第29話 ミンチレース

 

 とある昔、双子をひろってきて育てていた兄貴キツにいはこう言った。


『この世の一番の宝は何か特別に教えてやる。その宝ってのは命を容易く賭けられるほどのこの世で唯一無二のもんだ』


 それは何とたずねる双子の肩に腕を回し、剃り忘れの髭をむじゃむじゃさせながらニヤリと兄貴は笑った。


『俺らの唯一無二の宝ってのは女だ! それも恋したとびっきりの女だ! いいか。女ってのは伝説の武器や神の宝石なんざよりも価値のあるもんだ。いいか覚えておけ。女ってのに、特に愛した女ってのに俺らは命を賭けられんだよ』


 それを双子が教えられたのはいつの頃だったか。兄貴が失踪したのが双子が九の時なので、それより前になるわけだ。大体の教訓に女を引き合いに出すのが兄貴のバカアホめんたいこな部分であろう。どうしてあの男を尊敬していたのか、今となれば理解不能もいい所だ。

 と、言うわけで育ての兄貴からの有難ありがたい言葉を無視するわけにもいかず、一応は尊敬していたこともあり、七年経った今もその教えに従うべく双子の兄のアディルは決意した。


「俺はルナこいつを連れていく。後ろの奴らは頼んだぞ」

「え? ちょっちょちょちょ! なんであんたじゃなくてあたしぃっ――ってめっちゃきたんだけどぉおおおおおお⁉」

「きゃっ⁉ あ、アディルさん⁉」


 桃髪の少女を抱きかかえて離脱した白銀色の髪のアディルに押し付けられた妹、リヴは背後から猪突猛進で迫ってくるバイトゥーソンからベージュのポニーテールを馬のしっぽのように揺らしながら全速力で逃げ走る。


「ちょっと止まってよ! なんでずっと追いかけて来るのぉーーーー!」

「バイトゥーソンは止まれねーからな」

「知ってるよ! 知ってるけど愚痴ぐちらせてよ!」


 アディルとルナが戦場線から離脱する。


 バイトゥーソンという牛型のパンテオンは最大時速八十キロルで爆走する猛牛である。大きな湾曲の角の先端を視線の先へと伸ばし、土色と草葉色の迷彩色の体毛。その大群とあれば葉や草を巻き込んだ土の塊が転がって来るようにも見えたこと。土砂崩れと同じだ。

 バイトゥーソンの突進は角柱岩を破壊できるほどの力を持ち、迷彩色の体毛が覆う肉体はその破壊に耐えられる耐久力、強靭きょうじんな筋肉を持つ。突進されれば一巻の終わり。柔く脆弱ぜいじゃくな人間の身体なら粉砕されてしまうだろう。

 事実として。


「【ノームよ・壁となれ】!」


 土の『エレメント』に『神力ナギ』で干渉し『魔術』を発動。背後に形成された土の壁だが、歯も立たずに砕け舞う。


「【壁】【壁】【壁】【壁】【壁】【壁】【壁】【穴】【壁】ぇえええええええええええええ!」

『ウモォオオオオオオオオオオオオウウッ!』


 傍から見れば野牛をあおっているようにしか見えなかった。事実、おちょくられていると感じとったバイトゥーソンは咆哮をあげて更に加速する。


「なんでっ⁉ 痛くないんだったら怒らないでよね!」


 原因はそこではないが……とにもかくにもリヴはピンチである。


「あ、アディルさん! このままじゃリヴが!」


 心配と声をあげるのはルナ。桃髪の少女はアディルの腕の中で今すぐにもリヴの下へと助けに行きたいと訴える。が、バイトゥーソンの速度に離れて並走している現在。リヴに風魔術をかけながら並走するので目一杯である。ひたすらに平原を驀進するリヴ。バイトゥーソンとリヴの距離は少しずつ近づいていき、あと数十秒で背中から突き破られることに間違いはない。

 危ないっと叫びかけるルナと対照的にアディルが不敵に告げる。


「問題ねーよ。俺の妹だからな」


 アディルの期待に応えるように、リヴの口端が弧を描き。


「ジャーップーーッ!」


 そう高らかに叫んだと同時に突然に現れた直径五メルほどの穴をリヴは軽々とジャンプした。あまりにも唐突なことに元より止まることのできないバイトゥーソンは別の手段を取る暇など与えられず、穴底へと一直線に落ちて行った。


