く脆く浅く愚かなのだ。

 だから、誰も反発できずに戻っていく。これ以上関わると自尊心すら失ってしまいそうだから。

 そして、アンギアもまた左胸の傷跡に触れながら言葉を紡いだ。


「オマエらァに依頼を頼みたいィ」

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