「おっとっとー。シャキン!」


 無事に着地して決めポーズを決めた背後から絶叫が大空へと轟いたのだった。


「さすがあたし!」

「そのポーズはダサいがな」




 バイトゥーソンを解体してリヴが持つ魔法のウエストポーチに収納。これで今日の晩御飯の心配はいらない。


「にしても随分走らされたな。たくー俺の風も無制限じゃねーんだよ」

「ごめんごめん。なんかちょっと楽しくなっちゃって。こうギリギリを狙いたくなったっていうか」

「はぁーオマエのクソどうでもいい遊びのせいで、ルナこいつ半泣きだぜ」

「な、泣いてないよ!」

「うそ! ご、ごめんルナ! もうミンチレースはしないから」

「だから泣いてないから! でも、心配はしたから、約束だよ」

「もちのろん!」

「オマエの頭はとっくにミンチだろうに」

「うるさいアディル。バカアホめんたいこ」

「めんたいこ言うな」


 また始まる兄妹喧嘩。ルナが心配していたのが馬鹿らしく思えて嘆息たんそくが零れる。


 二日前、軍兵都市アカリブから脱走した三人は無事に【エリア】へと辿り着き、無法都市フリーダムを目指して冒険を始めていた。

 途中、パンテオンに襲われたり、罠にかかったり、食べ物を奪われたりなど。一筋縄ではいかない【エリア】の凶悪性を思い知り、二日目の今日もまだ辿り着けずにいた。


 三人が天場てんじょうから【エリア】へ降りたのは中央の穴『クイークエゲート』、別名『ラウムの穴』。直径九百メルの穴を降りると待ちかまえたのは直径二百メルの穴、『ラウムの胃腸』。『ラウムの胃腸』を中心に三人が降り立ったのは南側中央、『ラウムの胃腸』と『階級の岩原』との中間地点だ。無法都市フリーダムは『ラウムの胃腸』を挟んで向かい側、穴に沿う形で立国してる。奇しくもカインと共に歩き、ネルファを届けた道すがらと同じ道を辿ることになった。

 一度通った道とは言え、多種に及ぶパンテオンの活動はその限りではない。自然そのものも牙を剥く場合だってある。

 故に一度目で半日かけて辿り着いた無法都市も、今回は二日もかかり、挙句に正規ルートからも外れてたのだった。


「それでどうするの? 暗くなってきたけど、もう少し進む?」

「オマエのせいで今日もお預けかよ」

「あたしのせいじゃないから! もとはと言えばアディルが道を間違えたのが悪いじゃん」

「はあ? いやいやオマエがビーマンティスの群れにちょっかいだしたからだろうが」

「ハチミツが欲しかったんだもん! 仕方ないじゃん!」

「何開き直ってやがんだ」


 再び白熱する喧嘩に、これには堪え切れずルナは叫んだ。


「いい加減にしてください! 喧嘩しないで仲良くして!」

「「――っ!」」


 頬を膨らませて怒りを表すルナは実際には怖さなど微塵もないかわいらしさなのだが、兄妹はうっと言葉を詰まらせた。


「暗くなってきたら危ないんだよね。喧嘩も場所が違ったら命取りになると思う。全部、二人が教えてくれたことだよ」

「…………まーそれは、そうだな」

「…………まーそれは、そうだね」

「これから一緒に冒険するんだから、私は二人がいなくなるなんて嫌だからね」

「「――――」」


 それが本心であることくらい、バカな二人でもわかる。アホな行動を振り返ってはめんたいこだったと悔い改める。


「悪かった」

「ごめんなさい」

「うん。じゃあ、どうするか決めよう」


 二人は思うのだ。


(ルナには勝てねー)

(ルナには勝てないなー)


 顔を見合わせた兄妹は同じ考えをしていることに馬鹿馬鹿しいと笑みを浮かべる。


「どうしたの?」

「「別に。なんでも」」

「あはは。やっぱり兄妹だね。息ピッタリ!」

「真似すんな!」

「真似しないで!」

「だから喧嘩ダメぇーー!」


 やはり、兄妹喧嘩がルナの制裁一つで収まるはずもなく、夜に近づく平原で言い合いが始まった。




 バイトゥーソンの肉は筋肉質で赤身が強い。が、筋肉をほぐすことで脂身に変化する。これはフル活動させていた筋肉が一時的に止まったことによる退化にある。人間で例えれば筋肉痛のように筋肉が張っている状態だ。一度動きを止めた筋肉を動かすことで肉が柔らかくなり、脂身へと転じる。生きていない筋肉にバイトゥーソン本来の回走能力の影響は受けない。赤身と脂身に分け、心臓を守るように集まっている肌色の柔らかな塊りを切り分けて肉の上に置く。設置した炭焼き具の網の上にルブスの葉を敷く。その上に存分にバイトゥーソンの肉を並べた。するとジューと香ばしい香りが漂い、ゆっくりと黒味を増してくる肉。その肉の上に添えられた肌色の塊りが溶けだした。


「これってミルク?」

「ああ。バイトゥーソンも牛だからな。心臓を守る脂肪みたいに固まって溜まってんだよ」

「なんだかミルクよりも濃厚なにおいだね。お腹空いてきちゃった」


 とろりと溶けだした脂肪はバターのように広がり、肉へとみ込んでいく。垂れ落ちるミルクは〈ルブスの葉〉が皿変わりとなって全身に染み渡らせる。そこに少々の塩をかける。充分に焼けるとそれは出来上がり。


「できたよ。バイトゥーソンのミルク焼き!」

「すごくおいしいそう!」

「でしょでしょ。シンプルだけど高級感あるでしょ。やっぱりあたし天才かも!」


 鼻長になるリヴは置いておいて、肉のこうばしさを引き立てるミルクの甘い香り。ルブスの葉で全体に万遍まんべんなく行き渡った火加減が綺麗な焼き目を見せる。肉の脂と混じり合ったミルクが熱さにほんの少し弾ける。


「それじゃ食べようか」

「うん」


 三人分にとりわけ、胸の前で手を合わせる。


「「「天の声に貞淑を。大地の御手に祈りを。その命に涙の心を」」」


 なんとか覚えた食事への感謝を唱え、有難く頂く。


「んん~~~~‼ おいしい~~~~‼」

「でしょでしょ! やっぱりあたし料理の天才かも!」

「はいはい。何度も言うな」

「と、言いながらもおいしそうに食べてるじゃん」

「……食べ物に罪はねーよ」

「あたしの才能は罪だって。アディルも偶にはいいこと言うじゃん!」

「…………」


 ここ数日と同様にテントを二つ立て、獣除けの染色珊瑚シャインコラルを並べ陣地を築き夜を超すのを待つことにした三人。場所は先の平原から離れた鬱蒼とした茂み。アディルの背丈くらいの岩を背に、リヴの土で背後を固めて周囲からある程度隠れるように形成。においが広がらないようにオリヅルランという植物を植えることで消臭効果を得てパンテオンの襲撃と興奮を抑える。

 ふと、周囲を見渡したルナはそう言えばと。


「本当に追ってこないんだね」


 それが何を差しているのか。考えるほどのことではない。リヴがお肉を咀嚼そしゃくし呑み込んでからしゃべる。


「そりゃ来ないよ。天場うえじゃあたしたち軍に逆らった世紀の犯罪者だもん」

「うぅ~~やっぱりやりすぎだったんじゃ」

「だめだめ。あのくらいやらいと簡単に引き戻されちゃうって。立て直すのに時間と人手、あとお金か。も必要なわけじゃん。それに、あたしたちの仕業だってヘリオたちが暴露してるわけじゃん。知ってる? あたしたちって嫌われ者なんだよねー」


 どうでもよさそうに果物を齧るリヴ。


「だから派手にする必要があったんだ」

「そうそう。三割くらいは今までの感謝と腹いせだけどね」

「すごく私怨しえんが混じってる⁉」


 というわけであの火力の説明はついた。リヴが言った通り、軍はそれらの理由が故にリヴたちを追いかけることも連れ戻すこともできない。犯罪者という名分で連れ戻される可能性はリヴらが『冒険者』という理由で相殺される。

 冒険者……軍が命を賭けて穴より侵略してくるパンテオンから民を守っている、それを嘲笑うかのように穴に浪漫ロマンを求めて探険、冒険する者たちを差す言葉。命の無駄遣い、死にたい奴ら、気が狂ってる馬鹿どもなど揶揄やゆされており、蔑称として【死に急ぐ者モータル】などと呼ばれている。


「【冒険者モータル】を連れ戻すなんざ誰も認めねーよ」


 アディルたちを欲しがっている軍の上層部は例外だが、基本天場の誰もが冒険者を軽視し嫌悪けんおしている。救った命を捨てに行く奴らをどうして受け入れようとできるか。それを軍に対する反逆行為と言わずして何になるか。

 そういうことである。


「ま、俺らは二度と上には戻れねーけどな」

「それが罰ってことだよね……」

「ああ。永遠にこの奈落で生きねーといけねーわけだ」


 既に背後は絶たれた。引き返すことは絶対不可能。進むことしか許されない。

 ルナはそれでも大丈夫だと思えた。二度と天場に帰れないとしても。セルリアたちに会えないとしても。それでも、二人がいるなら大丈夫。進めると不可思議な自信が宿っていて、そのことがおかしくてルナは少し笑った。

 眼を覚まして始まった劇的な毎日。今もずっとルナには知らないことばかりで冒険をしているみたいなのだ。

 記憶を取り戻す、二年後に死ぬといった二人をなんとかする、そう理由をもらい飛び出した今。ルナは自分の名前を受け入れ案外に気に入っている今。


「でも、二人と一緒ならきっと大丈夫だと思う。だって、怖いけど楽しいから」


 沸き上がる好奇心がルナを突き動かすのだ。

 そして、二人がやっぱり大事だと心に火を灯すのだ。

 リヴは笑みを浮かべた。アディルはほんのり口元をゆるめた。


「うん。冒険は楽しいものだからね!」

「ま、飽きねーよ」


 三度目の夜。それでも感じ取れる同じ気持ち。それがどうしようもなくルナをルナたらしめ、強く硬い決意を結ばせた。

 風のない夜空に瞬く星は何を見ているのだろうか。過去か未来か今か。

 こんな夜が続けばいいのにと、ルナは無償に愛しさを抱いたのだ。

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